2017年6月25日 (日)

栗原冬子「LOST LOVE」

今回紹介する歌映像は、泡沫感絶頂の映像。

栗原冬子女史はこのとき高校3年生。
ラサール石井氏のインタビューに、
冬至の日に生まれたので"冬子"という名前となった、
走ることが得意で中学のときは陸上部だった、
などと答えている。

その後の栗原女史の経歴については、Web上にその記述が溢れているので、ここでは省略する。

ワンレングスの女子高校生が、デビー・ギブソン書き下ろしの曲でデビューするということ自体、泡沫感絶頂の事象であるのだが、小生がこの映像で最も注目したいのは、この放送が行われている会場なのである。

栗原冬子_LOST LOVE_スポーツワールド伊豆長岡

この画像に映る景色の中で、現在もその姿をとどめているものは、画像最上部に映るわずかな部分のみである。

映像を観ていただきたい。
栗原女史が歌う場所は、向かって右側のプールの波が、向かって.左側のプールに伝播しないよう設けられたコンクリート防波堤の部分。
二つのプールの背景にはそれぞれ"SPORTS WORLD"、"ASCOT"の文字。

伊豆長岡町、現伊豆の国市に、かつて存在した"スポーツワールド伊豆長岡"の在りし日の姿である。


このスポーツワールド伊豆長岡は、廃墟を趣味としている者には有名な場所のようであり、
廃墟となってからの姿を紹介しているサイトは数多い。
栗原女史が立っているこの場所の廃墟となった写真も確認することができる。

いわゆるバブルの時代に生まれ、そのバブルの崩壊とともに経営が行き詰まり破綻。
一時期、カラカミ観光が支援を検討しているとの情報もあったが、さすがに都心から離れたこの地にこの規模の施設は手に余るであろう。結局は手を出すことはなかった。

結局大部分の施設は閉鎖され、最後はゴルフ練習場のみ細々と営業を続けていたが、1999年にはすべて閉鎖され、荒れるがまま、廃墟マニア垂涎の場となり、そして現在は完全に取り壊されている。


そのスポーツワールド伊豆長岡が現役だった頃の姿、そこで歌う栗原女史、これぞ泡沫映像。
映像に映り込む子供たちの水着姿が、心なしか垢抜けていない気がするのは、土地のせいだろうか。


曲は、"Debbie Gibson"が馬飼野康二先生のペンネームと言われたらそのまま信じてしまうような雰囲気で、小生の好みの部類である。


「LOST LOVE」栗原冬子
JanJanサタデー
1989年7月22日

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2017年6月24日 (土)

1987年6月24日

本日は、朝霞市民会館において日本テレビ"ベストカップル歌合戦"の公開録画が行われる日である。
先日入場券を入手した小生は、10時30分に東武東上線池袋駅のプラットホームの一番前で同志と待ち合わせ、東武東上線の電車に乗って会場の朝霞市民会館に向かった。

朝霞駅で下車。朝霞駅に降り立つのは1987年6月13日以来である。そのまま徒歩で朝霞市民会館に向かう。
朝霞市民会館に到着し、整理禁をいただく。すでに整理券の配布ははじまっており、あまり若い番号ではなかったが、市民会館内にはそれほどの人はいない。地元の者は整理券を入手した後、一旦自宅に戻っているのだろう。
小生はというと、どこへとも行くあても無いため、市民会館内で知人と話をしながら時間をつぶしていた。

現地でも何人かの知人と合流した結果、本日の顔ぶれは、"関東一のおっかけ"ことIH氏、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏となった。SA氏は入場券を持っていないとのことだったので、余分にいただいた入場券を提供した。
"ワープロ君"ことUM氏は、一端会場を場を離れ、残りの5人はホール入口に並んで会場を待っていた。ホール入口にいると、出演者の入りがわからないため、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏で、ホール裏にある駐車場に行き、佐野量子女史のマネージャーの鈴木氏の"黒いプレリュードを探したのだが、遂に発見できなかった。

やがて会場の時刻が近づくと、どこからともなく人々が現れ、会館外まで伸びる列ができた。前列のほうには、近所の方々とおぼしき年配の者。そして小生ら。後方には、学校が終わってからやってきた比較的年齢の若い者たち。そして、本日の出演者の長与千草女史のファンとおぼしきピンクのポンポンを抱えた集団。総勢は100人程度か。朝霞市民会館のホールの収容人員からすると、寂しい人数ではある。松本典子女史、石野陽子女史のファンとおぼしき集団は見あたらない。

