2019年8月24日 (土)

1989年8月24日

本日、小生は、大阪厚生年金会館にて催行される佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

(一部略)

奇しくも、大ホールでは南野陽子女史のコンサートが催行されるのであるが、昨年のこともあって、本年は参加を見送った小生であった。

なお、確保できた座席は、かなり後方の席となってしまった。

19890824佐野量子“1st CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

開演。進行はいつもどおり。
そういえば、小生の知人に、中学を卒業して東電学園に入学した者がいた。今頃は電柱に登っているのだろうか。

"ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!"のチラシは、関西の放送局のものになっていた。

19890824佐野量子_ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!(大阪)(A4)(150dpi)

その後小生は、某光学機器メーカー社員のSA氏と明日の旅程の打ち合わせをすべく、SA氏の後に付いて、SA氏が宿泊する予定のホテルへと移動した。

(一部略)

その後、小生は、オリコン通信寄稿士のペンネーム”ウルトラマン60”氏宅に宿泊した。

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2019年8月23日 (金)

1989年8月23日

本日は諸般の事情から、佐野量子女史を上野駅で待つことになってしまった。

上野駅の新幹線ホームで待つのであるが、上野駅の新幹線ホームは19番線から22番線まである。19・20番線のホームと20・21番線のホームは階段を昇り降りして移動しなければならないので、これがなかなか大変である。ただし、今は乗車している車両がグリーン車に絞り込めるだけ、かつてよりは楽になっている。

19・20番線のホームと20・21番線のホームを行き来していた小生たちであったが、やがて、22番線に入線してきた列車を見ていた小生は、グリーン車の車内に立ち上がって網棚の荷物を降ろそうとしている佐野女史がいるのを認めた。小生は後ろ姿でも佐野女史を認識できるようになっているのである。小生は、そのグリーン車の車両を追って移動を開始したのであるが、誰もついて来ないので、他の者たちに合図を送り、佐野女史が乗車していることを知らせる。新幹線列車は停車し、ドアが空く。小生らは、グリーン車の車両から降りてくる佐野女史一行を出むかえた。

諸般の事情の事情たる用件を済ませた後、佐野女史の後を追い、エスカレーターを乗り継ぎ地上へと向かう。エスカレーターでの佐野女史の横は、同性であるIH女史が定位置になっており、男性陣はその後ろに付いていくかたちである。

小生らは、上野駅のタクシー乗場で佐野女史一行を見送った後、解散。小生はそのまま帰宅したのだあった。

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2019年8月22日 (木)

1989年8月22日

 急行はまなすは、青森駅に5時17分に到着した。

(一部略) 

仙台駅前のペデストリアンデッキで、仙台育英学園高等学校が全国高等学校野球選手権大会で準優勝した、要は決勝で敗退したと、いう朝日新聞と河北新報の号外が配布されていたので、いただいておいた。

19890822河北新報号外(100dpi) width=

仙台市地下鉄に乗車し、勾当台公園駅で下車する。小生たちと同じような雰囲気をかもしだしている人々が一斉に下車した。同行する知人から、宮城県民会館にて渡辺満里奈女史のコンサートが開催されるとういう説明を受け、納得する小生であった。

勾当台公園駅から定禅寺通を西に向かって歩き、宮城県民会館を通り過ぎると人影もまばらになった。定禅寺通のつきあたりに公園があり、その右隣りが仙台市民会館だった。仙台市民会館には大ホールと小ホールがあるが、本日の会場は小ホールである。

19890822佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

小ホールに入場。座席は3列目であるが、舞台がずいぶん遠くにあるように感じる。

開演。いつもどおりの進行であったが、本日は佐野量子女史の誕生日に当たっており、誕生日を祝うという趣向が用意されていた。 

札幌のときに用意されていた"ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!!"のチラシは、放送局を変えて仙台でも配布された。

19890822佐野量子_ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!(仙台)(A4)(150dpi)

その後、小生らの一団は仙台駅で佐野女史を待っていたのだが、佐野女史はあらわれなかった。
結局小生ら一団は、上野行きの最終列車となる21時21分仙台駅発やまびこ58号に乗車し仙台を後にした。上野駅に着くまでの車内は、ちょっとした宴会になっていた。

本日小生は、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年8月21日 (水)

1989年8月21日

ススキノグリーンホテル2に宿泊した小生。早々に朝食を摂ってチェックアウトし、”PANNY LANE”へと向かう。

”PANNY LANE”は札幌市中央区南4条西にあるライヴハウスで、本日そこでは、佐野量子女史の”1st CONCERT TOUR TOY PIANO"コンサートが催行されることとなっている。

