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2017年6月24日 (土)

1987年6月24日

本日は、朝霞市民会館において日本テレビ"ベストカップル歌合戦"の公開録画が行われる日である。
先日入場券を入手した小生は、10時30分に東武東上線池袋駅のプラットホームの一番前で同志と待ち合わせ、東武東上線の電車に乗って会場の朝霞市民会館に向かった。

朝霞駅で下車。朝霞駅に降り立つのは1987年6月13日以来である。そのまま徒歩で朝霞市民会館に向かう。
朝霞市民会館に到着し、整理禁をいただく。すでに整理券の配布ははじまっており、あまり若い番号ではなかったが、市民会館内にはそれほどの人はいない。地元の者は整理券を入手した後、一旦自宅に戻っているのだろう。
小生はというと、どこへとも行くあても無いため、市民会館内で知人と話をしながら時間をつぶしていた。

現地でも何人かの知人と合流した結果、本日の顔ぶれは、"関東一のおっかけ"ことIH氏、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏となった。SA氏は入場券を持っていないとのことだったので、余分にいただいた入場券を提供した。
"ワープロ君"ことUM氏は、一端会場を場を離れ、残りの5人はホール入口に並んで会場を待っていた。ホール入口にいると、出演者の入りがわからないため、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏で、ホール裏にある駐車場に行き、佐野量子女史のマネージャーの鈴木氏の"黒いプレリュードを探したのだが、遂に発見できなかった。

やがて会場の時刻が近づくと、どこからともなく人々が現れ、会館外まで伸びる列ができた。前列のほうには、近所の方々とおぼしき年配の者。そして小生ら。後方には、学校が終わってからやってきた比較的年齢の若い者たち。そして、本日の出演者の長与千草女史のファンとおぼしきピンクのポンポンを抱えた集団。総勢は100人程度か。朝霞市民会館のホールの収容人員からすると、寂しい人数ではある。松本典子女史、石野陽子女史のファンとおぼしき集団は見あたらない。

17時会場。列をなして入場する。地元の方々は、席にそれほど頓着ないようで、小生らが入場したときも、最前列の席は空いていた。最前列といっても、前3列は封鎖されていたため、4列目が最前列となる。その4列目中央の席を確保した。
後方を見やると、会場内はやはり空席だらけである。逆に会場内をテレビカメラで抜かれる心配が少なくなるかもしれない。

堀敏彦氏が舞台上に現れ、前説がはじまる。その話しによると、本日は2本録りのようである。写真撮影も禁止されてはいないようであった。途中で帰らないで収録の最後までいてほしい、とのお願いもあったが、お目当ての出演者が1本目に出てしまったら2本目まで残らないかもしれない。

19870624ベストカップル歌合戦_堀敏彦

1本目の収録開始。岡田真澄氏、榊原郁恵女史の2名が司会である。
審査員は、近江敏郎氏、塩沢とき女史の2名。

1本目の出演者は、宮内洋氏、長与千種女史、向明子女史、北話友樹氏、森末慎二氏、田中美佐子女史、林与一氏、松本典子女史であった。
これで2本目の収録にも参加することは決定である。

19870624ベストカップル歌合戦_1

この番組は、"ベストカップル歌合戦"の名称のとおり、男女1名づつが一組となって曲を歌うというもの。
1本目の収録の曲目は、
「雪国」宮内洋、長与千種

19870624ベストカップル歌合戦_宮内洋、長与千種

歌唱はワンコーラスのみであった。引き続き、
「居酒屋」日向明子、北話友樹
「テネシーワルツ」森末慎二、田中美佐子
「別れの夜明け」林与一、松本典子

19870624ベストカップル歌合戦_林与一、松本典子

と歌唱が続く。

引き続き
"イントロ歌合戦"のコーナー。これは、ピコピコハンマーを持った出演者がステージ後方の椅子に腰掛け待機。曲のイントロが流れ、曲名がわかったものがピコピコハンマーで、ステージ前方にあるタヌキのぬいぐるみの帽子部分をたたき、最初にたたいた者の組が解答権を得る、解答権を得た組は、その曲を歌うことにより解答するというゲームであった。
ゲームは白熱し、腰掛けている椅子からタヌキのぬいぐるみへとできるだけ早く駆けつけようと、松本典子女史は靴を脱ぎ、長与千種女史は裸足になり、森末慎二氏は上着を脱ぐ始末。

