2018年2月 7日 (水)

1988年2月7日

日曜日の本日、小生が訪れた場所は、インテリア井門渋谷店前。

ストリートオーディションの会場である。

知人は、オリ通寄稿士"JVCの周美今日"氏くらいしか見当たらなかった。

終了後、新宿から京王帝都電鉄に乗車、千歳烏山で一泊した。

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2018年2月 5日 (月)

1988年2月5日

本日は、オリ通寄稿士"JVCの周美今日"氏から引っ越しの手伝いを頼まれたので、
東海道線、小田急電鉄江ノ島線と乗り継いで待ち合わせ場所の鶴間駅までやってきた小生である。

鶴間駅に降り立つのは初となる。

"JVCの周美今日"氏引っ越しの荷物を運ぶためのレンタカーを手配してあるとのこと。
レンタカーの営業所へは徒歩で行くとのことで、鶴間駅から東に向かって歩きだす。
結構な距離を歩かせられたが、なかなかレンタカーの営業所に到着せず、鶴間駅から続いた平坦な道路が、洪積台地に向かっての登り勾配とっなころ、ようやく目指すレンタカーの営業所に到着した。

借りた自動車は、キャブオーバー型のワンボックスの4ナンバー車。小生が運転し、まずは三ツ境にある"JVCの周美今日"氏の今日までの住居に向かう。


途中ダイクマに寄り、軽い食事と飲み物の買い出し。
2階に中古レコード店があったので、"JVCの周美今日"氏には少々待ってもらい、エサ箱を漁る小生。
レンタル流れが多く、特筆すべきものはなかった。


ダイクマを出発し、"JVCの周美今日"氏の案内で到着した場所は、"JVCの周美今日"氏が勤める会社の社員寮であった。
寮内の一室から、二人がかりで荷物を運び出し、自動車に積み込む。
荷物はそれほど多くはなく、乗用車に荷室に納まった。
荷物を積み終え、目的地に、下北沢に向かって出発する。


中原街道を東に向かうが、流れが悪いのだ、江田で国道246号線に入る。
国道246号線に入ってしまったからには、少々の渋滞は我慢。
山手通りから、片側1車線の井ノ頭通りに入り、ようやく土地勘のある場所に出た。

井ノ頭通りは一瞬片側2車線となり、代々木上原駅西側のガードで小田急電小田原線を超える。
井ノ頭通りを左折し、下北沢駅方面に向かう。ここからは、道路は込み入っており、道幅が狭くなる。一度は目的地を通りすぎてしまったが、再度回り込んでようやく目的地に到着した。


時刻は16時になる頃であり、30分程でに荷物を下ろし、休憩するひまもなく、鶴間に向かって出発した。
国道246号線で鶴間まで戻り、レンタカーを返して鶴間駅までたどり着くと、もう20時過ぎ。
鶴間駅で"JVCの周美今日"氏と分かれ、帰途についた。

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2018年1月30日 (火)

1988年1月30日

本日は"オリコン・ウィークリー"誌主催のイベント"第20回君こそ評論家!"に参加するため目黒までやってきた小生。

今回の座席は後方。

司会は古川治氏と、オリコン・ウィークリー誌の編集長の田井氏であった。


ゲストは仁藤優子女史。

イベント"素顔の優子をCahtch"のことや、新曲「センチメンタルはキ・ラ・イ」のことなどを話し、その後、会場からの質問を受ける。

司会者に年齢を聞いたことがあるか、という質問には
"吉村明宏氏には聞いたことがある"
とのこと。

最近凝っているものは、との質問に
"肩、ウソだよ~"
との回答。

仁藤女史の退席後、曲の試聴に戻る。
結局この日試聴した曲は、
仁藤優子「センチメンタルはキ・ラ・イ」
麻田華子「好き♡嫌い」
仲村知夏「好きさ!」
藤谷美紀「転校生」
相川恵里「純愛カウントダウン」
北岡夢子「憧憬」
の6曲。
時節柄デビュー曲が多い。

麻田女史、北岡女史の曲はなかなか良いと聞こえた。
岸正之ファンを自称する小生であったが、
岸氏の手になるという「センチメンタルはキ・ラ・イ」、「転校生」は、小生の中ではあまり好みの曲ではなかった。