17時会場。列をなして入場する。地元の方々は、席にそれほど頓着ないようで、小生らが入場したときも、最前列の席は空いていた。最前列といっても、前3列は封鎖されていたため、4列目が最前列となる。その4列目中央の席を確保した。
後方を見やると、会場内はやはり空席だらけである。逆に会場内をテレビカメラで抜かれる心配が少なくなるかもしれない。

堀敏彦氏が舞台上に現れ、前説がはじまる。その話しによると、本日は2本録りのようである。写真撮影も禁止されてはいないようであった。途中で帰らないで収録の最後までいてほしい、とのお願いもあったが、お目当ての出演者が1本目に出てしまったら2本目まで残らないかもしれない。

19870624ベストカップル歌合戦_堀敏彦

1本目の収録開始。岡田真澄氏、榊原郁恵女史の2名が司会である。
審査員は、近江敏郎氏、塩沢とき女史の2名。

1本目の出演者は、宮内洋氏、長与千種女史、向明子女史、北話友樹氏、森末慎二氏、田中美佐子女史、林与一氏、松本典子女史であった。
これで2本目の収録にも参加することは決定である。

19870624ベストカップル歌合戦_1

この番組は、"ベストカップル歌合戦"の名称のとおり、男女1名づつが一組となって曲を歌うというもの。
1本目の収録の曲目は、
「雪国」宮内洋、長与千種

19870624ベストカップル歌合戦_宮内洋、長与千種

歌唱はワンコーラスのみであった。引き続き、
「居酒屋」日向明子、北話友樹
「テネシーワルツ」森末慎二、田中美佐子
「別れの夜明け」林与一、松本典子

19870624ベストカップル歌合戦_林与一、松本典子

と歌唱が続く。

引き続き
"イントロ歌合戦"のコーナー。これは、ピコピコハンマーを持った出演者がステージ後方の椅子に腰掛け待機。曲のイントロが流れ、曲名がわかったものがピコピコハンマーで、ステージ前方にあるタヌキのぬいぐるみの帽子部分をたたき、最初にたたいた者の組が解答権を得る、解答権を得た組は、その曲を歌うことにより解答するというゲームであった。
ゲームは白熱し、腰掛けている椅子からタヌキのぬいぐるみへとできるだけ早く駆けつけようと、松本典子女史は靴を脱ぎ、長与千種女史は裸足になり、森末慎二氏は上着を脱ぐ始末。

その後、"審査結果発表"。
"ベストカップル賞"を、森末、田中組が受賞。"審査員特別賞"を、宮内、長与組が受賞することとなった。

2本目の収録では、

19870624ベストカップル歌合戦_2

「お化けのロック」嶋大輔、石野陽子

19870624ベストカップル歌合戦_嶋大輔、石野陽子

「いつでも夢を」樋浦勉、川島なお美
「わかれ道」横光克彦、松居直美
「あずさ2号」関根勤、佐野量子

19870624ベストカップル歌合戦_関根勤、佐野量子

と歌唱が続き、その後、"イントロ歌合戦"のコーナーとなった。

1曲目のイントロが流れる。流れだすと同時に出演者はタヌキのぬいぐるみめがけて走り出す。佐野女史と川島女史との間でピコピコハンマーの奪い合いとなり、川島女史がピコピコハンマーを勝ち取りタヌキのぬいぐるみをたたいた。がそれより前に、佐野女史は右手でピコピコハンマーの取り合いをしているさなか、左手でタヌキのぬいぐるみをたたいていたのだった。
曲が停止した。佐野女史の反則により川島女史の組に解答権があるかと思われたのだが、そこはバラエティー番組の緩さからか、司会者は佐野女史の組が解答するよう差配をする。不満そうな表情を浮かべる川島女史。
解答のため再び曲が流れだす。曲は南沙織の「17才」。誰もが知っているような曲である。満を持して歌い始める佐野女史、のはずだったが、まったく歌えない。助けに入る関根氏も、これまた歌えない。松居女史から"知らないんで押したんでしょ、ずるいじゃないの"と当然のクレームが入る。それを、"Where come from?"と英語でごまかす関根氏。

