2019年6月17日 (月)

1989年6月17日

日比谷シャンテ合歓の広場にて、"土曜の夜につかまえて!"の公開録音に参加。

その後、オリコン通信寄稿士のペンネーム”渡辺洋”氏宅に宿泊した。

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2019年6月 1日 (土)

1989年6月1日

本日は、TBSホールにおいて、"あたまの中はおもちゃランド"というラジオ番組の公開録音イベント”赤坂まるごとライブ佐野量子”が開催される日である。

"あたまの中はおもちゃランド"、"スーパーギャング-コサキン無理矢理やり100%-"の増刊という扱いの佐野女史のラジオ番組であり、  土曜日の夜に10分間放送されている。

本日は木曜日ということもあり、TBSホールでのイベントの開始は夕刻であったため、赤坂に行く前に、半蔵門あたりを歩いていると、エフエム東京の前で、吉田真里子女史に遭遇した。

その後赤坂に到着。TBSホール前に集まっている者たちは、いつもの佐野女史のイベントに集まる者とはだいぶ異なる風合いをしているようであり、割合ではいわゆる"コサキンリスナー"が大勢を占めているといった状況のようであった。

TBSホールに入場。TBSホールに入場するのは1989年2月11日以来である。

確保できた席は、ホール内の中程よりも後方の列。舞台を見下ろすような場所であった。

舞台には楽器が置かれている。”赤坂まるごとライブ佐野量子”という看板に恥じぬ、生バンドを奢ったイベント。「EVERLANDへようこそ」のイントロが流れだすと、佐野女史が登場、白いブラウスに、黒地に白のドットのスカートという出で立ちであった。曲の途中でスカートが落ちてしまうというハプニングがあったが、”下に着てるシャツ長いからだいじょうぶでしょ”との本人談。実際、後方にいた小生からは、シャツに隠れているようには見えたが。

歌の合間に、会場内から選ばれた5人がミソカツ弁当を食べる、というコーナーがあった。ほっかほっか亭がこのイベントに協賛しているのかもしれない。かつては、こういったコーナーには誰かしら知人が選ばれていたものであったが、最近はそういったことも少なくなった。
ということで、座席が後方だったことを除けば、無料、生バンドで、スカートも落ちるという、なかなか充実したイベントであった。

終演後、出る待ちする知人を残し、小生は早々に帰宅した。

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2019年5月28日 (火)

1989年5月28日

前日から大田区多摩川に宿泊していた小生。本日、小生は、川崎アゼリア地下街のスタジオアゼリアで催行される、文化放送の"アゼリアPOPパーティー"の公開録音に参加した。

本日の出演者は、増田未亜、小林彩子、麻田華子、円谷優子の各女史であった

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2019年5月14日 (火)

1989年5月14日

本日は、ロスアンジェルスに行っていた佐野量子女史が帰国する日である。


前日、大田区多摩川に宿泊していた小生。JR蒲田駅から秋葉原で乗換え、下総中山駅で下車。ここでYM氏のに拾ってもらい、新東京国際空港に到着した。


新東京国際空港の国際線到着ロビーは1階になっている。まずは、貼りだされいる搭乗者名簿に、名前が乗っているかを確認する。
搭乗者名簿に"KAZUKO SANO"と記載されていることを確認した後、到着予定時刻を確認する。
偏西風の状況により、到着時刻は2~3時間くらいすぐ変動するのである。予定より早く到着することもあるので注意する必要がある。
到着予定時刻を確認したら、あとは待つのみである。


掲示板の、佐野女史が搭乗している便の表示が"到着済み"に変わると、小生らはゲートの前に移動する。
到着した後、ゲートから出てくるのに、優に30分は要するので、その間じっと待つ。
そのうち、手荷物のコンベアが動き出す。
やがて、佐野女史らと同じ便に搭乗していたと思われるかたたちが、ゲートから出てくるようになる。
ゲートの奥を目を凝らして見ていると、佐野女史ら一行は目立つので、かなり遠くを歩いているうちに、発見することができる。
ゲートを出てきた佐野女史を出迎え、コンベア横に移動し、手荷物が出てくるのを待つ。
手荷物が出てきたら、その荷物をカートに積みこみ、タクシー乗り場へと移動する。


この間、佐野女史から、ロス土産ということで、本場の"ナビスコリッツ"を2枚いただいた。


タクシーに乗って都心に向かう佐野女史ら一行を見送る。


といったような流れで、空港での出迎えは進行。


佐野女史からいただいた"リッツ"は、1枚は食べてしまったが、もう1枚は、しばらく保管しておくことにした。


帰路は、五反田まで送ってもらい、大崎広小路駅から池上線に乗車。大田区多摩川に宿泊した。

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2019年5月13日 (月)

