2017年7月27日 (木)

1987年7月27日

本日は、市ヶ谷のシャープ東京ショールームにおいて、文化放送"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音の観覧、という予定である。

"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音に参加するのは3度目となる。

本日集まったのは、"ワープロ君"ことUM氏、我孫子のMT氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏の面々。

ゲストは、佐野量子女史と中村由真女史であった。

司会は風見慎吾氏。

佐野女史の紹介に合わせて"ひなえー"と佐野女史の母の名をさけぶ風見氏。

中村女史には、前回出たときは"私もう言うことなくなってすいません"とってても礼儀正しいんです、でもひょっとしたら知識がないだけかもしれません…そんなことないですよ、前歯がかわいいですね。との紹介。

佐野女史から、泳げるようになるコツの発表
1水の恐怖を忘れてください。
2きれいな海をずって見ていると泳ぎたくなってくる。
3空でも良い
4青がきれいだと飛び込みたくなるでしょ
5水たまりにアメンボがいるでしょ。水たまりを見ていると、自分がアメンボになった気がして泳ぎたくなる。

風見氏から、"ドキド欽ちゃん"のとき量子ちゃんと芝居をやって思ってたんだ、間がつかめないって、との発言。

6水の中に入って目が開かないとか、目に水が入っちゃうんじゃないかとか心配になるので訓練が必要。
7たとえば目薬を目に入れて、何滴も入れてぱっと目を開けて、目を水に馴らせる。それは霧吹きでもいいです。

風見氏からプールサイドで目薬差してるのはまだいいけど、霧吹き持ってってシュッシュシュッシュやったら、こいつアホやんって思われるよ、と突っ込まれるが。

でもたぶん慣れるでしょう、と受け流す佐野女史。

8次に体の動き、ふとんの上で泳ぐ練習をする。自分がなりきる。何になりきるかっていうと、すごいきれな海だとか、マリンブルーでも真っ青でも何でもいいんだけど、そういうとこを頭の中に浮かべるわけですよ、

風見氏が、"頭の中にマリンブルーマリンブルーマリンブルーと"と合いの手

佐野女史が、"で、そこで一生懸命泳いでる気持ちになる。以上。"と締めてコーナー終了。

佐野女史の「夏のフィナーレ」の音を流す。(ワンコーラス)

引き続き、生CMのコーナー
今回は知人は出ていないかった。

中村女史から、ハスラーへの道の発表。

1初めてビリヤードをやったのは伊豆の修善寺。雨でなにもできなくて、ゲームコーナーでビリヤードをやった。
2マネージャーが結構うまい。遊び人みたいで。
風見氏が"遊び人"発実に興奮。マネージャーと会ってみたい、話が合うと思う。
3教えてもらった。
風見氏が教え方について、キューを手に持って?。後ろから覆い被さって?と興奮。
そんなことないですよと、中村女史。
4できなくて泣きながらやった。周りがうまいからくやしくなった。

中村女史の「パニック」の音を流す。(ワンコーラス)

風見氏、
シャンデリアが付いている車の話し。
男の子にナンパされて車に乗りこんだ女の子がインタビューされいる話し。

その後洋楽を1曲を流し、エンディングとなった。

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2017年7月26日 (水)

1987年7月26日

本日は、オリコン通信常連投稿者のペンネーム^JVCの周美今日""きっぱら一人"両氏に誘われ,渋谷にやってきた小生。
待ち合わせ場所は、インテリア井門渋谷店前である。
日曜日の道玄坂は歩行者天国となっているので、インテリア井門渋谷店前の道路が待ち合わせ場所ということになるのであるが、西武クレジット渋谷店の前とういうほう実態に則している。
というのは、本日の目的は、インテリア井門渋谷店2階バルコニーで開催される"ストリートオーディション"であり、インテリア井門渋谷店に近いと、2階バルコニーに設置されたステージが見づらいからである。

^JVCの周美今日"氏とは、VHDディスクの話しなどを、"きっぱら一人"とは、佐野量子女史のミニコミ誌を作る話しなどをしつつ、ストリートオーディションの開始を待つ。

ストリートオーディションは、まだデビューしていない者のステージを、集まった観衆が審査し、その日の優勝者を選ぶ、といったイベントである。拍手の音量を騒音計で計測し、より大きいものが勝ちという審査方法であった。
小生は、"デビュー前"というジャンルには詳しくなかったので、出演者の判別はできなかったが、素人ということであるのなら、総じてレベルは高いと感じた。
聞けば今回は、グランドチャンピオン大会とのこと。

判別できたのは、姫乃樹リカ女史のみ。既に"VHDモモコクラブ"にも出演している"プロ"なので、今回は審査対象外のゲスト扱いとのことであった。

ストリートオーディション終了後、"きっぱら一人"氏に誘われ、"よい子の歌謡曲"に"歌謡曲統一場理論"を連載している渡辺秀一氏らとともに、喫茶店に入り歓談。

夕刻になり、歓談を切り上げて帰宅する小生であった。

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2017年7月23日 (日)

