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2019年2月26日 (火)

1989年2月26日

鳥羽シーサイドホテルに宿泊した小生。
朝食後ホテルをチェックアウトする。

岐路は、名古屋大学アイドル研究会のIS氏の自家用車で名古屋まで送ってもらうことにした。
鳥羽シーサイドホテルで他の参加者と分かれた一行は小生ら4名。EXAの定員は4名なのである。

IS氏が運転するEXAは伊勢志摩スカイライン経由、伊勢神宮前を通過、久居インターチェンジから伊勢自動車道に入った。そのまま名古屋まで行くことができるのかと思いきや、すべての車両は関の本線料金所を通過したのち、名阪国道に下ろされてしまった。しばらく名阪国道を走った後、亀山インターチェンジから東名阪自動車道に乗るという経路になっている。東名阪自動車道区間に入ると、交通量はかなり増えたが、それでも渋滞なく、木曽三川を越え、名古屋西インターチェンジで一般に下りて、IS氏の契約している駐車場に到着した。

駐車場から岩塚駅まで徒歩で移動。岩塚駅から名古屋市営地下鉄東山線に乗車し、名古屋駅で下車。
ちょうど、東海ラジオ放送の"ユニモール歌謡スタジオ"の公開録音がはじまる頃合いの時間だったので、ユニモールスタジオへと立ち寄ることにした。

小生がユニモールスタジオでのイベントに参加するのは、1987年11月29日以来、そのときは椅子席で観たのだが、今回は立ち見である。

本日の出演者は、本田理沙女史であった。
新曲「本気! 」のプロモーションのための出演ということになろうかと思われる。
ちなみに曲名は、"本気"と書いて"マジ"と読ませる、売野雅勇氏がにありがちな手法なのだが、本田女史の曲はいままで阿久悠氏が手がけているので、今回も阿久氏の作詞なのであろうか?、そのあたりは曲が発売されれば、おのずと判明することではある。

イベント終了後、名古屋市営地下鉄東山線で本山駅まで移動、名古屋大学アイドル研究会の編集部となっている第二陽気荘におじゃまし、その後、名古屋駅に戻り、名古屋駅から新幹線で帰宅した。

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2019年2月25日 (月)

1989年2月25日

本日は、小生が所属する某同人の一泊旅行が催行される。目的地は鳥羽シーサイドホテルである。

鳥羽へ行くのには、名古屋からは近畿日本鉄道の特急列車を利用するのが一般的なようであるが、本日は"青春18きっぷ"を利用しているため、JR関西本線、紀勢線、参宮線と乗り継いで鳥羽駅へと向かう小生なのであった。

19890125青春18きっぷ(表)(150dpi)


名古屋駅を出発するときは電車に乗車していた小生であったが、亀山駅からは気動車となり、さらに伊勢市駅で乗り換えた気動車は、バスさながらに、乗車時に整理券を取り、客室最前部には番号と運賃が表示される機器が設置されている、ワンマン運転の車両であった。2扉の車内は、ロングシート部分とセミクロスシート部分に分かれている。車内は閑散としており、セミクロスシートの4人分を小生一人で占領しても、良心の呵責に耐えられなくなるようなことなどあり得ない。
車内は最後まで閑散としたまま、列車は終着駅の鳥羽駅に到着した。
鳥羽駅では、渡瀬麻紀女史のポスターが、小生たちを出迎えてくれた。


鳥羽駅で、近畿日本鉄道の特急列車で来る者等と合流し、鳥羽シーサイドホテルの送迎バスに乗車し、総勢二十余名が本日の目的地に到着した。
他に、自家用車で直接ホテルまで乗り付ける者もいる。


部屋に通され、一風呂浴びた後、大広間で宴会となった。

各自が持ち寄ったコンパクトカセットテープを再生して、有名どころからほとんど無名と思われるアイドルの歌を拳をふりあげて絶叫する小生らの姿に、給仕にのために付いている仲居さんたちも目を丸くして驚いていた。

19890225鳥羽シーサイドホテル

そんな大騒ぎ状態の宴会のなか、ひときわ印象に残ったのが、再生される曲が、渡瀬麻紀女史の「パールモンド・Kiss」になったとき、仲居さんがうれしそうに手拍子をしだしたことである。
渡瀬女史は鳥羽出身だけあって、地元では愛されているのだな、と感じた瞬間であった。

