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2019年8月28日 (水)

1989年8月28日

本日は、渋谷公会堂にて佐野量子女史のコンサートが催行される。
そして本日が、"1st CONCERT TOUR TOY PIANO"の最終日となる。

東京における佐野女史のコンサートは、一昨年、昨年と、2年続けて最前列の席で観覧していた小生であったが、本年は最前列の席を取ることはできなかった。
昨年の夏ころから、佐野女史のイベントにおける集客力が目に見えて増えていることを感じてはいたのだが、この事態に、佐野女史の人気が上昇したことを、改めて認識させられた小生であった。

19890828佐野量子“First concert tour ’89 TOY PIANO”チケット(表)(150dpi)

(一部略) 

開演。 

しかし座席が良くない。じっくり見るにも、盛り上がるのにも周囲の人垣が邪魔をする。ということで、指定された席は放棄して、2階へと移動した小生であった。また、西村知美女史の本日のスケジュールに"佐野量子コンサート"と入っていた、という情報を事前に得ていた小生であったので、2階席にいたほうがホワイエへへと移動しやすいという考えも頭にあったのである。

2階へ上がるてみると、一面ほぼ空席であった。ここでなら、好き放題飛んだり跳ねてたりすることもてきる。 

アンコール前の曲「EVERLANDへようこそ」になったとき、一旦会場から出てみる。小生の経験によれば、芸能人はアンコール前の曲の途中で退出することが多いのだ。

階段を2階から1階へと下っていると、会場からホワイエに出てくる人影が見えた。さらに下ると、それは、西村知美女史と、芳本美代子女史であった。芳本女史まで一緒にいるとは望外の僥倖である。芳本女史と西村女史を見送り、小生はまた会場内へと戻った。

アンコールの曲、「やさしさの意味」では、新座少年少女合唱団が登壇し、バックコーラスとして花を添えた。

そして、他の会場ではダブルアンコールの「贈り物」で終演となっていたところを、本会場ではトリプルアンコール「EVERLANDへようこそ」で終演となったのであった。

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2019年8月27日 (火)

1989年8月27日

日本テレビ放送網が制作する『24時間テレビ「愛は地球を救う」12』の一コーナーである”アイドル大集合! チャリティーデラックス”を観覧するため、同番組のメイン会場である日本武道館にやってきた小生、1階席には入場できず、2階席に入場した。

遠く舞台上では、和田アキ子女史、渡辺徹氏及び南野陽子女史が司会進行を行っている。

まずはCHA-CHAの4人が「約束」を歌唱。 

クイズのあとに、酒井法子女史が「さよならを過ぎて」を歌唱。 

その後、静岡産業館からの中継が入り、BAKUFU-SLUMPの「リゾ・ラバ」が、全国ネットで流れたようである。

萩本欽一氏のコーナーが全国ネットで流れた後、SMAPが「SMAP」を歌唱。

ヒップアップの3名、熊谷真美女史及び栗原冬子女史が出演するクイズのコーナーが全国ネットで流れた後、光GENJIが「地球をさがして」と「太陽がいっぱい」を歌唱。

クイズのコーナーの後、佐野量子女史が「あくび」を歌唱。

さらにクイズのコーナーの後、南野陽子女史が「思いのままに」を歌唱。

その後、北尾光司氏及びジョージ川口氏が舞台上に登壇し、”アイドル大集合! チャリティーデラックス”のエンディングとなった。 

知人と会うことがなかった小生は、早々に武道館を退散した。

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2019年8月26日 (月)

1989年8月26日

博多駅で、某光学機器メーカー社員のSA氏と待ち合わせ、本日の目的地、静岡までの指定席特急券を購入することとなった小生、新幹線のグリーン車を予約しようということで話はまとまり、ひかり2号で博多名古屋間、こだま426号で名古屋静岡間のグリーン券の発券を依頼したところ、満席とのこと。それならばと、ひかり2号で博多岡山間、ひかり266号で岡山静岡間の発券を依頼したところ、無事発券された。ひかり2号はグランドひかりだったので、長い時間乗車したかったのであるが、ひかり2号からひかり266号の乗り継ぎのほうが、静岡への到着が早いので、まあ良いかという程度である。

