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2020年6月25日 (木)

1990年6月25日

文化放送の前で佐野量子女史の入り待ちをしたが空振りに終わった。

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2020年6月24日 (水)

1990年6月24日

川崎アゼリア地下街のスタジオアゼリアにて、文化放送の番組"アゼリアPOPパーティー"の公開録音放送を観覧。

ゲスト出演者は橋本実加子、仁藤優子、五味美保の各女史であった。

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2020年6月23日 (火)

1990年6月23日

昼間いた横浜から麹町へと移動し、佐野量子女史がゲスト出演する”鶴ちゃんのプッツン5”の生放送に参加。アシスタントが田中律子女史に変わっていた。

大森のバーディ企画前へと移動し、"佐野量子レタスのくしゃみ"の収録をする佐野女史の出入り待ちをした。
バーディ企画での収録を終えた佐野女史から、”元気だしてネ”と声をかけられたのだが、小生が元気がないように見えたのであろうか。

本日は、大田区多摩川に宿泊した。

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2020年6月22日 (月)

1990年6月22日

ボウリングの日で、ボウリングのゲームが安くなるため、静活プラザボウル、エイトボウルとボウリング場のハシゴをした。

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2020年6月17日 (水)

1990年6月17日

東急百貨店東横店東館屋上にて13時から催行される山口弘美女史のイベント”GREAT RESERVATION TOUR”に参加した。

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2020年6月12日 (金)

1990年6月12日

亀岡のビジネスホテルサンロイヤルを出立し、太秦映画村へと向かう小生。

開場時刻と同時に太秦映画村へと入場し、昨日同様場内を徘徊していると、佐野量子女史が、芝居小屋風の建物の中から、着物にもんぺの出立ちでその姿を表した。
運良く撮影現場に遭遇することができた小生。時代劇衣装姿の佐野女史に、写真を撮らせてもらえないかお願いをする。

本日佐野女史に付いていたのが神戸恭子女史なので、鈴木氏と比較すると、そういったお願いもしやすいところである。 

19900612太秦映画村1

佐野女史は、あまり乗り気でないかな、という雰囲気を出しつつも、小生の前に立つ。
シャッターがおりる瞬間だけ、佐野女史の表情が営業用に変わるのを見て、そこはさすがプロだな、と感心した小生であった。

その後、撮影風景を遠巻きに眺める。

19900612太秦映画村2

佐野女史の足の指にぺディキュアを認め、時代劇だけどペディキュアは良いのかな?。などと思ってしまう。

19900612太秦映画村2

一連の撮影は午前中のうちに終了し、水戸黄門の出演者御一行は東映京都撮影所方面へと引き上げていった。

今回の京都行の目的すべて達成し、すっかり満足してしまった小生は、この後さらにあるかもしれないがないかもしれない撮影を待つことはせずに、京都からの撤収行動に移った。
とはいえ、未だ午前のうちである。そこで小生は、太秦駅から嵯峨駅そして大覚寺へと歩を進めた。"京都嵯峨野の大覚寺 恋人塚に願いをこめる"と歌にも謳われた"恋人塚"を訪ねるのがその目的である。
嵯峨駅から北へと向かう。道の先に見える山が次第に近くなる。その山の手前に見えている林の木々が山の稜線を越えた頃、家並みが途切れ、大覚寺へと到着した。
境内に足を踏み入れると、平日午前中の大覚寺はひっそりとしており、ゆっくりと散策することができた。
しかしお目当ての"恋人塚"が見つからない。境内の案内図で探しても見つからない。
恋人塚の在り処は、西田陽一氏の胸の内ということか。少々落胆した小生は大覚寺境内を後にする。
眼前には大沢池が広がっていた。

 

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2020年6月11日 (木)

1990年6月11日

本日の佐野量子女史のスケジュールは、東京放送のテレビジョン番組"水戸黄門"の撮影となっている。
"水戸黄門"ならば、太秦映画村での撮影が必ずあるはず、ということで、太秦映画村までやってきた小生である。