その後、"審査結果発表"。
"ベストカップル賞"を、森末、田中組が受賞。"審査員特別賞"を、宮内、長与組が受賞することとなった。

2本目の収録では、

19870624ベストカップル歌合戦_2

「お化けのロック」嶋大輔、石野陽子

19870624ベストカップル歌合戦_嶋大輔、石野陽子

「いつでも夢を」樋浦勉、川島なお美
「わかれ道」横光克彦、松居直美
「あずさ2号」関根勤、佐野量子

19870624ベストカップル歌合戦_関根勤、佐野量子

と歌唱が続き、その後、"イントロ歌合戦"のコーナーとなった。

1曲目のイントロが流れる。流れだすと同時に出演者はタヌキのぬいぐるみめがけて走り出す。佐野女史と川島女史との間でピコピコハンマーの奪い合いとなり、川島女史がピコピコハンマーを勝ち取りタヌキのぬいぐるみをたたいた。がそれより前に、佐野女史は右手でピコピコハンマーの取り合いをしているさなか、左手でタヌキのぬいぐるみをたたいていたのだった。
曲が停止した。佐野女史の反則により川島女史の組に解答権があるかと思われたのだが、そこはバラエティー番組の緩さからか、司会者は佐野女史の組が解答するよう差配をする。不満そうな表情を浮かべる川島女史。
解答のため再び曲が流れだす。曲は南沙織の「17才」。誰もが知っているような曲である。満を持して歌い始める佐野女史、のはずだったが、まったく歌えない。助けに入る関根氏も、これまた歌えない。松居女史から"知らないんで押したんでしょ、ずるいじゃないの"と当然のクレームが入る。それを、"Where come from?"と英語でごまかす関根氏。

2曲目。ヒールある靴を脱いで両手に持ち走り出す体制を整える松居女史は、曲が流れだすと、一目散に駆け出し、ピコピコハンマーに目もくれず、自分の靴でタヌキのぬいぐるみをたたく。さすがバラエティー慣れしている振る舞いである。曲は「男の背中」。松居女史の歌は怪しかったが、同じ組の横光氏が完璧に歌いこなす。それでも"これはわたし知ってましたから完璧に歌いましたよ今"と笑いを取る松居女史。
笑いを取って満足したのか、靴を履く松居女史。

3曲目。もう"ピコピコハンマー"でたたくというルールは関係い。駆け寄ってタヌキを手でたたく石野女史。"トンカチ残ってる陽子ちゃん、これはなに?"と突っ込みを入れる松居女史。嶋氏に"おまえは靴だよ"と言われ退散。曲は「よろしく哀愁」。

4曲目。司会の岡田氏の"イントロはこれ"の声とともに走り出す一同。"ピコピコハンマー"を真っ先に手にとりタヌキのぬいぐるみたたいたのは佐野女史。が、まだ曲は流れだしていなかった。あわてて椅子まで戻った佐野女史。佐野女史をつかまえ"あなた、歌えるものなら歌ってみなさいよ"と詰め寄る松居女史。関根氏が"あしたわたしは~"と「あずさ2号」の出だしを歌いフォローするのだが、"だめよ、ちょっとかわいいからって"と追い打ちをかける松居女史。"直美ちゃんもかわいい"と榊原女史の言葉に、"そーお、なーんだ、落ち着こう"と椅子に戻る松居女史。

仕切り直しの4曲目。関根氏がタヌキのぬいぐるみ手でたたき、そのあとすぐ、"ピコピコハンマー"を手にした佐野女史が、タヌキのぬいぐるみをたたく。岡田氏の"誰がたたいた"との問いかけに手を挙げる佐野女史。松居女史からは"あなた絶対歌いなさいよ"との突っ込みが入る。曲は「目ン無い千鳥」。しかし途中から歌えず"ラララ~"でお茶を濁し、結局関根氏が「あずさ2号」でごまかす。

5曲目。松居女史が解答権を得て「おんな港町」を歌う。客席に歩み寄り、手を出すしぐさをする松居女史に、榊原女史が"松居直美オンステージでした"と笑いを取りにいく。

ここで、曲が流れだすまで腰掛けている場所を入れ換えることになり、佐野女史に向けて"入れ換えてもおなじよ"と牽制する松居女史。

6曲目。大コケする関根氏だったが、解答権を得たのは嶋氏の組となる。松居女史"あなた命懸けでこの番組やってるんじゃないの"との問いかけに対し"舞台で死ねればいいと思ってますからね"と答える関根氏。曲は「年下の男の子」。嶋、石野組が無難に歌いコーナー終了。