博多駅12番線に停車しているひかり2号の7号車、禁煙のグリーン車両に入る。名古屋までのグリーン券が取れなかった列車でもあり、どれほどの人が乗車しているのか?と、いくぶん身構えて車内に入ってみると、あにはからんや、ほとんど人はいなかったのであった。100系車両のグリーン車の座席は重厚な感じであり、腰掛けてみるとクッションは固めであった。長い時間の乗車においては、この固めのクッションのほうが疲れにくいと思う。背もたれをリクライニングさせてみると、重厚な見た目にほどシートか重くないことがわかる。

車内を閑散とさせたまま、8時45分にひかり2号は博多駅を発車した。

新関門トンネルを過ぎてしばらくした頃であろうか、グリーン車からの車窓から流れる景色が小生をまどろみに誘おうとしているとき、
”品川区のさのかずこ様、お電話がはいっていますので、お近くの電話室におこしください”
という車内アナウンスが流れた。えっ、と驚き眠気も覚める小生。その放送の内容、名前、住所、わざわざ新幹線の中にまで電話が入ることをなどを鑑み、この列車に佐野量子女史が乗車していると判断した小生であった。しかしながらこの車両に佐野女史は乗車していない。とすると、喫煙でないグリーン車か、普通車に乗車しているということになる。某光学機器メーカー社員のSA氏を見ると、そんな放送が入ったことは知らず、は幸福そうに睡眠に入っている。
このままでは居心地が悪い小生は、一旦席を立ち、7号車グリーン車の博多側扉を出て1階に降り、そこから東京方面へと歩きだした。7号車から10号車までは1階の指定席の通路を歩く。そして11号車から2階建てでない車両となる。すると前方に、帽子をかぶったジーンズ姿の見慣れた後ろ姿を認めた。あれは間違いなく佐野女史である。そして佐野女史の後ろを、丈が1メートル近くもありそうな大きなトートバッグを肩に掛けたマネージャーの垣中女史が追いかけていた。なんなく佐野女史の不機嫌そうな雰囲気が透けて見える。そんな状況を確認した小生は、ここは見つからないようにおとなしくしていたほうが良いと判断し、座席に戻っておとなしくしていた。そして、某光学機器メーカー社員のSA氏は、この一連の出来事をまったく知らずに、気持ちよさそうに寝続けていたのであった。

岡山駅で下車して、ひかり266号に乗り換える。こちらは0系の車両である。グリーン車の車内は黄基調の色で統一されており、ふかふかとしたシートは分かりやすい高級、アコモデーションは古いが手入れが行き届いている、といった感じである。フットレストの表面の生地の高級感は100系のグリーン車に勝っていた。佐野女史一行が、このひかり266号に乗り換えたようには見えなかったが、グリーン車内でおとなしくしていた小生であった。

静岡駅でひかり266号を下車した小生とSA氏が、静岡駅の新幹線ホームからの階段を降り、右に曲がってさらに階段の下にある改札口のほうを見やると、改札口の両脇には人だかりができていた。その中に見知った顔が多くあったので、それが駅待ちの人だかりであることはすぐに察せられた。"ああ、佐野女史はこのような景を目にするのだな"と思う小生であった。階段を降りてゆくと、群衆から招かれざる客扱いされる小生であったが、雑言は聞き流して、駅待ちの群衆に加わる小生であった。
途中で寄り道をしていなければ、佐野女史一行はこだま426号にて静岡駅に到着するはずである。
そして、こだま426号が静岡駅に到着した。想定どおり佐野女史一行が階段を降りてきた。
新幹線改札前にできていた集団は、佐野女史一行といっしょになり、静岡駅南口のタクシー乗り場へと移動する。佐野女史一行がタクシーで走り去ると、小生らも佐野女史一行の後を追い、静岡産業館へと向かった。

静岡産業館に到着。場内は『24時間テレビ「愛は地球を救う」12』用に準備が整えられていた。入口近くには舞台が、開場奥にはタレントショップのブースが設営されている。舞台前には200程の椅子が並べられていて、その多くは既に誰かしらの場所取りがされている席となっていた。小生は会場後方の椅子をなんとか確保した。

小生はに24時間テレビということで、募金をしてカードをいただいておいた。

19890826“24時間テレビ「愛は地球を救う」12”感謝状(表)(150dpi)