2曲目。ヒールある靴を脱いで両手に持ち走り出す体制を整える松居女史は、曲が流れだすと、一目散に駆け出し、ピコピコハンマーに目もくれず、自分の靴でタヌキのぬいぐるみをたたく。さすがバラエティー慣れしている振る舞いである。曲は「男の背中」。松居女史の歌は怪しかったが、同じ組の横光氏が完璧に歌いこなす。それでも"これはわたし知ってましたから完璧に歌いましたよ今"と笑いを取る松居女史。
笑いを取って満足したのか、靴を履く松居女史。

3曲目。もう"ピコピコハンマー"でたたくというルールは関係い。駆け寄ってタヌキを手でたたく石野女史。"トンカチ残ってる陽子ちゃん、これはなに?"と突っ込みを入れる松居女史。嶋氏に"おまえは靴だよ"と言われ退散。曲は「よろしく哀愁」。

4曲目。司会の岡田氏の"イントロはこれ"の声とともに走り出す一同。"ピコピコハンマー"を真っ先に手にとりタヌキのぬいぐるみたたいたのは佐野女史。が、まだ曲は流れだしていなかった。あわてて椅子まで戻った佐野女史。佐野女史をつかまえ"あなた、歌えるものなら歌ってみなさいよ"と詰め寄る松居女史。関根氏が"あしたわたしは~"と「あずさ2号」の出だしを歌いフォローするのだが、"だめよ、ちょっとかわいいからって"と追い打ちをかける松居女史。"直美ちゃんもかわいい"と榊原女史の言葉に、"そーお、なーんだ、落ち着こう"と椅子に戻る松居女史。

仕切り直しの4曲目。関根氏がタヌキのぬいぐるみ手でたたき、そのあとすぐ、"ピコピコハンマー"を手にした佐野女史が、タヌキのぬいぐるみをたたく。岡田氏の"誰がたたいた"との問いかけに手を挙げる佐野女史。松居女史からは"あなた絶対歌いなさいよ"との突っ込みが入る。曲は「目ン無い千鳥」。しかし途中から歌えず"ラララ~"でお茶を濁し、結局関根氏が「あずさ2号」でごまかす。

5曲目。松居女史が解答権を得て「おんな港町」を歌う。客席に歩み寄り、手を出すしぐさをする松居女史に、榊原女史が"松居直美オンステージでした"と笑いを取りにいく。

ここで、曲が流れだすまで腰掛けている場所を入れ換えることになり、佐野女史に向けて"入れ換えてもおなじよ"と牽制する松居女史。

6曲目。大コケする関根氏だったが、解答権を得たのは嶋氏の組となる。松居女史"あなた命懸けでこの番組やってるんじゃないの"との問いかけに対し"舞台で死ねればいいと思ってますからね"と答える関根氏。曲は「年下の男の子」。嶋、石野組が無難に歌いコーナー終了。

19870624ベストカップル歌合戦_2_イントロ歌合戦

"ベストカップル賞"は、嶋、石野組。"審査員特別賞"を、横光、松居組が受賞することとなった。

関根氏、松居女史と、バラエティー番組慣れした出演者により、2本目の"イントロ歌合戦"は大きく盛り上がり、曲が流れだした途端、客席に向かって走ってくる出演者たちの迫力に気押され気味の小生であった。

収録が終わりホールを出た。
しばらくホワイエにいると、佐野女史とマネージャーの鈴木氏が、何人かの子供たちを引き連れて歩いていくのが見えた。郊外の子供たちは芸能人がめずらしいのであろう。
二人の向かう先を確認していた小生であったが、通路の先を曲がり、見えなくなったところで、その先を追うのは、今の小生の領域ではないと、自制した。
また、他の者も、後を追おうとはしなかった。

そして、小生ら6人は朝霞市民会館を出て、徒歩で朝霞駅に向かった。

朝霞市民会館前の道路は、センターラインはなく、歩道の整備もされていない。周囲は未だ畑が多く、一人で歩くならば暗く心細いであろう道路である。
今しがたまで朝霞市民会館にいた者たちが帰路につくのであろうか、何台もの自動車に後ろから追い抜かれる。狭い道幅のため、自動車のヘッドライトを背中に感るたび、小生らは一列に並んで車をやり過ごそうとする。
一台の濃紺のセダン型の自動車が通りすぎたそのとき、排気音の中を貫いて、甲高い音が小生の頭を貫いた。その音が、実は人の声だとわかったのは、遠ざかる自動車の助手席から後ろ向きに顔を出した女性が、何か叫んでいるということを確認できてからだった。その自動車は、助手席に乗っている女性の顔の判別もできないほど遠ざかってはいたが、"ありがとー、またきてねー"という言葉となってはっきりと聞こえたのだった。顔の判別ができず、走り去った自動車が黒いプレリュードではなかったが、叫んでいるのは佐野女史に他ならない。