その後、恒例のジャンケンによる賞品配布。

その後、これも恒例の集合記念写真。今回の記念写真の撮影時の小道具は、佐野量子女史がエキスパンダーを手に持っている、東京商工会議所の中吊り広告とした。

今回参加したオリ通寄稿士は、ペンネーム"JVCの周美今日"、"渡辺洋"、"GPZ-250"、"大谷渚"、"さわやか天使の輪"他各氏であった。

本日は、"君こそ評論家!"終了後、飲み会が開催されることになっている。

古川氏が、会場を片づけた後合流するということもあり、
恵比寿にあるバッティングセンターで時間をつぶすこととなった。


目黒駅から山手線で恵比寿駅に移動。
恵比寿駅西口から南に歩いてすぐ。
着いた場所は、エビスグランドボウルであった。
その屋上に、バッティングセンターがあるとのこと。
もちろん小生は初めての来場である。


バッティングセンターで1時間程度過ごした後、渋谷へと向かう。

目的地は、古川氏の御用達の日本橋亭である。
23時すぎには宴会も終了。

所持金が足りなくなった小生は、ペンネーム"さわやか天使の輪"氏から1,500円を借用することとなってしまった。

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2018年1月16日 (火)

1988年1月16日

本日は、有楽町日立ヤングプラザにおける、文化放送"日立ハローサタデー"の公開生放送に参加。

JR有楽町駅から徒歩で有楽フードセンターへと向かう。

近頃、佐野量子女史などの優先度の高いイベントが無い日は、とりあえず有楽町へ行ってみる、という行動が定番となりつつある。


本日会場に集った者は、オリ通寄稿士のペンネームそれぞれ"JVCの周美今日"、"大谷渚"の各氏の他、M高校OBの"AT"氏。


なお、本日の出演者は、長山洋子女史と、勇直子女史。

長山女史は1月12日に発売された「反逆のヒーロー」
勇女史は1月21日に発売される「ラスト・パラシュート」

の販促を兼ねた出演ということであろう。

特に勇女史は、前作「Boom Boom Boom」が1987年5月21日発売なので、久々の新曲である。
ファンのかたからすれば、待ちに待った新曲になる。

公開生放送終了後、有楽町駅から帰途についた。

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2018年1月15日 (月)

1988年1月15日

本日は後楽園けやきステージで開催される文化放送の公開録音に参加するため、
秋葉原駅から徒歩で神田川をたどり、飯田橋までやってきた小生。
本日の出演者は、仁藤優子女史。
仁藤女史の喉の具合を確かめるためという意味合いもある。


新年の後楽園けやきステージでのイベントには、昨年も参加しておりおり、今年も、昨年と同様のイベントが開催されるというわけである。


外堀通りから後楽園の敷地に入り、けやきステージに到着。
けやきステージの舞台後方には"迎春"と書かれた板が据えつけられ、正月気分をかもし出す。

舞台向かって右に掲げられら看板によると、本日の公演は、13時及び15時の2回まわしとなっている。
これは昨年と同様である。

会場で出会ったのは、オリ通寄稿士はペンネームそれぞれ"渡辺洋"、"きっぱら一人"、"JVCの周美今日"の各氏。

肝心の仁藤女史の喉は、一時期よりは良くなってはいるようであるが、デビュー当時の状態にはほど遠いといった状態であった。

そのような喉の状態を反映してか、披露された新曲もマイナー調のもの、歌い上げる、といった感じの曲ではなく、今さら、デヒュー時の声を求めても、仕方ないのかもしれないが、なんとも残念なことである。

イベント終了後、徒歩で神田駅まで出、帰途についた。

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2018年1月 9日 (火)

1988年1月9日

1988年の初参加イベントは、有楽町日立ヤングプラザにおける、文化放送"日立ハローサタデー"の公開生放送であった。

出演者、伊藤智恵理女史と、白田あゆみ女史。

白田女史は、特にアップライトミュージック所属のということで、佐野量子女史の専門ミニコミ誌"おれんじ★てぃー"発行人のOM氏と関連が深い。

会場には、おそらく"あゆみプロジェクト"のえらい人であるAT氏も来ていた。

オリ通寄稿士(←今年からこの記述とする)の"大谷渚"、"渡辺洋"の各氏、そして"るなちっく♡うぇる"氏まで来場していた。

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2017年12月26日 (火)