1989年5月13日

本日は、東急ケーブルテレビの"ビデオ・ジョッキー"の公開録画を観るため、たまプラーザ駅そばの東急ケーブルテレビのスタジオにやってきた小生である。
小生が"ビデオ・ジョッキー"の収録に参加するのは1988年9月3日以来である。

本日の"ビデオ・ジョッキー"の出演者は増田未亜女史であった。
番組中に、観客が参加するゲームコーナーがあったのだが、某回転木馬な芸能事務所のNM氏が舞台上に上がり、賞品の入った段ボール箱を、両手に抱えて観客席へと戻ってきたのであった。
小生は、心の中で、島田奈美に付いていなくて良いのか、と突っ込みを入れていた。
おそらく、小生の知人らも、同様の突っ込みを入れていただろう。

イベント終了後、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年5月 8日 (水)

'89NTT MAY&JUNEYテレホンフェアキャンペーンマニュアル

今回紹介する品は、"'89NTT MAY&JUNEYテレホンフェアキャンペーンマニュアル"である。


判型はA3。伊豆長岡電話局の窓口でいただいたものである。


A3判の紙を二つ折りにして、左とじのリーフレット状となっている。
表1及び表4のこちらを表面とする。


'89NTT MAY&JUNEYテレホンフェアキャンペーンマニュアル(表)(100dpi)


表1こそ全面が佐野女史の写真とってなっているが、それ以外の面キャンペーンの趣旨、内容等が記載されている。
その内容からして、社員に配布された、キャンペーンマニュアルだと思われる。


'89NTT MAY&JUNEYテレホンフェアキャンペーンマニュアル(裏)(100dpi)

なお、佐野女史がNTT静岡支社の統一イメージキャラクターに選ばれたことは、1989年5月1日に報道されていた。統一イメージキャラクターに選ばれて、最初に行われたキャンペーンが、この"'89NTT MAY&JUNEYテレホンフェアキャンペーン"であった。


1989年5月1日新聞記事

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2019年5月 7日 (火)

1989年5月7日

大田区多摩川に宿泊した小生。宿泊場所から川崎に直行し、アゼリア地下街へと向かう。

本日は、スタジオアゼリアで、文化放送の"アゼリアPOPパーティー"の公開録音が行われる日である。

本日の出演者は、河田純子、里中茶美、中島夕紀絵、佐藤忍の各女史
里中女史及び佐藤女史はデビュー前であり、小生としては初見であった。

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2019年5月 6日 (月)

1989年5月6日

本日は、佐野量子女史がロスアンジェルスに出発する日、ということで、佐野量子女史の専門ミニコミ誌スタッフのYM氏の運転するクイントインテグラに同乗させてもらい、新東京国際空港まで佐野女史見送りにいくことになったのであった。

首都高速湾岸線から東関東自動車道、新空港自動車道へと走っていくと、新東京国際空港の手前のバリアで、一旦停車。ここが新空港自動車堂の出口になるようである。料金を支払いつつ、係員に見送りに行く旨と便名を告げる。新東京国際空港は警備は厳しいため、出発便や到着便の便名を告る必要があるとのことであるが、さすがにYM氏は心得ており無事にバリアを通過することができた。バリアを通過した後の道路は新東京国際空港に直結しており、クイントインテグラを空港内の駐車場に残して、小生らは4階出発ロビーへと向かった。

小生にとっては初となる新東京国際空港への来港である。しかし感動している余裕はなく、日本武道館のアリーナよりも広そうな4階出発ロビーの中で、佐野女史を探さねばならない。佐野女史が登場予定の便は、ノースウェスト航空とのことなので、チェックインカウンターの近くで待っていればよいはずである。

やがて、想定どおり、佐野女史一行が現れ、搭乗カウンターで手続きをする。
佐野女史一行は、チェックインを済ませた後、売店で買い物等をした後、出発ロビーの中央にあるエスカレーターに向かう。エスカレーターに乗ることができるのは、搭乗券を持っている者のみである。小生らは、エスカレーターの前で佐野女史一行を見送る。佐野女史一行はエスカレーターに乗って下の階へと降りていった。

エスカレーター前で佐野女史一行を見送った小生ら、飛行機が飛び立つところまでは見送ることはせずに、新東京国際空港を後にした。

再びクイントインテグラに乗車。帰路ということで、時間に余裕があるので、首都高速湾岸線には乗らず、一般道で都心をめざす。行徳街道から今井橋、小松川橋を渡り、蔵前橋通りに入る。
蔵前橋通り沿いにあるほっかほっか亭大平店の前で一時停車、ミソカツ弁当を購入。車内で食す。
その後クイントインテグラは、”土曜日の深夜に日比谷シャンテでイベントが開催されている”という情報に基づき、有楽町へと向かい、有楽町駅駅前の消防署の近くの空いている場所に路上駐車させていただいた。