19870624ベストカップル歌合戦_2_イントロ歌合戦

"ベストカップル賞"は、嶋、石野組。"審査員特別賞"を、横光、松居組が受賞することとなった。

関根氏、松居女史と、バラエティー番組慣れした出演者により、2本目の"イントロ歌合戦"は大きく盛り上がり、曲が流れだした途端、客席に向かって走ってくる出演者たちの迫力に気押され気味の小生であった。

収録が終わりホールを出た。
しばらくホワイエにいると、佐野女史とマネージャーの鈴木氏が、何人かの子供たちを引き連れて歩いていくのが見えた。郊外の子供たちは芸能人がめずらしいのであろう。
二人の向かう先を確認していた小生であったが、通路の先を曲がり、見えなくなったところで、その先を追うのは、今の小生の領域ではないと、自制した。
また、他の者も、後を追おうとはしなかった。

そして、小生ら6人は朝霞市民会館を出て、徒歩で朝霞駅に向かった。

朝霞市民会館前の道路は、センターラインはなく、歩道の整備もされていない。周囲は未だ畑が多く、一人で歩くならば暗く心細いであろう道路である。
今しがたまで朝霞市民会館にいた者たちが帰路につくのであろうか、何台もの自動車に後ろから追い抜かれる。狭い道幅のため、自動車のヘッドライトを背中に感るたび、小生らは一列に並んで車をやり過ごそうとする。
一台の濃紺のセダン型の自動車が通りすぎたそのとき、排気音の中を貫いて、甲高い音が小生の頭を貫いた。その音が、実は人の声だとわかったのは、遠ざかる自動車の助手席から後ろ向きに顔を出した女性が、何か叫んでいるということを確認できてからだった。その自動車は、助手席に乗っている女性の顔の判別もできないほど遠ざかってはいたが、"ありがとー、またきてねー"という言葉となってはっきりと聞こえたのだった。顔の判別ができず、走り去った自動車が黒いプレリュードではなかったが、叫んでいるのは佐野女史に他ならない。

先程の"イントロ歌合戦"で気分も高揚していたのであろうか?。普段はおっとりしているように見える佐野女史が、声を張り上げて叫んでいるという事実に、少々あっけにとられながら、手を振って遠ざかる自動車を見送る小生であった。やがてその自動車の濃紺色は、赤いテールランプと左折を示す点滅する橙色の灯火を残して闇に溶け、交差点を朝霞駅方面に左折したところで、小生らの視界から消えていった。

佐野女史を見送った小生は、宴のあとのような余韻に浸りながら、朝霞駅に向かって歩いていく。同じように余韻に浸っているのであろうか、誰もが無口であった。ただ一人"ワープロ君"ことUM氏を除いて。
駅に近づくにつれ畑は減り、人家が、そして商店が多くなってくる。

道路は、一旦駅の東へと渡る跨線橋の下をかすめ、そして跨線橋へと分岐する交差点に差しかかる。

まず、異変に気づいたのは、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏の2名であった。こういう場で真っ先に気づくのは、往々にして小生なのである。"あの車は…"と小声で話す小生とIH氏。"あの車"とは、道路の左側を歩く小生らの反対側に停車している、濃紺のホイールキャップを付けた濃紺のセダン、車種はいすゞのジェミニであった。それは、小生らの側から見ることができる全てのガラスがスモークになっているような先程佐野女史が乗っていたとしか考えられない自動車であった。
小生が立ち止まったことで、他の面々も異変に気づいたようであった。

"あの車"と小生が指さすと、"ワープロ君"ことUM氏はその自動車めがけて駆けだしていった。道路と自動車の前を横切り、助手席に張りついた。助手席の窓が空き、そして、自動車はUM氏を残し走り出した。跨線橋を渡り、今度こそ、小生らの眼前から消えて言った。

しかし、何のためにあの場にいたのだろうか。
"ワープロ君"ことUM氏が言うように、小生らをわざわざ待っていたのかもしれない。単に東京方面への道順を確認していただけなのかもしれない。

ただ、そんなことはどうでも良いことのように感じた。
今日は、今まで見たこともない、佐野女史の一面を見ることができたのだから。

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