19890826“24時間テレビ「愛は地球を救う」12”感謝状(裏)(150dpi)

会場内に掲げられていた日程には、26日
15:30Jan Janサタデー24時間スペシャル
19:00チャリティーコンサート
27日
10:00アンパンマンショー(ゲスト:ドリーミング)
11:45BAKUFU-SLUMPコンサート
13:00未来へ生きる君たちへ(出演:ドリーミング/アンパンマン/御殿場高等学校の皆さん)
14:00ふれあいコンサート(出演:BAKUFU-SLUMP/本田理沙/中山忍/小林彩子/エンジェルス/パーソナリティー:富田靖子)
15:30アンパンマンショー(ゲスト:ドリーミング)
と掲載されていた。

15時30分、”Jan Janサタデー24時間スペシャル”の放送が開始される。司会は、ラサール石井氏、小森まなみ女史、きすみかなこアナウンサー、そして本日はB-21スペシャルの3名も司会を行うようである。

まず”24時間テレビ 「愛は地球を救う」 募金報告”のコーナー。

その後本田理沙女史が、「さそって入口ふるえて出口」を歌唱。

シューティングの2人が、チャリティーバンクから中継。

テンションの2人が、車両パネル・展示コーナーから中継。

B-21スペシャルの3人が、タレントショップから中継。

ステージの戻ってイベントスケジュールの紹介。

その後、小林彩子女史が「風の地球儀」を歌唱。

その後、中山忍女史が「夏に恋するAWATENBO」を歌唱。

コマーシャルをはさんで、テンションのコント 。

シューティングのコント。

B-21スペシャルは、コントはせずにインタビューのみ。

コマーシャルをはさんで、ラサール石井氏、小森まなみ女史と司会者とBAKUFU-SLUMPとのトーク。途中から映画『バトルヒーター』の話題になり富田靖子女史のエンジェルスのうち5人が加わる。

コマーシャルをはさんで、ラサール石井氏、小森まなみ女史が、ファクシミリで送られてきたメッセージの紹介。

佐野女史が「あくび」を歌唱。

コマーシャルをはさんで全員が舞台上に揃い、Jan Janサタデー24時間スペシャルのエンディングとなった。

この後、チャリティーコンサートの開始時刻19時まで間があるため、静岡産業館の隣のCASAで食事をする。

CASAから静岡産業館に戻り、館内を小走りに移動していると、佐野女史がすっと駆け寄ってきて並走、かけっこのようなかたちになったりしした。そして佐野女史は控室へと入っていく。CASAで食事をしている間に、本日の出演者が募金受付に立っていたとのことであった。

19時になり、チャリティーコンサートがはじまり、最初の出演者が佐野女史であった。本来ならBAKUFU-SLUMPの前あたりで出演すべき佐野女史が最初に出演するということは、途中抜けをするということを意味している。名残り惜しい気もするが、佐野女史の出番が終わった時点で、小生らは静岡産業館を後にし、静岡駅に向かう。
静岡駅で待つことしばし、まもなく佐野女史一行はやってきて、20時06分静岡駅発のひかり270号に乗車した。
小生はその列車には乗車せず、静岡駅ホームにてその列車を見送った。

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2019年8月25日 (日)

1989年8月25日

早朝にオリコン通信寄稿士のペンネーム"ウルトラマン60"氏宅を出立した小生。新大阪駅6時発のひかり51号に乗車、9時03分に博多駅に到着した。ひかり51号は6両編成グリーン車なしのいわゆる"ウエストひかり"であった。
博多駅から福岡市地下鉄1号線に乗車し、天神駅で下車。駅の改札を出ると天神地下街へだった。
本日の会場であるビブレホールは、ここ天神地下街から直接入店できる天神VIVLE21の8階にあった。

整理券が出ていたのでいただいた。

19890825佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89-Toy Piano-”福岡整理券(150dpi)