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2019年2月19日 (火)

1989年2月19日

前日から東京都大田区多摩川に宿泊した小生。
全国イベント情報が集まるここ大田区多摩川で本日のイベントを物色し、本日参加するイベントとして、亀戸天神社で開催される伊藤美紀女史のイベントを選定した。

東京急行電鉄の目蒲線、東横線と乗り継ぎ、中目黒駅で帝都高速度交通営団日比谷線に乗り換え、銀座駅で同銀座線に乗り換え、浅草駅で東武鉄道伊勢崎線に乗り換え、曳舟駅で同亀戸線に乗り換え、亀戸駅に到着した。
小生が亀戸駅に降り立つのは初になる。

東武鉄道亀戸線には亀戸水神という駅もあり、亀戸天神社とまぎらわしかったが、亀戸天神社の場所を地図で確認し、徒歩15分ほどで、亀戸天神社に到着した。

鳥居を潜ると、すぐに太鼓橋が控えていた。立派な太鼓橋である。太鼓橋の頂点部からあたりを見晴らすと、境内はなかなかに広い。さらに参道を進むと、また一つ太鼓橋あり、その橋を渡ると、拝殿の前に到達する。

拝殿に向かって右手に広場があり、ここに来てはじめて、本日の伊藤女史のイベントのために来たらしき人の姿を観ることができた。


本日のイベントの内容は、ファンのための合格祈願の参拝と御祓いを行うといったものであった。

小生ら一行は、伊藤女史とそのファンの方々が参拝する様子をみていた。
風もなく空は晴れわたった、のどかな2月の日であった。


イベント終了後、亀戸駅に戻り、今度はJR線で帰途に就く小生であった。

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2019年2月18日 (月)

1989年2月18日

渋谷で、オリコン通信寄稿士が主な構成員となっている某同人の新年会に参加。

会場は日本橋亭。

終了後、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年2月17日 (日)

1989年2月17日

大喪の礼で休日となった本日、小生はニッポン放送の"ロッテヤンスタNo.1"の公開録音に参加の予定である。

 

 

"ロッテヤンスタNo.1" の"御招待券"は、事前に応募し、当選すると送付されてくるものなのだが、小生の自宅宛には送付されてこなかった。ただし、知人の名前を借て応募もしてあり、今回、千歳烏山の知人のあてに"御招待券"が届いていた。
このため、まずは、千歳烏山まで"御招待"を受け取りに向かう。
品川から新宿に向かう間、時間に余裕があったので一旦五反田駅で下車し、浅井企画の事務所に寄り佐野量子女史のスケジュールを確認。
その後、新宿駅で京王帝都電鉄京王線に乗り換え、千歳烏山駅で下車。
無事に"御招待券"を入手し、新宿駅に戻る。

 

新宿駅から山手線に乗車し、秋葉原駅で下車。石丸電気本店で残り少なくなったアナログレコードなどを物色。
御茶ノ水駅か中央線緩行線の電車に乗車し、市ヶ谷駅で下車。

 

本日、シャープ東京ショールームで山崎真由美女史を観ることができる、という情報を得たので、有楽町駅に向かう前に、市ヶ谷駅に向かった小生なのであった。

 

 

既に整理券の配布は終了していたため、シャープ東京ショールームの中には入ることはできず、ガラス越しでの観覧となった。

 

知人らとともに、ショールーム内を望む道路に面したガラス前に立っていると、どこからともなくワープロ君ことUM氏が現れた。久しぶりに見る顔である,氏は、この世界から足を洗ったという。こういった場所に現れるわけなので、その言葉を鵜呑みにするわけにもいかない。とはいえ、1988年3月31日以来のUM氏との再会なので、小生が普段行くイベントの会場には行っていないことは確かである。1987年3月4日にワープロを貰った思い出の場所であるここにだけは、定期的に来ているのかもしれない。

 

イベントが終了し、シャープ東京ショールームから出て来る山崎女史を見送った後、帝都高速度交通営団有楽町線に乗車、有楽町駅に向かう。

 

 