先程の"イントロ歌合戦"で気分も高揚していたのであろうか?。普段はおっとりしているように見える佐野女史が、声を張り上げて叫んでいるという事実に、少々あっけにとられながら、手を振って遠ざかる自動車を見送る小生であった。やがてその自動車の濃紺色は、赤いテールランプと左折を示す点滅する橙色の灯火を残して闇に溶け、交差点を朝霞駅方面に左折したところで、小生らの視界から消えていった。

佐野女史を見送った小生は、宴のあとのような余韻に浸りながら、朝霞駅に向かって歩いていく。同じように余韻に浸っているのであろうか、誰もが無口であった。ただ一人"ワープロ君"ことUM氏を除いて。
駅に近づくにつれ畑は減り、人家が、そして商店が多くなってくる。

道路は、一旦駅の東へと渡る跨線橋の下をかすめ、そして跨線橋へと分岐する交差点に差しかかる。

まず、異変に気づいたのは、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏の2名であった。こういう場で真っ先に気づくのは、往々にして小生なのである。"あの車は…"と小声で話す小生とIH氏。"あの車"とは、道路の左側を歩く小生らの反対側に停車している、濃紺のホイールキャップを付けた濃紺のセダン、車種はいすゞのジェミニであった。それは、小生らの側から見ることができる全てのガラスがスモークになっているような先程佐野女史が乗っていたとしか考えられない自動車であった。
小生が立ち止まったことで、他の面々も異変に気づいたようであった。

"あの車"と小生が指さすと、"ワープロ君"ことUM氏はその自動車めがけて駆けだしていった。道路と自動車の前を横切り、助手席に張りついた。助手席の窓が空き、そして、自動車はUM氏を残し走り出した。跨線橋を渡り、今度こそ、小生らの眼前から消えて言った。

しかし、何のためにあの場にいたのだろうか。
"ワープロ君"ことUM氏が言うように、小生らをわざわざ待っていたのかもしれない。単に東京方面への道順を確認していただけなのかもしれない。

ただ、そんなことはどうでも良いことのように感じた。
今日は、今まで見たこともない、佐野女史の一面を見ることができたのだから。

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2017年6月16日 (金)

1987年6月16日

本日は、東京都千代田区丸の内にある東京商工会議所までやってきた小生。

ことの発端は電車の中吊り広告であった。
"量子の包容力。"と書かれた佐野量子女史が写るの中吊り広告を発見した小生は、広告に記載されている、東京商工会議所の中小企業相談所に、その中吊り広告をいただけないか電話で問い合わせてみた。
そこで東京商工会議所の広報部広報課を紹介され、その広報部広報課に電話した小生。
すると、訪問すれば分けてもらえるとのことだったので、本日いただきに参上した次第である。

営団地下鉄千代田線の二重橋前駅を下車し、地下道を日比谷方面に歩きB7の階段を昇ると、すぐ目の前が目指す東京商工会議所だった。

事前に連絡を取ってあったため、すんなりと中吊り広告をいただくことができた。

佐野量子_東京商工会議所中吊り広告

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2017年6月13日 (火)

1987年6月13日

本日は、6月24日に朝霞市民会館において収録される日本テレビ"ベストカップル歌合戦"の入場券を入手するため、朝霞市民会館まで出向くことにした。事前に朝霞市民会館に電話して確認したことろによると、配布は10時からとのこと。ただし、座席指定ではなく入場整理券は6月24日当日先着順で配布されるとのことなので、本日は入場券さえ入手できれば問題無い。

朝霞駅下車、朝霞駅に降り立つのは初である。
6月24日にもう一度来ることになるため、周囲の地理を確認しつつ、徒歩で朝霞市民会館に向かうことにする。
南口を出て線路に沿って北上。跨線橋へ続くスロープを過ぎると道路は線路から離れる。しばらく歩く畑び広がりだし、右前方にそれらしき建物が見えてくる。その建物を目指し右折。はたして、その建物は目指す朝霞市民会館であった。駅から10分強で到着。

朝霞市民会館の事務室で"ベストカップル歌合戦"の入場券をいただくことができた。

19870624ベストカップル歌合戦公開放送入場券(表)(150dpi)