1987年12月26日

渋谷で忘年会。

会場は日本橋亭。
参加者は、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"GPZ-250"、"ナハ78 705"、"JVCの周美今日"、"渡辺洋"、"スイク2ミトカイ"、"西克治"、"PINK TANK"の各氏、オリコン通信常連投稿者以外では、"知美ちゃん新聞"の編集発行人TT氏、M高校OBのAT氏などであった。

19871226

宴会終了後、渋谷駅で解散となった。

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2017年12月21日 (木)

1987年12月21日

本日は、芳本美代子女史の"87MIYOKO.SPECIAL.LIVE"があるということで、営団地下鉄表参道駅までやってきた小生。

会場となる、南青山のハナエモリビル前に到着はしたのだが、あまり気乗りせず、夜の表参道の街でどうしたものかと逡巡していると、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"氏がやってきた。
さすが"芸映フリーク"を自称する西崎氏である、

小生も西崎氏にと共に入場することとした。

会場はハナエモリビル5階の"ザ・スペース"である。

19871221_87MIYOKO.SPECIAL.LIVE_リーフレット(表)(150dpi)
19871221_87MIYOKO.SPECIAL.LIVE_リーフレット(裏)(150dpi)

アルバム『I’m the one』の収録曲を中心とした構成であった。

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2017年12月12日 (火)

1987年12月12日

本日は、川崎岡田屋モアーズで、ニッポン放送の“モアモア歌謡センター”の公開生放送を観覧。

出演者は、PumpKinの2名と、我妻佳代女史。

オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"、"渡辺洋"、"スイク2ミトカイ"の各氏も来場.していた。

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2017年12月11日 (月)

1987年12月11日

本日は、ニッポン放送の"ロッテヤンスタNo.1"の公開録音に参加の予定である。

"ロッテヤンスタNo.1"は、ニッポン放送本社の"ラジオハウス銀河"、通称"銀河スタジオ"で収録される。
入場には"御招待券"が必要であるが、本日は、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"氏から"御招待券"をいただいていた。

開場は17時30分。
開場前から、前出オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"氏の他、同ペンネーム"渡辺洋"なども集まり列を作る。

余った"御招待券"の受け渡しも行われており、小生くらい知人がいる者であれば、"御招待券"を持たずともこの場に来さえすれば余った券を融通してもらい入場することはできそうである。


19871211ロッテヤンスタNo.1御招待券(裏)(150dpi)

19871211ロッテヤンスタNo.1御招待券(表)(150dpi)


入場が開始されると、列が動きだす。
"ラジオハウス銀河"までは階段を昇って移動する。


"ラジオハウス銀河"に入るのは初である。
開け放たれた扉からスタジオ内に入ると、内部は左右に広い楕円状となっており、中程に、椅子が並べられていた。
並べられた椅子の前方部分は、何も置かれておらず、向かって左に寄りに置かれた机が、司会者、出演者の席のようである。

場慣れした者が多いのであろう、列がスタジオ内に入っていっても、混乱もなく、整然の椅子が埋まっていく。


全員の入場が終わったところで、こういった公開録音番組では恒例の、前説が始まる。

拍手は強く細かくである。


やがて司会者のキッチュ氏と嘉門達夫氏が登場。収録の準備が整った。


番組オープニング曲が流れ収録開始。
本日のゲストの紹介。
芳本美代子女史、大西結花女史が登場。
小生が、芳本女史を見るのは8日目、大西女史のほうは9日目となる。


まずゲストが2名が登場したということは、2本録りということであろう。

番組は、トーク部分を収録し、一旦休憩。
歌の部分は、観客席前方の、空いている場所で生歌を歌い、別に収録。
歌の収録の際にNGが出た場合は再テイクとなるようである。テイク2を観ることができたら運が良かったのかもしれない。


2本録り2本目のゲストはStepとA-Cha。


この"ロッテヤンスタNo.1"では、スタジオ内で生歌を聴くことができる。平日の夕方開始というのが難点ではあるが、良いイベントであると感じた。

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