1987年7月23日

西村知美女史のコンサート"愛の夢’87夏"に参加するため。よみうりランドに向かう小生。

7月23日のよみうりランドというと、昨年は同じ芸映プロダクション所属の石川秀美女史が"オープンシアターEAST"コンサートを開催している。これは決して偶然ではなく、やはり芸映プロダクション所属の河合奈保子女史が、誕生日である7月24日に、"オープンシアターEAST"でコンサートを開催することが恒例となっており、その前日ということで7月23日の開催となっているのであろう"前座"的な日なのである。そのような日であったが、石川女史は、一年で西村女史に明け渡すことになってしまった。

ちなみに小生は昨年の石川女史の"オープンシアターEAST"でのコンサーには参加していない。夜間の公演であったため、帰りの時間が厳しいこともあり、遠慮させていただいたのであった。
その点、今回の西村女史のコンサートは昼間の催行ということで、小生にとっては好都合であった。

電車を乗り継ぎ会場に向かう小生は、京王相模原線の車内で、"奈美ファンタジィ"スタッフのMU氏と偶然出くわし、会場まで同行することとなる。なお、このMU氏は、2月14日の浦和CORSOのイベントで、小生の左斜め後ろの集団からステージ上に上がっていた方であり、やはり普通の"○○ちゃんのファン"のレベルを超越している方であった。その後、縁あって知り合いとなっていたものである。


京王よみうりランド駅で下車し"スカイロード"山を登り、よみうりランドに入場する。
小生にとっては1986年10月10日以来のよみうりランドである。

スカイロード前の入園口から入園し、海水水族館、水中バレエ劇場前を通りすぎ、"オープンシアターEAST"に入場する。

19870723西村知美“愛の夢’87夏”チケット(150dbi)

会場で会った知人は、オリコン通信常連投稿者ではペンネーム"神谷ちかを"氏と"渡辺洋"氏、知美ちゃん新聞の編集人のTT氏、A高校OBのAT氏等。本日は、西村女史の専門ミニコミ誌である"知美ちゃん新聞"の読者集会が開催されたとのことである。

コンサートパンフレットを購入。

19870331西村知美「愛の夢」'87コンサートパンフレット

開演が近づくと、小生は知人らと離れ、会場のはるか後方、観客がいない場所を選んで腰を下ろした。周囲には誰もおらず、野外コンサートの解放感を、より一層感じることができるであろうと考えたが故の選択であった。
熱いベンチ。日差しが強い。夏の盛り。

19870331西村知美「愛の夢」'87コンサートセットリスト

開演。ベンチに半ば寝そべりながら曲のリズムに身を任せているとき、ふと左手を見やると、観客が誰もいない芝生席の通路を、白い服に身を包んだ女性が二人連れ立って、ゆっくりと歩いて来るのが見えた。業界関係者は、大概においてコンサート開始後に入場して来るものである。次第に大きくなってくるその姿を注視していると、やはりその"二人"は業界関係者、島田奈美女史と杉浦幸女史であった。
その"二人"も観客で密集している前方のAブロックの席には向かわずに、小生の左斜め前20メートル程の場所に腰をかけた。小生とその"二人"との間には、さえぎるものは何もなかった。
ステージ上では西村女史の歌唱が続く中、後方を気にする者がどれだけいようか。その"二人"に気づいたのは、小生だけだったのかもしれない。

しばらくすると、やがてその"二人"も風景の中に溶け込み、コンサートは淡々と進行する。
今日ここEASTに集った観客は、盛り上がるために来たわけはなく、淡々と進行する中、西村女史と時間と空間を共有することができれさえすれば、それで十分なのだ。

そんな時間が続く中、正面ばかりに動きのあった小生の視界の、周辺部分に突然動きが生じた。
そう、あの"二人"が立ち上がって動きだしたのであった。

通常、芸能人が友人、知人のコンサートを観に行って、終演まで残っていることはないとのこと。
この"二人"も他聞に漏れず、コンサート半ばで退席するようである。
連れ立って、ゆっくり歩く二人連れ、小さくなって、ゲートに消える。
一般の観客が使用するゲートとは別の、ステージ向かって左にあるゲートから退出したようであった。

そしてコンサートが終了した。
コンサートとしては珍しく、終了後に、握手会が行われることとなっている。
ただし、参加できるのはレコード等を購入した者のみとなっている。
ステージ近くまで降りていき、知人らと合流する。しばらく握手会に参加する人の流れを見ていたのだが、知人らが参加するとのことなので、小生も参加することとし、即売所として設けられたテーブルに行きレコードを購入した。握手会に参加する列に並び、ステージに向かってゆっくりと歩を進める。
もうすぐステージ、といったところで、会場整理をしているお兄さんから声をかけられた。
"あなた東大の佐野量子のコンサートにいたでしょ、見てましたよ。"
周囲の者は爆笑。
確かにいたしステージにも上がったので、覚えられていても仕方がないところではあるが。他のタレントさんのイベントで話題になるとは思ってもいなかった。佐野女史のイベント会場で、他のタレントさんのイベント会場であることあること話題にされたりしてもこまるので、佐野女史以外のイベントでは、目立つようなことは慎もうと思った小生であった。
というようなことがあり、心乱れて握手会はうわのそらになってしまった。
そして握手会も最後の一人が終わると、終了の挨拶をして、西村女史は、舞台袖から退場し、イベントが終了したのであった。

