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2019年3月26日 (火)

1989年3月26日

前日、大田区多摩川に宿泊した小生、本日は、別に住居があるのにもかかわらず、最近はここ大田区多摩川にほぼ居住している""NM氏とともに、国実百合女史のイベントに行くこととした。
場所は第一生命ホール。
1989年2月12日に参加した国実女史のイベントと同じ場所である。
名目的には、国実女史5枚目のシングルレコード「あなたしかいらない」の発売キャンペーンとなるイベントである。
オリコン・ウィークリー誌上に掲載された「あなたしかいらない」の発売告知広告には


国実百合ミニ・コンサートツアー

●3/21(火)横浜高島屋6Fホール<14:00~>

●3/22(水)浜松 イケヤ3Fホール<13:00~>

●3/25(土)大阪 ミューズホール<12:00~>

●3/26(日)東京 第一生命ホール<15:30~>

●3/27(月)福岡 天神ビブレホール<15:00~>

●3/28(火)高知 高新文化ホール<13:00~>

●3/29(水)広島 YMCAホール<14:00~>

●4/1(土)札幌 メッセホール<15:00~>

●4/3(月)大宮 フリークス<13:00~>

●4/5(水)仙台市戦災復興記念館<14:30~>

●4/9(日)名古屋 ヤマハ7Fホール<16:30~>

と、全国11か所でのイベントが掲載されている。
本日のイベントは、そのうちの4か所目のイベントということになる。

今回は、レコードを購入。
握手会に参加し、サイン色紙をいただいた。
19890326国実百合サイン色紙@第一生命ホール(150dpi)

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2019年3月25日 (月)

1989年3月25日

前日、東京都内の中古レコード店巡りをした後、大田区多摩川に宿泊した小生。
本日は、全国朝日放送株式会社制作のT.V.番組"アイドル共和国"の生放送が開催されるという"西武園ゆうえんち"に向かう予定である。
この、"アイドル共和国"という番組は、今回のT.V.番組の改編による新番組のため、観覧が可能かどうかについての情報がなかったのではあるが、行けば何とかなるという考えで、西武新宿線の車上の人のなった小生であった。
小生は"知美ちゃん新聞"のスタッフでもあるオリコン通信寄稿士のペンネーム"西崎知紀"氏とともに、大田区多摩川から出立する。
東村山駅で、西武西武園線に乗り換え、西武園駅で下車。
小生にとっては、西武園駅を利用するのは初である。
西武園駅から、ゆるやかな登り坂を歩く。右手にある施設が西武園競輪場から、西武園遊園地に変わり、またしばらく歩くと、西武園遊園地の中央口が見えてきた。
西武園遊園地へ入場。
小生にとっては、西武園遊園地へ入場するのも初となる。
入園し、園内のどこかにあるであろう"舞台"を探す。
園内には若い女性がすこぶる多いが、そのほとんどの者は本日の"アイドル共和国"出演者を観に来たということが、その風体で知れてしまう。
園内を歩きまわっているうち、池のほとりに舞台が設置されいるのを発見した。
すでに、池に面して3重くらいの人垣ができていたが、幸いなことに、集まっているのはほとんどが女性だったので、舞台に向かっての視界は十分に確保することができた。
"3万円"NA氏、"赤いメガホン"K氏も、その場所に集まって来ている。場所的に、ここに集まるのは必然なのであろう。


番組開始。本日の司会は、夏木ゆたか氏、清水圭・和泉修の2人、SMAP5人。

まず、司会者と出演者が出てきて、"アイドル共和国"の開国ということで、テープカットが行われた。

出演者は柏原芳恵、大西結花、芳本美代子、佐野量子、島田奈美、西村知美、光GENJI、酒井法子、生稲晃子(敬称略)。

その後、TOMMY PAGE氏が"アイドル共和国"の歌の!「REPUBLIC OF IDOLS」を歌うが、口パクだった模様。

屋外舞台では、
生稲晃子女史の「ファンファーレが聴こえる」
島田奈美女史の「春だから」
が、続けて披露された。
その後、屋内からの放送になったようで、屋外舞台はしばらく時間が開く。
再開は、SMAPの歌で、5人で「SMAP」を歌うが、やはり口パクだった模様。
そして、本日は一人欠席しているようである。
また、しばらく時間が開いて、
西村知美女史が、「さよならの学生通り」を歌唱。
酒井法子女史が、「おとぎの国のBRITHDAY」
を歌唱。
その後は屋内会場からの放送になったようで、いつの間にか番組は終了していたようである。
さすがにこれだけ広い西武園ゆうえんちで、出を待つのも困難と思われることから、小生は、オリコン通信寄稿士のペンネーム"西崎知紀"氏とともに帰途につくことにした。