ただし、太秦映画村に入場してみても、撮影場所についての情報はどこにもなく、本日撮影があるかどうかさえもわからないので、いつはじまるかもわからない撮影の場面を逃さないように、常時場内を巡回していなければならない状況に陥ってしまった。
しかしながら、さすがに午後3時を過ぎると、本日の撮影もなさそうに思え、冷房の効いた建物の中で一息をつく。
そして、本日の宿泊場所を確保しようと、太秦近辺のビジネスホテルに電話を掛けだすのだが、どこも満室。
京都洛中エリアに範囲を広げても、やはり満室ばかり。
これは困ったと、手持ちのビジネスホテルガイドをにらんでいると、亀岡という見出しが目に入り、亀岡なら太秦から近い、ということで、ビジネスホテルサンロイヤルに電話して、ようやく予約することができ、一安心といった小生であった。

5時前に太秦映画村を出る。まだ陽も高いのでまっすぐ亀岡には向かわず、広隆寺の境内を通り、撮影所前駅から京福電気鉄道嵐山本線の電車に乗車した。
19900611広隆寺
19900611撮影所前駅
19900611嵐山

終点の嵐山駅で下車し、駅前の喫茶店で軽食を摂る。その後渡月橋を往復した後、JRの嵯峨駅へと向かった。

嵯峨駅で山陰本線の電車に乗車すると、電車は橋とトンネルが続く線路の上をかなりな速度で駆け抜ける。単線なので、トンネルを通過するときには、開け放たれ窓から車内に突風が入ってくる。車窓の風景は灰色に沈み、亀岡の盆地にはいった頃には夕闇へと変わっていた。

亀岡駅から10分少々歩いてビジネスホテルサンロイヤルに到着。チェックイン後、外出し、国道9号線に面したラーメン店で遅い夕食を摂った後、就寝した。

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2020年6月10日 (水)

1990年6月10日

佐野量子女史に、関西テレビ放送のテレビジョン番組である"エキサイティング競馬"のスケジュールが入っていたので、朝から東京駅で駅待ちをしたが、空振りに終わった。

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2020年6月 9日 (火)

1990年6月9日

大師ボウル、その後、京急ボウルでボウリングをした。


本日は、大田区多摩川に宿泊した。

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2020年6月 3日 (水)

1990年6月3日

本日は、石川秀美女史のライヴが催行される日である。

5月3日にチケットを購入することができなかった小生は、当日券で入場することをもくろみ、エフエム東京ホールへと向かった。

FMセンタービルに到着する。ビルに入ってすぐ先には、エフエム東京ホールの入口がある2階へと続く階段があるが、階段へと取りつく前に入場券をもぎられるようで、2階に上がるには入場券が必要になるようである。そこで、当初の予定どおり当日券を購入しようと、ビル内を見回したのだが、売り場が見当たらない。階段前の関門を守っている係員の方に、当日券について問うたところ、当日券は出ていないとのことであった。

あとは、階段をあがっていく者たちを見送ることしかできない小生であったが、その者たちの中には芳本美代子女史の姿もあった。
また、日本大学石川秀美研究会のO氏の姿を久しぶりに見ることができたが、日本大学石川秀美研究会の他の会員の姿を見ることはできなかった。

小生と同様、当日券を目当てで来た者は何人かいたようであったが、オリコン通信寄稿士のペンネーム"後藤雪之丞"氏もその中の一人であった。小生と"後藤雪之丞"氏はしばらくの間は、2階ホワイエのモニターから漏れ聞こえてくる石川女史の歌声などを聴いていたのだが、結局20分程でFMセンタービルを後にし、小生は半蔵門駅、”後藤雪之丞”氏は麹町方面へと向かったのであった。

 

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2020年6月 2日 (火)

1990年6月2日

毎日放送のテレビジョン番組”すてきな出逢い いい朝8時”に出演して大阪から戻ってくる佐野量子女史を東京駅にて駅待ち。

田町のミナトフォートに寄ったのち、川崎に移動し、ニッポン放送のラジオ番組”モアモア歌謡センター”公開生放送に参加。
本日の出演者は木原美智子女史であった。

その後、オリコン通信寄稿士の”津田川優”氏のプレリュードで川崎Aボウルに行く。

本日は、大田区多摩川に宿泊した。

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