念のため予備の券ももらっておくこととした。

帰宅すると、オリコンウィークリー編集部からの封筒が届いており、封を開けてみるとテレホンカードが入っていた。

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2017年6月 6日 (火)

1987年6月6日

本日はキクイチミュージックセンターダイヤモンド地下街店の店長K氏からの、小沢なつき女史のイベントを開催するので来ない?、との要請を受けたため、横浜までやってきた小生。

キクイチミュージックセンターダイヤモンド地下街店で時間をつぶしていると、店の横浜駅側の出入り口を出て左の岡田屋モアーズ側。ダイヤモンド地下街から岡田屋モアーズへ向かう通路にテーブルを据えつけられた。

やがて小沢なつき女史がやってきてイベント開始。小沢女史はデビュー前とはいえ、地下の通路を会場にしたイベントでかなり現場はかなり混雑した。

19870606横浜岡田屋モアーズ_小沢なつき

引き続き小沢女史は川崎岡田屋モアーズのテイトムセンでイベントを開催するとのことなので、小生も川崎に移動。岡田屋モアーズでのイベントを観た後、引き続き芳本美代子女史と、勇直子女史がゲストのモアモア歌謡センターの公開録音にも参加した。

現地では、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"JVCの周美今日"氏、"PINK TANK"氏、"きっぱら一人"氏、"ぼっけもん"氏、そして"知美ちゃん新聞"編集人のTT氏等と顔を合わせ、その後"PINK TANK"氏の家に宿泊させていただいた。知り合ってまだ間もないが、お互いオリコン通信上に掲載された文章を読んでいるので、既に旧知の間柄のようなもの、抵抗はまったくなかった。

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2017年5月31日 (水)

1987年5月31日

大垣発東京行きの列車に乗車中本日の一日がはじまる。

神奈川県にはいった頃、列車内通路を歩いて移動してきたオリコン通信常連投稿者のペンネーム"Be☆SHOP"氏と遭遇。"Be☆SHOP"氏は、守谷香女史のイベント会場へと向かう最中のようである。
お互い健闘を讃え合った。

小生は、横浜国立大学で開催中の清陵祭会場へ出向いた後帰宅した。

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2017年5月30日 (火)

1987年5月30日

本日は佐野量子女史が出演する読売テレビ"気分はジャマイカ"とMBSラジオ"MAZDA It’s A Party!!"の収録に参加の予定ということで、大阪の地理には詳しくない小生は、名古屋駅で"関東一のおっかけ"IH氏と合流し、同行させていただくという算段をつけてある。
前日に名古屋のIT氏の自宅に宿泊させていただいた小生、6時過ぎにはIT中小田井駅に向かった。出発する前に、IT氏からは、この時間は"中小田井駅"は無人なので新名古屋駅の改札で"中小田井から"と告げて清算するよう言い含められた"。教えられたとおり新名古屋で"中小田井"と告げて改札を出る。
H氏とは近畿日本鉄道の名古屋駅改札口で7時10分に待ち合わせとなっているので、国鉄改札口を出て南に向かう。無事にIH氏と合流し、近畿日本鉄道で近鉄難波へ向かう。

近鉄難波駅に到着。
事前で読売テレビに"気分はジャマイカ"を観ることができるのか電話確認したところ、入場は無料で整理券等は不要とのことであったので、まずは読売テレビの"気分はジャマイカ"の公開録画の会場である心斎橋筋2丁目劇場に向かう。

難波から地下道を通り心斎橋筋で地上に出て心斎橋筋2丁目劇場に到着。特に手続きもせず、ホールに入場できた。ホール内の前の方にも空席があったので、着席し、公開録画の開始を待っていた。

しばらくすると、男性がやってきて、ここは観客を入れる席なので移動するようにと言い出した。座席は観客が入るので座ることはできないとのこと。電話で確認した内容と話が違ではないかと思ったが、最後列で立ち見なら良いとのことであった。
仕方なくしばらくホールの最後部の壁際で埋まっていく客席を観ていたのだが、このような状況では、"MAZDA It’s A Party!!"の公開録音会場で良い場所を確保すべきと判断し、マツダロータリーへ向かうこととした。

"MAZDA It’s A Party!!"についても、事前にMBSラジオに問い合わせてあり、公開録音は16時から17時であり、14時から先着150人に整理券を配布するとの情報を得ていた。