帰路は、西武遊園地駅から、西武多摩湖線のを経由し、国分寺駅に出て、国分寺駅からJR線を利用することにした。

小生にとって、西武園遊園地駅利用は初となる。

西武多摩湖線は、20分に1本列車が出ていたが、この時間はすべての列車が小平駅行きであったため、荻山駅での乗り換えを余儀なくされ、不便であった。

国分寺駅は橋上駅化され、駅ビルができていた。

国分寺駅からJRに乗車。
そして本日は、大田区多摩川に宿発した。

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2019年3月21日 (木)

1989年3月21日

春分の日の本日は、新人歌手のデビュー日に選ばれることが多い3月21日という日と、春分の日が重なり、全国各地でイベントが開催されている。
そんな本日、小生がいる場所は、読売会館の前、読売会館というより、有楽町そごうといったほうがわかりやすいかもしれないが、本日の目的地はそごうではなく、読売会館7階のよみうりホールなのである。
本日よみうりホールでは、中山忍女史のイベント、そしてその後河田純子女史のイベントと、2本のイベントの開催が予定されている。


まずは中山女史のイベントであるが、座席指定はされていないので、整理番号順に並び整列入場する。

小生にとっては、初のよみうりホール入場である。

入場した後は、席は早いもの勝ち。小生らの席は、1階の中程といったところである。

19890321よみうりホール招待券(150dpi)
日本青年館で開催された中山女史のデビューイベントでは空席が目立ったが、本日は、少なくとも1階席についてはほぼ満員であった。
"そこう"のマークの入った緞帳が上がる。
なんと演奏は生バンド、中山女史への力の入れ具合が伝わってくる。
会場は1曲目から総立ちである。
中山女史は、新曲の「負けないで、勇気」を含めて、シングル曲のA、B面を歌ってイベント終了となった。
この後よみうりホールでは、河田純子女史のイベントが開催されるのであるが、観客は、全員が一旦退場させられる。


この入れ換えの間に、小生らは、小高恵美女史のイベントを観るため、銀座三越屋上へと急行する。

オリコン・ウィークリー誌の広告には、
"小高・め組参上キャンペーン春篇"として
3月21日(祝)12:00~大宮そごう屋上
        15:00~銀座三越屋上
3月26日(日)11:30~鳳ウイングス1F中央広場
        15:00~京阪くずはモール街汽車の広場
3月27日(月)12:00~岡山ビブレ21FGMホール
        16:00~広島ダイイチ本店7Fホール
3月28日(火)15:00~福岡・西新岩田屋屋上
4月2日(日)13:00~名古屋・テルミナ屋上
4月3日(月)15:00~仙台・藤崎デパート屋上
4月5日(水)14:00~札幌・そごう2F広場
と7日間10か所でのキャンペーンが開催されることが告知されており、本日はそのイベントの初日ということになる。
銀座三越屋上森の劇場に到着。小高女史のイベントの真っ最中であった。
椅子席までたどりつくことはできず、人垣のその後ろから、赤い衣装に赤い帽子をかぶった小高女史が歌っている姿を、なんとか観ることができた。