知人と話などをしながら、VIVLE21店内で時間をつぶす。

昼食は天神地下街の博多ラーメン店でいただいた。

午後、佐野女史一行がが小生らの眼前を通りすぎ会場入りした。開演が近づいてきた感じがする。

"レタくしゃ集会"がはじまる。小生は、参加いているのかしていないのか判然としないような場所で集会を見ている。

開場。整理番号は遅めだったが、入場してみると、前方にポツポツと空きがある。最前列の座席に空きがあったのでかけさせていただいた。
地方のイベントにおいて、前のほうの席を遠征組がいつも押さえてしまうのもいかがなものかと思うことはあるが、こればかりは地元の方々の奮起を期待するしかない。

19890825佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89-Toy Piano-”チケット(表)(150dpi)

開演。そういえば、佐野女史はスパッツの上にパレオ状の衣装を着けている、目の毒であることに気付いたのであろうか。

終演。

19890825佐野量子_ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!(福岡)(A4)(150dpi)

機器メーカー社員のSA氏と明日の待ち合わせ場所と時刻を決めて別れた後、某光学機器メーカー社員のHK氏が中州川端のカプセルホテルに宿泊するというので、小生も同じホテルを予約し、そこで一泊した。

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2019年8月24日 (土)

1989年8月24日

本日、小生は、大阪厚生年金会館にて催行される佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

(一部略)

奇しくも、大ホールでは南野陽子女史のコンサートが催行されるのであるが、昨年のこともあって、本年は参加を見送った小生であった。

なお、確保できた座席は、かなり後方の席となってしまった。

19890824佐野量子“1st CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

開演。進行はいつもどおり。
そういえば、小生の知人に、中学を卒業して東電学園に入学した者がいた。今頃は電柱に登っているのだろうか。

"ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!"のチラシは、関西の放送局のものになっていた。

19890824佐野量子_ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!(大阪)(A4)(150dpi)

その後小生は、某光学機器メーカー社員のSA氏と明日の旅程の打ち合わせをすべく、SA氏の後に付いて、SA氏が宿泊する予定のホテルへと移動した。

(一部略)

その後、小生は、オリコン通信寄稿士のペンネーム”ウルトラマン60”氏宅に宿泊した。

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2019年8月23日 (金)

1989年8月23日

本日は諸般の事情から、佐野量子女史を上野駅で待つことになってしまった。

上野駅の新幹線ホームで待つのであるが、上野駅の新幹線ホームは19番線から22番線まである。19・20番線のホームと20・21番線のホームは階段を昇り降りして移動しなければならないので、これがなかなか大変である。ただし、今は乗車している車両がグリーン車に絞り込めるだけ、かつてよりは楽になっている。

19・20番線のホームと20・21番線のホームを行き来していた小生たちであったが、やがて、22番線に入線してきた列車を見ていた小生は、グリーン車の車内に立ち上がって網棚の荷物を降ろそうとしている佐野女史がいるのを認めた。小生は後ろ姿でも佐野女史を認識できるようになっているのである。小生は、そのグリーン車の車両を追って移動を開始したのであるが、誰もついて来ないので、他の者たちに合図を送り、佐野女史が乗車していることを知らせる。新幹線列車は停車し、ドアが空く。小生らは、グリーン車の車両から降りてくる佐野女史一行を出むかえた。

諸般の事情の事情たる用件を済ませた後、佐野女史の後を追い、エスカレーターを乗り継ぎ地上へと向かう。エスカレーターでの佐野女史の横は、同性であるIH女史が定位置になっており、男性陣はその後ろに付いていくかたちである。

小生らは、上野駅のタクシー乗場で佐野女史一行を見送った後、解散。小生はそのまま帰宅したのだあった。

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2019年8月22日 (木)

1989年8月22日

 急行はまなすは、青森駅に5時17分に到着した。

(一部略) 

仙台駅前のペデストリアンデッキで、仙台育英学園高等学校が全国高等学校野球選手権大会で準優勝した、要は決勝で敗退したと、いう朝日新聞と河北新報の号外が配布されていたので、いただいておいた。

19890822河北新報号外(100dpi) width=

仙台市地下鉄に乗車し、勾当台公園駅で下車する。小生たちと同じような雰囲気をかもしだしている人々が一斉に下車した。同行する知人から、宮城県民会館にて渡辺満里奈女史のコンサートが開催されるとういう説明を受け、納得する小生であった。

勾当台公園駅から定禅寺通を西に向かって歩き、宮城県民会館を通り過ぎると人影もまばらになった。定禅寺通のつきあたりに公園があり、その右隣りが仙台市民会館だった。仙台市民会館には大ホールと小ホールがあるが、本日の会場は小ホールである。