”PANNY LANE”の立地する区画は月寒通りと都通りにはさまれていたが、入口は都通り側にあった。朝7時前であったが、入口前には既に何人かが並んでいた。このまま開場となる17時30分まで待つのはつらいものがあるが、集団の中には知人が多いのでなんとか時間をつぶすことはできる。
そんな中、小生は、昨日同行したSA氏、"世界一のおっかけと称される"HK氏、昨日航空機の札幌入りしたNA氏らとともに、一旦その場を離れ、休憩場所を探して街を歩きだす。
西2丁目通りを札幌駅方面に歩く。朝食がまだだというHK氏が通り2階にある喫茶店へと入っていった。食事はとらなくても良い小生らは、西2丁目通りを渡ったビルの2階の、通りに面した店で休憩した。
その後、”PANNY LANE”からの道すがら見つけた映画館で『魔女の宅急便』を観るというSA氏と別れ、小生とNA氏は”PANNY LANE”前に戻ったが、気温も上昇してきたので、近くのウインズ札幌へと移動した。

ウインズ札幌の前では、"レタスのくしゃみ"常連投稿者のMH氏が主催する"レタスのくしゃみ"リスナー集会が開催されたので、期せずしてその集会に参加することになった小生であった。

その後、レコードMAPを片手に、文教堂書店、Records-Records2条店、フレッシュ・エアーと薄野近辺の中古レコード店をひとまわりした後、”PANNY LANE”に戻る。
さらにしばらく待って、ようやくと”PANNY LANE”入場。

入場してみると、”PANNY LANE”の内部は、長方形のような形状で、その短辺に舞台が位置していた。舞台目の前から椅子が並べられており、当然自由席である。並び順が早かった小生は、さすがに中央とまではいかないが、普通に最前列の座席を確保することができた。
幅が狭く奥行きがあるので、後方の席では見づらいかもしれない。

19890821佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

舞台上には機材と、そして、中央に白いマイクスタンドが据えられている。

そして、楽器演奏者とコーラスの"カリビアン"のかたがたがそれぞれる定位置について、「Cross of You」の演奏がはじまった。

そして佐野量子女史が登場し、歌いだす。

終演後に、配られたチラシには、"ファンのみんなの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!"と記されていた。

19890821佐野量子_ファンのみんなの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!_札幌(A4)(1500dpi)

”PANNY LANE”から退出した先は、月寒通りの歩道であった。入口と出口は別になっていたようである。

出口前にできた集団は、すぐ横にあった"つぼ八"なだれ込み、遠征組、地元の者がごったになった大宴会となった。

その宴会も、21時過ぎには終わり、小生はNA氏ととも急行はまなす車中の人となった。

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2019年8月20日 (火)

1989年8月20日

やまびこ1号、はつかり5号、北斗11号と乗り継ぎ札幌に移動。途中某光学機器メーカー社員のSA氏と合流し。

本日の宿泊場所を確保していなかった小生は、すすきのでSA氏と別れ、ビジネスホテルのガイド本を片手に電話をする。
料金の安い順に電話していくがなかなか空きのあるホテルがない。ようやく"ススキノグリーンホテル2"に空きがあり一安心。
料金は少々高いが、すすきので、大浴場付きなので、相場なのだろう。

ホテルにチェックイン後、さっぽろラーメン横町で夕食。ホテルに戻り、大浴場を利用した後、就寝した。

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2019年8月19日 (月)

1989年8月19日

本日小生は、オリコン・ウィークリ誌主催の”アイドルミニコミマーケット”なるイベントに参加するため、日本青年館へと赴いた。


”アイドルミニコミマーケット”とは、今回が初開催となるイベントである。会場は6階のグリーティングルームとアナウンスされている。


午後2時過ぎに日本青年館に到着。6階まで上がると、会場と思われる部屋のドアから人がはみ出していた。その人をかき分け室内に入る。壁を背に机を並べるという配置の会場内は、大混雑となっていた。オリコン通信寄稿士のペンネーム”神谷ちかを”氏の出展ブースに、”知美ちゃん新聞”が間借りしていたいたので、小生はそのブースの中にもぐり込んだ。


山口弘美女史がゲストで来ていたのだが、ブース内からはまったく見えず、これではカウントはできない。


終了後、中野に移動。その後帰宅した。

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2019年8月16日 (金)

1989年8月16日

本日小生は、名古屋市芸術創造センターにおいて催行される、佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