しかし、小生らは、河田女史のイベントに参加するために、小高女史のイベントが終了する前に、銀座三越屋上を辞して、再びよみうりホールへと向かわねばならなかった。


再びよみうりホールに入場した小生。座席は、先程の中山女史のときとほぼ同じような位置である。

1階席は、やはりほぼ満席となっている。

河田女史のイベントに参加するのは、今年の2月17日以来となる小生である。


「輝きのスケッチ」のイントロが流れだすと、緞帳が上がり、イベントが開始された。

河田女史は純白の衣装で登場。

たぶん2月17日と同じ衣装とである。

「輝きのスケッチ」は、普通サビの部分で入るワンツーが、サビ前のBメロ部分で入るような構成になっている。当然、そこで"ヒュー"と跳ぶ小生らなのである。

正直なところ、河田女史のデビュー曲について、デビューという慶事にもかかわらず斜陽のイメージのある"夕暮れ"を舞台にするのはいかがなものであろうか、という気もしていた。
しかしながら、森雪之丞氏の夕刻の情景を描いた曲には良作が多い。
夕日のように、水平に近い方向からの光に照らされるというイメージによって、歌詞の中に登場する人物の印象がより際立つのは確かである。
そして、今日この日の、色温度3000Kほどのスポットライトを浴びて歌う河田女史は、曲の世界の住人のようであった。
夕刻の情景を描いた曲は、コンサートのような舞台上で映える曲なのである。
思えば、中山女史のデビュー曲も夕刻が舞台であった。
河田女史は、デビュー直後ということで、持ち歌が少なく、本日のイベントは、他の歌手の持ち歌も歌う構成になっていた。


河田女史のイベントも終了し、よみうりホールから有楽町の駅前へと出されたときには、17時近くになっていた。

ここまでの3本のイベントだけでもすっかり満足していた小生であったが、この後東芝銀座セブンにおいて、田村英里子女史のイベントがあるとの情報を得ていた小生らは、晴海通りを下り、右折して中央通り入り、東芝銀座セブンへと向かう。

本日、田村女史においては、16時から新橋ヤクルトホールで、"ERIKO PARTY'89"なるイベントが開催されることが告知されいたが、その後、東芝銀座セブンに来るということらしい。
確かに、銀座7丁目は新橋からは目と鼻の先である。また、田村女史はレコード会社が東芝EMIということもあり、東芝銀座セブンにおいて、予定になかったイベントを入れることも、それほど困難なことではなかったのであろう。
小生が東芝銀座セブンでのイベントに参加するのは1985年3月16日以来となる。久しぶりに東芝銀座セブンビルへと足を運んだ小生を待っていたのは、ビルの入り口にできた人垣であった。
1階内に入りきれないほどの人が集まっていたのであったが、それでもなんとか舞台上の人は見える
田村女史は白い衣装で登場。
「ロコモーション・ドリーム」は、ちょっと甘ったるい感じの、良くできたアイドルポップス、といった印象。サンミュージックは21世紀物が好きなようである。


田村女史のイベントも終了し、4本のイベントを見終わったという充実感を胸にいだき、東芝銀座セブンから、中央通り新橋駅に向け歩く。

東京高速道路下の新橋センターを過ぎると、沈みつつある夕日が橙色の光で新橋駅越しに街を照らしていた。

小生の頭の中には、「輝きのスケッチ」を歌う河田女史の声が流れていた。

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2019年3月19日 (火)

1989年3月19日

本日の小生の予定は、"とうきゅうサウンドパラダイス"の公開録音への参加、ということで、取手とうきゅうへとやってきた小生。
取手とうきゅうに来るのは1988年10月30日以来である。
本日の"とうきゅうサウンドパラダイス"の出演者は、佐野量子女史と山中すみか女史。会場は、過去の佐野女史の出演のときの会場になっていた7階から8階への吹き抜け部分ではなく、屋上であった。
1階の軽食コーナーで東京国際マラソンを見ながら時間をつぶし、公開録音開始前に屋上へと上がる。
舞台後方に設置された看板によると、取手とうきゅうの"開店4周年記念大感謝祭"の"とうきゅうサウンドパラダイス"とのこと。
佐野女史には屋上開催にかなうだけのの集客力があると、主催者側が判断したということであり、次の曲が出る心配していたころから隔世の感がある。今となって思い返せば 「夢からさめない」を歌っていた頃が底であった。もはや小生がおらずとも、新曲キャンペーンやラジオ収録などのイベントで、佐野女史が心細い思いをするということもないであろ。そのようなイベント会場の前列は後進に譲るべき時期が来たのである。
遠くから舞台を見つめながら、そのようなことを考えていた。


取手とうきゅうでのイベント終了後、津田沼PARCOへと向かう。

柏駅で東武野田線に乗り換え。

船橋駅でJR線に乗り換え、津田沼に到着。

駅前の津田沼PARCOに入店、屋上へと上がる。
小生にとっては、初津田沼PARCOである。
津田沼PARCOの屋上で、中山忍女史のイベントに参加。
イベント終了後、津田沼にある中古レコード店に寄ってみた。
店名は"マニアック"だったが、品揃えはそれほどマニアックではなかった。