19890822佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

小ホールに入場。座席は3列目であるが、舞台がずいぶん遠くにあるように感じる。

開演。いつもどおりの進行であったが、本日は佐野量子女史の誕生日に当たっており、誕生日を祝うという趣向が用意されていた。 

札幌のときに用意されていた"ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!!"のチラシは、放送局を変えて仙台でも配布された。

19890822佐野量子_ファンのみなんの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!(仙台)(A4)(150dpi)

その後、小生らの一団は仙台駅で佐野女史を待っていたのだが、佐野女史はあらわれなかった。
結局小生ら一団は、上野行きの最終列車となる21時21分仙台駅発やまびこ58号に乗車し仙台を後にした。上野駅に着くまでの車内は、ちょっとした宴会になっていた。

本日小生は、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年8月21日 (水)

1989年8月21日

ススキノグリーンホテル2に宿泊した小生。早々に朝食を摂ってチェックアウトし、”PANNY LANE”へと向かう。

”PANNY LANE”は札幌市中央区南4条西にあるライヴハウスで、本日そこでは、佐野量子女史の”1st CONCERT TOUR TOY PIANO"コンサートが催行されることとなっている。

”PANNY LANE”の立地する区画は月寒通りと都通りにはさまれていたが、入口は都通り側にあった。朝7時前であったが、入口前には既に何人かが並んでいた。このまま開場となる17時30分まで待つのはつらいものがあるが、集団の中には知人が多いのでなんとか時間をつぶすことはできる。
そんな中、小生は、昨日同行したSA氏、"世界一のおっかけと称される"HK氏、昨日航空機の札幌入りしたNA氏らとともに、一旦その場を離れ、休憩場所を探して街を歩きだす。
西2丁目通りを札幌駅方面に歩く。朝食がまだだというHK氏が通り2階にある喫茶店へと入っていった。食事はとらなくても良い小生らは、西2丁目通りを渡ったビルの2階の、通りに面した店で休憩した。
その後、”PANNY LANE”からの道すがら見つけた映画館で『魔女の宅急便』を観るというSA氏と別れ、小生とNA氏は”PANNY LANE”前に戻ったが、気温も上昇してきたので、近くのウインズ札幌へと移動した。

ウインズ札幌の前では、"レタスのくしゃみ"常連投稿者のMH氏が主催する"レタスのくしゃみ"リスナー集会が開催されたので、期せずしてその集会に参加することになった小生であった。

その後、レコードMAPを片手に、文教堂書店、Records-Records2条店、フレッシュ・エアーと薄野近辺の中古レコード店をひとまわりした後、”PANNY LANE”に戻る。
さらにしばらく待って、ようやくと”PANNY LANE”入場。

入場してみると、”PANNY LANE”の内部は、長方形のような形状で、その短辺に舞台が位置していた。舞台目の前から椅子が並べられており、当然自由席である。並び順が早かった小生は、さすがに中央とまではいかないが、普通に最前列の座席を確保することができた。
幅が狭く奥行きがあるので、後方の席では見づらいかもしれない。

19890821佐野量子“FIRST CONCERT TOUR ’89 Toy Piano”チケット(表)(150dpi)

舞台上には機材と、そして、中央に白いマイクスタンドが据えられている。

そして、楽器演奏者とコーラスの"カリビアン"のかたがたがそれぞれる定位置について、「Cross of You」の演奏がはじまった。

そして佐野量子女史が登場し、歌いだす。

終演後に、配られたチラシには、"ファンのみんなの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!"と記されていた。

19890821佐野量子_ファンのみんなの力で「あくび」を大ヒットさせよう!!_札幌(A4)(1500dpi)

”PANNY LANE”から退出した先は、月寒通りの歩道であった。入口と出口は別になっていたようである。

出口前にできた集団は、すぐ横にあった"つぼ八"なだれ込み、遠征組、地元の者がごったになった大宴会となった。

その宴会も、21時過ぎには終わり、小生はNA氏ととも急行はまなす車中の人となった。

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2019年8月20日 (火)