名古屋まで新幹線に乗車。名古屋駅で名古屋市営地下鉄東山線に乗換え、新栄町で下車する。目指す名古屋市芸術創造センターは、新栄駅の北200メートル程の場所にある。
地上に出ると、西日がまぶしい。3分ほど歩き名古屋市芸術創造センターに到着した。
館内に入る。3分程ではあったが炎天下の日光に慣れた目に館内は薄暗く感じた。目を凝らして奥に進むと、通路左側のソファーに、佐野量子女史の専門ニミコミ誌"おれんじ・てぃー”スタッフのYM氏の姿を認めた。
YM氏は合成樹脂製の丸まった四角柱状の形状に色付きの丸い蓋がされている透明な容器を抱えていた。
YM氏も小生を認めると、その容器を差し出し、"ひとつ取って"と言う。
”何これ”と問う小生。
”ヒットいか”とYM氏。
”どうしたの”と小生。
”いいからひとつ取って。”
とYM氏。
小生が容器の中の”ヒットいか”をひとつ取り出すと、YM氏は満足そうな面持ちで容器の蓋を閉めた。
”ヒットいか”とは、イカの酢漬けを串に刺したもので、駄菓子屋でみかけるようなものであった。結局、なぜここで”ヒットいか”が出てくるのかよくわからなかい小生であったが、YM氏は知り合いを探しては、”ヒットいか”を配っていたので、その”ヒットいか”には、きっと何か意味があったのだろう。

そんなやりとりをしているうちに、ホールが開場する。
小生にとっては、”初”名古屋市芸術創造センターホールである。
ホールの定員は600人強といったところで、収容人員は先日の静岡市民文化会館の半分程度である。
ただ、競争率は名古屋のほうが少なかったのか、最前列の座席が取れていた。

19890816佐野量子“ファーストコンサートツアー’89『Toy Piano』”チケット(表)(150dpi)

ホール内に入り、座席を確認すると、最前列は2つの通路によって3つの区画に分かれており、17列の席は、舞台に向かって左側の通路から2列目、舞台に向かって左端に近い場所にあった。
"ベストポジション"というわけではないが、やはり最前列は舞台と自分との間を遮蔽するものが何もないという点で、他に替えがたい魅力がある。

開演。
静岡のときと同様「Cross fo You」が流れだすが、一曲目から開場が総立ちになった場内が、ここ名古屋では着席したまま、というのが違ったところ。最前列の小生も、まだ立つには早いと思うので、どっしり腰を据えたままである。

ところで、静岡のときには、観客の頭に遮られて気にならなかったが、ここ名古屋では、佐野女史の檸檬色の3分丈スパッツが気になってしまった。腰から脚にかけての体の線があらわになって刺激が強すぎるのである。しかしながら、佐野女史の面前ではそれを気取られるわけにもいかず、努めて平静なふりをしている小生であった。

終演後、名古屋駅で佐野女史を待つ知人たちにホーム上で別れを告げ、帰宅する小生であった。

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2019年8月12日 (月)

1989年8月12日

小生が東京駅の八重洲中央口の東海道・山陽新幹線改札から出場しようとすると、改札の向こうに見知った顔が並んでいるのが見えた。聞くところによると、名古屋から帰ってくる佐野女史を待っているとのこと。ということで、小生も待たせてもらうことにした。


やがて佐野女史が改札口へと現れ、小生らは、タクシー乗場まで移動し、佐野女史を見送る。


その後小生は、日比谷シャンテに移動。
日比谷シャンテBLOCK3の1階にあるTBSのサテライトスタジオのモニターは東京放送のテレビジョン放送が映っているが、本日は『五島福江行』が流れていた。
その後、”土曜の夜につかまえて!”の公開生放送を観覧。


放送終了後、”土曜の夜につかまえて!”の出演者が帰っていくのを見送る。その後小生は、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年8月 4日 (日)

1989年8月4日

 本日小生は、静岡市民文化会館において催行される、佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

オリコン・ウィークリ誌1989年8月7日号(通巻511号)に掲載された広告によれば、"1st CONCERT TOUR TOY PIANO"として
8/4(金)静岡 静岡市民文化会館
8/16(水)名古屋 芸創センター
8/21(月)札幌 ペニーレイン
8/22(火)仙台 仙台市民会館
8/24(木)大阪 厚生年金ホール
8/25(金)福岡 ビブレホール
8/28(月)東京 渋谷公会堂