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2019年3月18日 (月)

芹沢直美「黙っててあげる」カレンダー

今回紹介する品は、芹沢直美女史のデビューシングルレコード「黙っててあげる」のカレンダーである。

縦90mm×横120mm。9片面カラーグラビア印刷、片面は2色オフセット印刷となっている。

二つ折りにして使用することが想定されており、中央部に折れ目が入っている。

"カレンダー"という機能上、2色刷りの面を表面とした。

芹沢直美「黙っててあげる」カレンダー(表)(120mm×90mm)(150dpi)

カラーグラビア印刷面に使用されている芹沢女史の写真は、レコードジャケットの写真とは違った衣装をのものである。
この写真の素性を確認しようということで、記事を書くのにあたり、オリコン・ウィークリ誌を確認してみたのだが、「黙っててあげる」の発売告知広告は掲載されていなかった。
当然、レコードマンスリー誌でも確認できなかった。

芹沢直美「黙っててあげる」カレンダー(裏)(120mm×90mm)(150dpi)

結局、他の広告媒体で使用されていたかどうかは不明であった。
ポリドールは、雑誌への発売告知広告に熱心でないという印象はある。

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2019年3月14日 (木)

白田あゆみ官製はがきサイズカード(表)(150dpi)

今回紹介する品は、白田あゆみ女史のカードである。
官製はがきサイズ、片面カラーグラビア印刷、もう片面は単色オフセット印刷となっている。

白田女史の2ndシングルレコード「Remember Me」を購入した際に、レコード外袋に封入されていたものであるが、このカードの写真は、白田女史のデビューシングルレコード「恋しくて」の告知ポスターに使用されている写真と、同衣装であるので、このカードは「恋しくて」の販促グッズであると思われる。

ただし、「恋しくて」の販促グッズであるという確証がないため、表題は"白田あゆみ官製はがきサイズカード"とした。

白田あゆみ「恋しくて」官製はがきサイズカード(表)(150dpi)

裏面は、白田女史のメッセージが印刷されいる。
その文面も、デビュー曲の販促グッズにふさわしいものであるため、よりいっそう「恋しくて」の販促グッズ感が高いものになっているのではあるが、断定はできないということには変わりはない。

ポストカードの体をとっているが、白田女史のメッセージが印刷されているめ、ポストカードとしては使用できないものとなっている。
メッセージが印刷されいない状態で、世に出ているものがあるの可能性もあるが、確認できていない。

白田あゆみ「恋しくて」官製はがきサイズカード(裏)(150dpi)

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2019年3月12日 (火)

1989年3月12日

本日の佐野量子女史の予定はニッポン放送"サンデーヒットパラダイス"収録となっている。
浅井企画から得た情報では、千葉にある"日本エアロビクスセンター"からの生放送ということだったので、小生は、佐野女史関係の知人らとともに"日本エアロビクスセンター"に行くことにした。


"日本エアロビクスセンター"の最寄り駅は外房線の誉田駅とのことであるが、公共交通機関はなく、誉田駅から日本エアロビクスセンターまではタクシーを利用することになりそうである。

千葉駅で外房線に乗り換え、誉田駅で下車。列車は二面三線の島ホームに停車したので、跨線橋を渡り片側にしかない駅舎の改札を抜ける。
小生が誉田駅に降り立つのは初である。
駅前に待機するタクシーはいなかったので、しばらく待ってタクシーを拾い、日本エアロビクスセンターへと向かってもらった。

小生らを乗せたタクシーは、駅前出て線路を渡るとすぐに丘陵地帯へと入っていった。
駅からさほど離れはいないのに、ずいぶん遠くまで来てしまったという印象である。
丘陵地帯に入って20分程走ったであろうか、森の木立の中に茶色い建物が見えてきた、そして左手に陸上のトラックが見えてくると、そのトラックの外周を4分の3周して、タクシーは茶色の建物の前に停車した。


建物の中に入る。
少数の従業員がいるだけの閑散とした空間が広がっていた。ラジオ番組の公開放送をしているような気配は感じられない。
従業員のかたに、ラジオ番組のことにについて尋ねてみると、
この建物の2階部分が体育館になっており、そこから放送するようである、
体育館の中には関係者しか入れない、
との情報を得ることができた。