1989年8月20日

やまびこ1号、はつかり5号、北斗11号と乗り継ぎ札幌に移動。途中某光学機器メーカー社員のSA氏と合流し、

(一部略)

本日の宿泊場所を確保していなかった小生は、すすきのでSA氏と別れ、ビジネスホテルのガイド本を片手に電話をする。
料金の安い順に電話していくがなかなか空きのあるホテルがない。ようやく"ススキノグリーンホテル2"に空きがあり一安心。
料金は少々高いが、すすきので、大浴場付きなので、相場なのだろう。

ホテルにチェックイン後、さっぽろラーメン横町で夕食。ホテルに戻り、大浴場を利用した後、就寝した。

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2019年8月19日 (月)

1989年8月19日

本日小生は、オリコン・ウィークリ誌主催の”アイドルミニコミマーケット”なるイベントに参加するため、日本青年館へと赴いた。


”アイドルミニコミマーケット”とは、今回が初開催となるイベントである。会場は6階のグリーティングルームとアナウンスされている。


午後2時過ぎに日本青年館に到着。6階まで上がると、会場と思われる部屋のドアから人がはみ出していた。その人をかき分け室内に入る。壁を背に机を並べるという配置の会場内は、大混雑となっていた。オリコン通信寄稿士のペンネーム”神谷ちかを”氏の出展ブースに、”知美ちゃん新聞”が間借りしていたいたので、小生はそのブースの中にもぐり込んだ。


山口弘美女史がゲストで来ていたのだが、ブース内からはまったく見えず、これではカウントはできない。


終了後、中野に移動。その後帰宅した。

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2019年8月16日 (金)

1989年8月16日

本日小生は、名古屋市芸術創造センターにおいて催行される、佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

名古屋まで新幹線に乗車。名古屋駅で名古屋市営地下鉄東山線に乗換え、新栄町で下車する。目指す名古屋市芸術創造センターは、新栄駅の北200メートル程の場所にある。
地上に出ると、西日がまぶしい。3分ほど歩き名古屋市芸術創造センターに到着した。
館内に入る。3分程ではあったが炎天下の日光に慣れた目に館内は薄暗く感じた。目を凝らして奥に進むと、通路左側のソファーに、佐野量子女史の専門ニミコミ誌"おれんじ・てぃー”スタッフのYM氏の姿を認めた。
YM氏は合成樹脂製の丸まった四角柱状の形状に色付きの丸い蓋がされている透明な容器を抱えていた。
YM氏も小生を認めると、その容器を差し出し、"ひとつ取って"と言う。
”何これ”と問う小生。
”ヒットいか”とYM氏。
”どうしたの”と小生。
”いいからひとつ取って。”
とYM氏。
小生が容器の中の”ヒットいか”をひとつ取り出すと、YM氏は満足そうな面持ちで容器の蓋を閉めた。
”ヒットいか”とは、イカの酢漬けを串に刺したもので、駄菓子屋でみかけるようなものであった。結局、なぜここで”ヒットいか”が出てくるのかよくわからなかい小生であったが、YM氏は知り合いを探しては、”ヒットいか”を配っていたので、その”ヒットいか”には、きっと何か意味があったのだろう。

そんなやりとりをしているうちに、ホールが開場する。
小生にとっては、”初”名古屋市芸術創造センターホールである。
ホールの定員は600人強といったところで、収容人員は先日の静岡市民文化会館の半分程度である。
ただ、競争率は名古屋のほうが少なかったのか、最前列の座席が取れていた。

19890816佐野量子“ファーストコンサートツアー’89『Toy Piano』”チケット(表)(150dpi)

ホール内に入り、座席を確認すると、最前列は2つの通路によって3つの区画に分かれており、17列の席は、舞台に向かって左側の通路から2列目、舞台に向かって左端に近い場所にあった。
"ベストポジション"というわけではないが、やはり最前列は舞台と自分との間を遮蔽するものが何もないという点で、他に替えがたい魅力がある。

開演。
静岡のときと同様「Cross fo You」が流れだすが、一曲目から開場が総立ちになった場内が、ここ名古屋では着席したまま、というのが違ったところ。最前列の小生も、まだ立つには早いと思うので、どっしり腰を据えたままである。