日比谷シャンテに到着すると、合歓の広場には、日比谷シャンテBOLCK3のビルディングを背にして、仮設の舞台が設置されていた。
イベントはまだはじまっていないようである。
合歓の広場には見知った顔も集まっていた。
こういう場には当然のごとく現れるオリコン通信寄稿士のペンネーム"渡辺洋"氏に、ここで開催されるイベントの内容について問うてみると、この後,、TBSラジオの"土曜の夜につかまえて!"という番組の生放送がある、出演者は、エンジェルスに彩木美来女史など、とのことであった。
オリコン通信寄稿士のペンネーム"CHAO・XX"氏が好む出演者ではあるが、"CHAO・XX"氏の姿はないようである。
そのうち、服部名人以下、通称”服部軍団”の面々も現れた。服部名人が会場を仕切っているような感じである。

22時になり、放送開始。
エンジェルスの面々、彩木女史以外にも、出演者が多数いるのではあるが、小生が認識できたのは澤崎愛子女史のみ。オリコン通信寄稿士のペンネーム”渡辺洋”氏に出演者を聞き取ると、木村真季、原田徳子、加藤房江、中江幸恵、村上弥子(敬称略)との答えが返ってきた。”ミス・アクション”関連の出演者とのことである。

放送は24時前に終わったが、皆、何となくその場に残っている。佐野量子女史の専門ミニコミ誌スタッフのYM氏は、クイントインテグラで来ているので、問題ない。小生も、蒲田行き最終電車まで時間はある。やがて、出演者が日比谷シャンテBOLCK3のビルディングから出て来た。それを見送った後、ようやくと、解散という雰囲気になった。

小生は、有楽町駅から京浜東北線の電車に乗車し、蒲田駅で下車。大田区多摩川に宿泊した。

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2019年5月 5日 (日)

1989年5月5日

本日、伊豆富士見ランドで開催される国実百合女史のイベントに参加する予定の小生は、"百合ちゃん新聞"の編集発行人のNM氏らを乗せ、小生の自家用車で、伊豆富士見ランドに向かった。

小生にとっては、1988年5月4日以来、ほぼ一年ぶりの伊豆富士見ランド来園である。

例によって、大量にある招待券で入場し、座布団が敷いてある大広間で、2回まわしのイベントを観覧した。

イベント終了後も、例によって、富士見ホテルのロビーに移動。出待ちをするNM氏に付き合う。

ホテルの車寄せで国実女史を見送った後、小生らも下界へと降りたのであった。

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2019年5月 4日 (土)

1989年5月4日

本日、小生は、横浜博覧会会場内で開催される”YES’89フレッシュLIVE”に参加する予定であるため、早朝から、横浜博覧会の桜木町ゲート前に待機していた。

小生とその一行は、開場後に、可及的速やかに本日の会場である"YES大ホール”前へと移動し、入場順番待ちの列を形成した。
その後、10時になって整理券が配布され、列は解消された。

会場内を見て回る時間ができたわけだが、ゴールデンウィークのさなかの、もうすぐ昼時という時間帯のためか、会場内はたいそうの混雑状態で、どこのパビリオンも長蛇の列となっている。
軽い昼食を採るためにに、長い列に並んで、ずいぶんと時間がかかった。
その後、コスモクロック21のゴンドラに乗って一回りし、YES大ホール前に戻ろうかという頃合い。会場内の大通りの脇に舞台が設置されているのを発見した。

イベントの気配を感じとった小生は、一人、その舞台周辺をうろついていると、はたして、イベントがはじまった。
登場したのは、蓮舫女史、川島みき女史、結城めぐみ女史。要は、"クラリオン"のイベントであったのだが、芸映フリークの小生としては、芸映所属2名を観ることができたので、望外の幸運であった。

そんなイベントも終わり、YES大ホール前の佐野女史関係の知人と合流した小生。ようやくと、YES大ホールに入場することができた。

なお、本日の出演者は、佐野量子女史、八木さおり女史、岡本南女史、山崎真由美女史である。

こちらで入場。

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 こちらの券は、端に近いということで使用しなかった。

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会場内には、レコード等を販売するための テーブルが設けられていた。小生がそのテーブルに近づいていくと、不意に小生の名前を呼ばれた。テーブルの向こう側にいたのは、元キクイチミュージックセンターダイヤモンド地下街店の店長であったK氏であった。キクイチミュージックセンターダイヤモンド地下街店が閉店して以来お会いしたことはなかったので、一年程ぶりの再会である。K氏に頼まれて、何も買わないというわけにもいかないので、岡本女史のアナログ盤などを購入する小生であった。

イベントは、出演者がひとりづつ登場し、持ち歌を歌うという形式。八木女史、岡本女史、山崎女史はカラオケでの歌唱であったが、佐野女史だけは、専属バンドの"トゥモローズ"による生演奏であった。

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