体育館の中に入ることができなくても、外から観ることができるのではないか、
と考え、2階に上がり、出入り口の扉から体育館の中をのぞいてみると、その出入り口から遠く離れた対面する壁のそばに、ラジオ放送のスタッフらしき人影が見えたが、何分遠くて何をしているのかよくわからない。
ラジオ放送の現場を見ることはあきらめ、確実に佐野女子に会える方法として、佐野女子のマネージャーの鈴木氏のJETTAを探すこととした。

小生らは、日本エアロビクスセンターを広い敷地を歩きまわり、駐車場、というより未舗装ダブルトラックの道路上に、白いJETTAを発見した。

その場で待つこと1時間以上。ようやく、佐野女史とマネージャーの鈴木氏がJETTAの元に戻ってきた。
佐野女史はピンク色のトレーナーに赤いウインドブレーカーを羽織っていた。ラジオの収録会場で、なにかしらの運動をしてきたようであった。

佐野女史と小生らは、JETTAの傍らでたわいも無い会話をし、しばし時間を過ごす。

そして、佐野女史を乗せたJETTAは、1.8リットルのDOHCエンジンをひとふかしし、走り出す。佐野女史が、小生らからその姿が見えなくなるまで手を振ってくれているのは、相変わらずである。


日本エアロビスクセンターの駐車場に残された小生らは、帰る算段をはじめたが、結局タクシーを呼ぶしかないという結論に達した。
タクシーに乗り込んだ小生らは、運転手の勧めで、茂原駅へと向かうこととなった。
道路は丘陵地帯から、谷戸へと出る。途中、走っているべレットGTに遭遇などしているうちに、周囲に丘陵はなくなり、住宅が増えだすと、タクシーは茂原駅に到着した。

茂原駅前は、誉田駅前と比較して整然としているが、高架化された鉄道と、駅前の空の広さとがちぐはぐな印象であった。

小生らは、茂原駅から電車に乗車し帰途に就いた。途中駅の大網駅で椅子席に空きはなくなっていたので、茂原に出たという選択は正しかったのだろう。

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2019年3月 5日 (火)

1989年3月5日

前日から大田区多摩川に宿泊した小生、本日の目的地である川崎アゼリア地下街へと移動を開始する。

 

国道一号線に出て、反01系統の都営バスに乗車。多摩川大橋を渡り、リクルート川崎テクノピアビルの横を通り過ぎ、バスは川崎駅へと到着した。

 

イベントに参加しようという者にとっては既に"重役出勤"の時間である。
川崎アゼリア地下街のスタジオアゼリア前のカーペット部分の半分以上は場所取りの荷物などで埋まっていた。

 

本日のスタジオアゼリアでのイベントは、文化放送の"アゼリアPOPパーティー"の公開録音。
出演者は、伊藤智恵理女史、島崎路子女史、佐野量子女史、PunpKinの二人となっている。

 

さて、イベント開始までどうやって過ごそうか、と考えていた小生であったが、その小生の耳に、日比谷シャンテで佐野量子女史のイベントがあるとの情報が入ってきたのである。
それは行かねばならぬ、ということで有楽町に急行する小生。

 

 

川崎駅から有楽町駅までJRに乗車。有楽町駅から徒歩で日比谷シャンテに到着。
日比谷シャンテBOLCK3の、合歓の広場に面した部分は、ガラス貼りとなっており、そこにTBS東京放送のサテライトスタジオが設けられている。小生が、1988年9月23日に、"サントリーパラダイス天国"の収録のときに入館した建物の1階部分がそのサテライトスタジオである

 

 

本日そこで放送されている番組は、TBSラジオの"日本航空JAL MUSIC TOUR"であった。
パーソナリティーが小林克也氏と小林千絵女史の生放送番組であり、12時17分から17分間、佐野女史が出演とのことである。
なお、現在のところ小林女史は、佐野女史と同じ浅井企画所属だったりする

 

19890305TBSラジオ 日本航空JAL MUSIC TOURタイムスケジュール(B4表)(100dpi)

 

小生ら電車組に加え、川崎からYM氏のインテグラに乗って到着した者も加えて10名程が、TBSのサテライトスタジオのガラスの前に陣取った。
佐野女史は既にスタジオ裏で待機しているようである。
番組がコマーシャルにはいったところで佐野女史がスタジオ入り。
コマーシャル開けたところから、パーソナリティーの二人と佐野女史を交えたおしゃべり。その後、佐野女史の新曲「さよならが聞こえない」が流れだしたところで、佐野女史の出演時間は終了したようであり、佐野女史はスタジオから退出していった。

