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2019年5月 6日 (月)

1989年5月6日

本日は、佐野量子女史がロスアンジェルスに出発する日、ということで、佐野量子女史の専門ミニコミ誌スタッフのYM氏の運転するクイントインテグラに同乗させてもらい、新東京国際空港まで佐野女史見送りにいくことになったのであった。

首都高速湾岸線から東関東自動車道、新空港自動車道へと走っていくと、新東京国際空港の手前のバリアで、一旦停車。ここが新空港自動車堂の出口になるようである。料金を支払いつつ、係員に見送りに行く旨と便名を告げる。新東京国際空港は警備は厳しいため、出発便や到着便の便名を告る必要があるとのことであるが、さすがにYM氏は心得ており無事にバリアを通過することができた。バリアを通過した後の道路は新東京国際空港に直結しており、クイントインテグラを空港内の駐車場に残して、小生らは4階出発ロビーへと向かった。

小生にとっては初となる新東京国際空港への来港である。しかし感動している余裕はなく、日本武道館のアリーナよりも広そうな4階出発ロビーの中で、佐野女史を探さねばならない。佐野女史が登場予定の便は、ノースウェスト航空とのことなので、チェックインカウンターの近くで待っていればよいはずである。

やがて、想定どおり、佐野女史一行が現れ、搭乗カウンターで手続きをする。
佐野女史一行は、チェックインを済ませた後、売店で買い物等をした後、出発ロビーの中央にあるエスカレーターに向かう。エスカレーターに乗ることができるのは、搭乗券を持っている者のみである。小生らは、エスカレーターの前で佐野女史一行を見送る。佐野女史一行はエスカレーターに乗って下の階へと降りていった。

エスカレーター前で佐野女史一行を見送った小生ら、飛行機が飛び立つところまでは見送ることはせずに、新東京国際空港を後にした。

再びクイントインテグラに乗車。帰路ということで、時間に余裕があるので、首都高速湾岸線には乗らず、一般道で都心をめざす。行徳街道から今井橋、小松川橋を渡り、蔵前橋通りに入る。
蔵前橋通り沿いにあるほっかほっか亭大平店の前で一時停車、ミソカツ弁当を購入。車内で食す。
その後クイントインテグラは、”土曜日の深夜に日比谷シャンテでイベントが開催されている”という情報に基づき、有楽町へと向かい、有楽町駅駅前の消防署の近くの空いている場所に路上駐車させていただいた。

日比谷シャンテに到着すると、合歓の広場には、日比谷シャンテBOLCK3のビルディングを背にして、仮設の舞台が設置されていた。
イベントはまだはじまっていないようである。
合歓の広場には見知った顔も集まっていた。
こういう場には当然のごとく現れるオリコン通信寄稿士のペンネーム"渡辺洋"氏に、ここで開催されるイベントの内容について問うてみると、この後,、TBSラジオの"土曜の夜につかまえて!"という番組の生放送がある、出演者は、エンジェルスに彩木美来女史など、とのことであった。
オリコン通信寄稿士のペンネーム"CHAO・XX"氏が好む出演者ではあるが、"CHAO・XX"氏の姿はないようである。
そのうち、服部名人以下、通称”服部軍団”の面々も現れた。服部名人が会場を仕切っているような感じである。

22時になり、放送開始。
エンジェルスの面々、彩木女史以外にも、出演者が多数いるのではあるが、小生が認識できたのは澤崎愛子女史のみ。オリコン通信寄稿士のペンネーム”渡辺洋”氏に出演者を聞き取ると、木村真季、原田徳子、加藤房江、中江幸恵、村上弥子(敬称略)との答えが返ってきた。”ミス・アクション”関連の出演者とのことである。

放送は24時前に終わったが、皆、何となくその場に残っている。佐野量子女史の専門ミニコミ誌スタッフのYM氏は、クイントインテグラで来ているので、問題ない。小生も、蒲田行き最終電車まで時間はある。やがて、出演者が日比谷シャンテBOLCK3のビルディングから出て来た。それを見送った後、ようやくと、解散という雰囲気になった。

小生は、有楽町駅から京浜東北線の電車に乗車し、蒲田駅で下車。大田区多摩川に宿泊した。

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