有楽町駅で下車し、駅から徒歩でニッポン放送本社前に到着。
すでに"常連ズ"の面々が集まっている。月に2回ほどはここに集っているであろう"常連ズ"の面々とは違い、小生にとっては1988年7月22日以来の"ロッテヤンスタNo.1"公開録音への参加となる。

 

本日の出演者は、佐野量子女史、CHA-CHAの4名、中村由真女史、河田純子女史である。

 

ラジオハウス銀河に入場。

 

2本録りの1本目の出演者は、佐野女史と、CHA-CHA。

 

佐野女史は「さよならが聞こえない」を歌唱。
イントロが「人生いろいろ」に似ている。

 

CHA-CHAは「 いわゆるひとつの誤解デス」を歌唱。

 

2本目の出演者は、中村女史と河田女史。

 

中村女史は、新曲が発表されても良い時期なのではあるが、本日は旧作を歌唱。

 

河田女史はデヒュー前である。
受け答えや、しぐさのひとつひとつから、緊張感が伝わってくる。
そしてそれが初々しさにつながり、河田女史から照り返るスポットライトの光がより強くなったようであった。
河田女史を甚く眩しく感じたのは、決して、白い衣装のためだけではなかったはずである。
デビュー曲の「輝きのスケッチ」も、一聴した限り、良曲と感じた。
小生の隣にいた佐野量子女史の専門ニミコミ誌"おれんじ・てぃー"の編集人も、河田女史を気に入ったようであった。
ただし、小生とAN氏の間では"今はデビュー前だからかわいいけど1年くらいしたらケバくなっちゃうんだよなー"という会話がなされていた。河田女史に限ってはそうならないことを願うのみである。 

 

 

終了後、有楽町駅からJRの電車に乗車し、帰宅する小生であった。

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2019年2月12日 (火)

1989年2月12日

大田区多摩川に宿泊した小生。

国実百合女史の専門ニミコミ誌"百合ちゃん新聞"の編集発行人であるNM氏らとともに有楽町駅に向かう。

本日は、第一生命ホールにおいて国実百合女史のミニコンサートが開催されるのである。
ミニコンサートといっても、その実態は、山野楽器で音楽媒体を購入または予約すると参加券をもらうことができるイベントである。
山野楽器ではこの手のイベントを良く開催している。石川秀美女史の九段会館でのイベントも同種のイベントであった。
とはいえ、多くの動員が見込ないのであれば、自前の"Jam Spot"で開催すれば良いわけであり、国実女史への期待が大きいことが伺われる。

会場となる第一生命ホールは、GHQの総司令本部が置かれいたことでも有名な第一生命館の6階にある、収容人員は600人程のホールである。

本日は日曜日のため、一階の第一生命の事務所に人気はなかったが、エレベーターは稼働しており、小生らはエレベーターに搭乗して6階に向かう。

エレベーターを降り、ホールのホワイエ部分に入る。同行するNM氏は、スタッフの方にあいさつをしている。小生はまだ参加券を持っていなかったのであるが、NM氏の威光もあったのか、そのまま入場することができた。
舞台の緞帳は上がっており、後方に"国実 百合""バレンタインミニ・コンサート""㈱山野楽器 ㈱芸映プロダクション コロムビアレコード"と記載された看板が掲げられていた。
山野楽器の主催のホールイベントの例に漏れず生バンド演奏ではないようである。


イベント開始。
国実女史は、白い衣装で登場し、8曲を歌唱。

最後に握手会となったが、券を所持していない小生は参加せず、舞台下で握手会の様子を見ていた。
参加者には、サイン色紙と、"バレンタインミニ・コンサート"と銘打ったこともあってか、チョコレートが配布されていた。

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2019年2月11日 (月)

1989年2月11日

本日は、TBS東京放送のT.V. 番組"邦子のタッチ・ ミー!"の収録に参加。

会場はTBSホール。ゲスト出演者は、西村知美女史であった。

終了後は大田区多摩川に宿泊した。

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2019年2月 4日 (月)

1989年2月4日

本日は、川崎岡田屋モアーズにおいて開催される、ニッポン放送の"モアモア歌謡センター"の公開生放送の観覧。

出演者は、吉田真里子女史であった。

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