 

そしてマネージャーの鈴木氏が運転するJETTA に乗って日比谷シャンテを出立していった。日曜日に日比谷から川崎まで自動車で移動しようとは、ケツカッチンにしてはなかなか大胆な行為である。
小生らは、佐野女史が出発するのを見送り、その後、日比谷に来たときの手段ごとに分かれ、一路川崎へと逆戻りである。

 

 

再び川崎アゼリアに戻ってきた小生であったが、スタジオアゼリアは既に"アゼリアPOPパーティー"1本目の収録中であった。1本目の出演者は伊藤女史と島崎女史。さすがにスタジオアゼリアの舞台前には入り込む隙間はなく、舞台向かって左側、客席部分のさらに左からの立ち見となった。

 

 

2本目の出演者は佐野女史とPunpKinの二人。佐野女史が乗ったJETTAも収録に間に合うように到着したようである。
佐野女史の衣装は、先程の日比谷シャンテのときと同じ、黒いカーディガンとジーンズの私服であり、ステージ衣装ではなかった。
PunpKinは、"チャオ"こと林千春女史がいなくなり、小川真澄女史に変わっていた。
佐野女史は「EVERLANDへようこそ」、
PunpKinが「そよかぜの騎士」、
そして佐野女史は新曲の「さよならが聞こえない」を歌唱。

 

小生の隣にいたオリコン通信寄稿士のペンネーム"渡辺洋"氏が、PunpKinを見て、"平成パンプキンですね"とつぶやいた。
それを聞いて、"なるほど、言い得て妙"と思う小生であった。

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2019年3月 4日 (月)

1989年3月4日

本日は、川崎岡田屋モアーズにおいて開催される、ニッポン放送の"モアモア歌謡センター"の公開生放送の観覧。

出演者は、佐野量子女史である。


岡田屋モアーズのサテライトスタジオは、改修後舞台と客席の配置が変わり、以前は川崎駅側に客席があったのだが、現在は、銀柳街側が客席となっている。
そして客席は、舞台に向かって右側と左側とに分かれており、その間の舞台中央の部分は通路になっている。

本日は、座席を確保することもできたが、敢えて立ち見を選択してみた。
座席の最後列のすぐ後ろからが立ち見の場所となるが、舞台中央通路部分には、舞台までなにも障害物のない立ち見の場所ができるので、そこに陣取ったのである。

立ち見なので、着座している時より視点が高くなる。
舞台上の演者を観るときの小生の目線が水平に近くなる、また演者が舞台中央にいるときは、その間に誰もいない。これは演者側から小生のほうを観るときにも同様のことが言える。

要するに、最前列席に着座している状態よりも目立つ、という判断である。

そして実際に、その意図は間違っていなかったと、感じた小生であった。

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2019年3月 2日 (土)

1989年3月2日

佐野量子女史出演している朝日放送制作のクイズ番組゛あっちこっちマッチ"がこの3月で放送終了になるとの情報を得た小生。一度くらいは"あっちこっちマッチ"の収録現場を観ておこうということで、大阪駅へと向かった。


"あっちこっちマッチ"は、大阪駅ビルであるアクテイ大阪に入居している大丸梅田店の15階にあるABCエキスタで収録されている。

大丸梅田店の15階にのぼると、15階と16階とが吹き抜けになった部分があり、36台のにブラウン管モニタを背面にした舞台があり、既に"あっちこっちマッチ"の放送セットが組まれつつあった。

小生にとっては初"ABCエキスタ"イベントである。
T.V.の公開録画ということで、舞台近くの座席を確保できないことは想定したとおり。
舞台からかなり離れた場所からの立ち見となった。

司会の渡辺徹氏と佐野女史が登場し、収録が開始された。
T.V. 番組の公開録画の現場は、冗長でかなり退屈である。
クイズ番組ということもあり、歌の時間といったような、観るべきところもない。
一度観ておけば、もう観なくてもよいな、と感じた。

収録終了後、CUE出しの紙が放置されていたので、記念にいただき、帰途に就いた。

19890302あっちこっちマッチCUE出し(75dpi)

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