マツダロータリー御堂筋は、心斎橋筋2丁目劇場の北方にあり、地下鉄御堂筋線の最寄り駅では本町に近いが、ここは徒歩で向かう。御堂筋に面し、難波神社の北側の角地に位置していた。

整理券を入手。

19870530MAZDA It’s A Party!!チケット(表)(150dpi)

19870530MAZDA It’s A Party!!チケット(裏)(150dpi)

何とか佐野女史の姿を拝むことはできそうである。

"MAZDA It’s A Party!!"の公開録音に参加するのは初めてだったため、勝手がわからず、あまり良い席は確保できなかった。

司会の嘉門達夫氏が登場し番組開始。
佐野女史も登場。人と人との間から、何とか見えるといった程度。

19870530MAZDA It’s A Party!!_佐野量子

公開録音終了後、佐野女史はすぐ退場してしまい、直接会うことはできなかった。

"気分はジャマイカ"は論外としても、"MAZDA It’s A Party!!"も、時間と旅費をかけて大阪まで来るのに見合った価値のあるイベントとは思えない、そういったことがわかった初の大阪遠征であった。

米原まで新快速、米原から大垣まで各駅停車に乗車、22時04分大垣発の東京行き夜行列車で帰途に就いた。

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2017年5月29日 (月)

1987年5月29日

5月30日に大阪で、佐野量子女史が出演する"気分はジャマイカ"と"MAZDA It’s A Party!!"の収録があるとのことで、前日に名古屋のIT氏の自宅に宿泊させていただき、30日の午前中に大阪へ到着との予定を立てた小生。経費節減のため、各駅停車で名古屋に向かった。

JRから名古屋鉄道に乗り換える豊橋駅で、名古屋のIT氏に電話し、到着予定時刻を連絡。
名古屋鉄道に乗り換え新名古屋へ向かう。名古屋鉄道の列車に乗車するのは初のこととなる。国鉄と比較して線形は悪いが、がんばって速度を上げている感じであった。
新名古屋で犬山線に乗り換え、中小田井駅で下車。IT氏の自宅におじゃました。

夕食をご馳走になり、入浴までさせていただき感謝である。
浴槽はジャグジーとなっていた。
部屋には珍しく8ミリビデオの据置きビデオデッキが置いてあった。画質はVHSとあまり変わらないがテープが伸びやすいとのことである。

翌日も早いのでそれほど夜更かしせず就寝させていただいた。

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2017年5月27日 (土)

石川秀美 月刊明星1987年7月号切り抜き

昨日紹介したクリアファイルの中には、当然、石川秀美女史関連の、チラシ、カタログ、雑誌の切り抜きなどが挟まっていたのであるが、その中でも特に思い出深い品が、この月刊明星1987年7月号の切り抜きであった。

石川秀美 月刊明星1987年7月号切り抜き(150dpi)

当時、このグラビアを見たとき、こんな、撮影場所がわかってしまうような写真を載せて良いのか?、
と思いつつも、なんとなく、あのあたりだな、とわかる撮影場所を確かめたくなってしまったのだった。
実際にそれと思われる場所に行ってみて、撮影場所であろうと推定した建物がこちら。

メゾンドカメリヤ

確認できたことに満足し、その後行くことはなかったが、後に石川女史本人に直接聞いてみたところ、スタイリストさんの部屋で撮影したとのことであった。

実際に住んでいる場所で撮影するわけがないので、当然といえば当然であるのだが、ちょっとがっかりしたという。

そんなことを思い出した切り抜きであった。

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2017年5月26日 (金)

石川秀美クリアファイル

今回紹介する品は、石川秀美女史のクリアファイルである。

判型は、B判主流だった当時としては珍しいA4判ファイルサイズ。
"さわやか天使"のキャラクターロゴが印刷されている。
このキャラクターロゴが使用されていることから、制作されたのは1982年から1983年の頃だと推定される。
入手経路は不明。

石川秀美クリアファイル(150dpi)

現在でこそ、クリアファイルは定番のアイドルグッズではあるが、1982年頃では、まだ、一般的なものではなかったように思う。

本品のように単色刷りでは、販促グッズとしての魅力に乏しく、フルカラー印刷で提供される下敷きなどに目が行ってしまうのは当然のこと。

そして、クリアファイルが、販促グッズとして脚光を浴びるようになるのは、フルカラー印刷の技術ガ浸透して以降ということになる。

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