本日は、そのコンサートツアーの初日にあたる。

最寄りの駅から新幹線の列車に乗車すると、SK氏と鉢合わせになった。自由席が混み合っていたので、SK氏はデッキに立ったいたのだとのこと。
小生もデッキで立たされたまま、列車は静岡駅に到着。駅から静岡市民文化会館までは徒歩10分程である。
静岡市民文化会館には2000人ほど収容できる大ホールもあるのだが、さすがに本日の会場は収容人員1200人程の中ホールである。とはいえ、昨年は東京でさえ1360人収容日本青年館ホールが会場だったことを考えると、地方都市で千人以上のホールは大きすぎるかもしれない、という懸念はある。
ただし、発売日に主催者の"サンデーフォーク"へと発注をかけて購入したチケットの座席が、7列目と予想以上に悪い席だったことからすれば,、本日の動員については心配は必要ないのかもしれない。

19890804150dpi

開場。
ホワイエでは、コンサートパンフレット、Tシャツ、ポスター、下敷き、テレホンカード、ライター、缶バッジなどが販売されていたので、ひととおり購入。
ホール内に戻ってみると、場内の席は空席が目立たないほどには埋まっているようであった。

開演。
進行は、
「Cross of You」
「風の伝説」
MC
「恋に恋するサカナたち」
「さよならが聞こえない」
MC
「TOY PIANOをたたいて」
「雨が止むまで」
MC
「Top of the World」
「Please Mr.Postman」~「オブラディ・オブラダ」
「Daydream Beleiver」~「SING」
(衣裳替え)
「あくび」
「恋の扉」
MC~録音された音声と会話
「教科書のイニシャル」
「瞳にピアス」
「哀愁エクスプレス」
「4月のせいかもしれない」
MC
「羊が空を飛んだ」~バンド紹介~「羊が空を飛んだ」
「風の花束」
「EVERLANDへようこそ」
〔アンコールI〕
「TOMORROW」
MC
「やさしさの意味」
MC
〔アンコールII〕
「贈り物」
であった。

佐野女史のコンサートでは、かつて経験したことがない後方の席だった。人気が上昇した結果なので仕方のないところである。

コンサート終了後、静岡駅で佐野女史を待ち、小生は例によって途中駅で下車じ、ホームから佐野量子を見送った後帰宅した。

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2019年7月30日 (火)

1989年7月30日

本日、小生は、静岡市内において、佐野量子のイベントに参加する予定である。

NTT静岡支社が発行している『とぅるる』に掲載された情報によれば、本日10時から10時40分に、"マルカール"おいて、佐野量子のサイン会が開催されるとのことである。

とぅるる10号1  

また、同じくNTT静岡支社が発行している『とぅるる』に掲載された情報によれば、本日13時から15時に、静岡駅ビルパルシェ5fFにおいして、"とぅるる夏まつり"が開催されるとのことである。

とぅるる10号2

連日静岡駅に降り立った小生。まずは、サイン会が開催されるというマルカールに向かう。

マルカールは、静岡駅の北口から徒歩5分程の場所にあった。テレホンカードショップとNTTのショールームが一体となったものといった感じであった。

ここで、<A HREF="http://ais005.cocolog-nifty.com/hakkutsu/2019/07/post-71beaf.html">7月4日にアポイントメントを取っておいた広報の担当課長を呼んでいただこうと、ストラップ付きの一眼レフのカメラ首にかけたNTTのかた声をかけたところ、偶然にも小生の知人であった。これはバツが悪い。しかしこの時点で気付いたことは、良かったとも言える。本日は目立たぬよう行動せねばならない。

ただし、テレホンカードを購入すると、握手会に参加できるとのことだったので、マルカール開店記念テレホンカードセットを2セット購入した小生であった。

19890730マルカール開店記念テレホンカードセット(表)(150dpi)

19890730マルカール開店記念テレホンカードセット(裏)(150dpi)

マルカールでのイベント終了後、静岡駅ビルパルシェへ向かう。

会場は、いつも"Jan Janサタデー"の公開生放送が催行される場所であるが、"Jan Janサタデー"の公開生放送のときとは違って、6階へとつづく階段の前には椅子が並べられていた。小生は、本日は目立たぬようにと、椅子には腰掛けず、立ち見の観客の中にまぎれる。

13時に放送開始。司会は"くんちゃん"こと国本良博アナウンサーと、相馬知実アナウンサーである。

11

放送終了後、小生らは、静岡駅のパルシェ口に移動。佐野女史と同じ新幹線に乗車したが、例によって、途中駅で下車し、ホームから佐野量子を見送った。

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