ところで、静岡のときには、観客の頭に遮られて気にならなかったが、ここ名古屋では、佐野女史の檸檬色の3分丈スパッツが気になってしまった。腰から脚にかけての体の線があらわになって刺激が強すぎるのである。しかしながら、佐野女史の面前ではそれを気取られるわけにもいかず、努めて平静なふりをしている小生であった。

終演後、名古屋駅で佐野女史を待つ知人たちにホーム上で別れを告げ、帰宅する小生であった。

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2019年8月12日 (月)

1989年8月12日

小生が東京駅の八重洲中央口の東海道・山陽新幹線改札から出場しようとすると、改札の向こうに見知った顔が並んでいるのが見えた。聞くところによると、名古屋から帰ってくる佐野女史を待っているとのこと。ということで、小生も待たせてもらうことにした。


やがて佐野女史が改札口へと現れ、小生らは、タクシー乗場まで移動し、佐野女史を見送る。


その後小生は、日比谷シャンテに移動。
日比谷シャンテBLOCK3の1階にあるTBSのサテライトスタジオのモニターは東京放送のテレビジョン放送が映っているが、本日は『五島福江行』が流れていた。
その後、”土曜の夜につかまえて!”の公開生放送を観覧。


放送終了後、”土曜の夜につかまえて!”の出演者が帰っていくのを見送る。その後小生は、大田区多摩川に宿泊した。

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2019年8月 4日 (日)

1989年8月4日

 本日小生は、静岡市民文化会館において催行される、佐野量子女史のコンサートに参加する予定である。

オリコン・ウィークリ誌1989年8月7日号(通巻511号)に掲載された広告によれば、"1st CONCERT TOUR TOY PIANO"として
8/4(金)静岡 静岡市民文化会館
8/16(水)名古屋 芸創センター
8/21(月)札幌 ペニーレイン
8/22(火)仙台 仙台市民会館
8/24(木)大阪 厚生年金ホール
8/25(金)福岡 ビブレホール
8/28(月)東京 渋谷公会堂

本日は、そのコンサートツアーの初日にあたる。

最寄りの駅から新幹線の列車に乗車すると、SK氏と鉢合わせになった。自由席が混み合っていたので、SK氏はデッキに立ったいたのだとのこと。
小生もデッキで立たされたまま、列車は静岡駅に到着。駅から静岡市民文化会館までは徒歩10分程である。
静岡市民文化会館には2000人ほど収容できる大ホールもあるのだが、さすがに本日の会場は収容人員1200人程の中ホールである。とはいえ、昨年は東京でさえ1360人収容日本青年館ホールが会場だったことを考えると、地方都市で千人以上のホールは大きすぎるかもしれない、という懸念はある。
ただし、発売日に主催者の"サンデーフォーク"へと発注をかけて購入したチケットの座席が、7列目と予想以上に悪い席だったことからすれば,、本日の動員については心配は必要ないのかもしれない。

19890804150dpi

開場。
ホワイエでは、コンサートパンフレット、Tシャツ、ポスター、下敷き、テレホンカード、ライター、缶バッジなどが販売されていたので、ひととおり購入。
ホール内に戻ってみると、場内の席は空席が目立たないほどには埋まっているようであった。

開演。
進行は、
「Cross of You」
「風の伝説」
MC
「恋に恋するサカナたち」
「さよならが聞こえない」
MC
「TOY PIANOをたたいて」
「雨が止むまで」
MC
「Top of the World」
「Please Mr.Postman」~「オブラディ・オブラダ」
「Daydream Beleiver」~「SING」
(衣裳替え)
「あくび」
「恋の扉」
MC~録音された音声と会話
「教科書のイニシャル」
「瞳にピアス」
「哀愁エクスプレス」
「4月のせいかもしれない」
MC
「羊が空を飛んだ」~バンド紹介~「羊が空を飛んだ」
「風の花束」
「EVERLANDへようこそ」
〔アンコールI〕
「TOMORROW」
MC
「やさしさの意味」
MC
〔アンコールII〕
「贈り物」
であった。

佐野女史のコンサートでは、かつて経験したことがない後方の席だった。人気が上昇した結果なので仕方のないところである。

コンサート終了後、静岡駅で佐野女史を待ち、小生は例によって途中駅で下車じ、ホームから佐野量子を見送った後帰宅した。

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