京王よみうりランド駅から京王新宿駅に出て、"知美ちゃん新聞"の第1回東京集会に顔を出した後、帰宅した。

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2017年7月22日 (土)

1987年12月21日

本日は、南青山のハナエモリビルで開催される芳本美代子女史のイベントに参加するため、営団地下鉄表参道駅

5階

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2017年7月18日 (火)

1987年7月18日

本日は、静岡第一テレビの公開生放送"Jan Janサタデー"観覧のため、沼津市の静岡厚生年金休暇センターに行くという予定である。

"ワープロ君"ことUM氏から、静岡厚生年金休暇センターへの行き方がわからないので沼津駅から一緒に行きたい、との連絡があり、沼津駅南口で待ち合わせることとしていた。

"Jan Janサタデー"の公開生放送に参加したことがなかった小生は、事前に静岡第一テレビと静岡厚生年金休暇センターに電話して、"Jan Janサタデー"は観ることができる、静岡厚生年金休暇センターへの入場は無料だがプール内に入るのには入場料がかかる、静岡厚生年金休暇センターへは、沼津駅から、休暇センター経由富士通行きの富士急行のバスに乗車れば行くことができる、といった情報を得ていた。

沼津駅は何度か降りたこともあり、勝手がわかっている。静岡厚生年金休暇センターは駅の北にあるが、沼津駅始発のほとんどのバス路線は南口を起点としている。駅北方面のバス路線は、富士急行が担っており、富士通行きのバス乗り場は、富士急百貨店前のどこかにあるはずである。

沼津駅南口でUM氏と合流した小生は、まず富士急百貨店に向かった。
富士通行きのバス乗り場を探すと、富士急百貨店の、ニチイに面した側に目指すバス乗り場を発見した。そのバス乗り場の後方の富士急百貨店には富士急行バスの乗車券売り場の窓口があった。通常は乗車するときに整理券を取り、降車時に、整理券と一緒に料金を料金箱に入れるのであるが、事前に乗車券を買っておけば、整理番号と料金表を見比べつつ両替の心配をする、といったようなこともなくなるため、"厚生年金休暇センター"までの乗車券を購入。バスの到着を待つ。
やがて"富士通"の幕が表示されているバスが到着し、UM氏と小生とはそのバスに乗りこむ。
沼津駅南口を発車したバスは、JRのガードを潜る。沼津駅の北は高層ビルも少ない。南から北に抜けただけで、都市から郊外へと風景は一変する。そして、都市近郊とっいった雰囲気であった車窓風景は、国道1号線を越えると田園風景となる。やがて道路は山にとりつき、東名高速道路くぐり、さらにしばらく坂を登り右折すると、静岡厚生年金休暇センターの敷地内に入り、バス停で停車した。小生らを下ろしたバスは、ロータリー状になっている道路を一周回し左折すると、車体を植え込みに沈めながら、元来た道を下って行った。

さて、バスを降りると静岡厚生年金休暇センター入口は目前である。会場の状況を確認したい小生は、早々に入館する。入口を抜けると左手にフロントがあり、正面に通路が続いている。フロントがある階が2階となっている。プールを目指してが進んでいくと、通路右手に、駿河湾を望むレストラン、さらに進むと、右手屋外に、プールが見えてきた。ではあるが館内の人はそれほど多くはなく、夏とはいえ日差しもなく涼しい本日の天候では、プールを利用しようという気にならないのか、はたまた静岡第一テレビが制限しているのか、遊泳客もほとんどいないようだった。

プールは1階屋外にあった。2階から1階に降りた小生は、利用料金を支払えばプール内に入れることを確認、一安心である。

本日集まったのは、小生と同行してきたUM氏の他、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏等である。

小生らが今後のイベントの情報交換などをし過ごしている間にも、プール周辺では、放送に向け着々と準備が進められていた。昇降式移動足場の、つぶれきった菱形の骨組みが横方向の対角線が長い菱形から、縦方向の対角線が長い菱形に変わっていくと、足場の上に据えつけられたTVカメラは、プールを俯瞰し、駿河湾の広がりが映し出すために据えられたものとなっていた。

やがて会場が騒がしくなりだした。気づくと音合わせがはじまっていた。小生らは駐車場での入り待ちをしていなかったので気づかなかったのだが、,いつの間にか、本日のゲストは会場入りしていたようである。

音合わせは、屋外のプールで行われていた。
屋外には、二つの島を持つ瓢箪形のプールと、小さな滑り台がある浅いプールがあり、瓢箪形のプールの"島"の部分が今回の放送の舞台となるようである。彼岸である島と、此岸のうちその島へと渡る橋の橋詰近辺が、番組関係者のみが立ち入ることができる区域であるが、瓢箪形のプールの、橋近辺以外の外周部分は一般観衆に開放されている。外周部分と島部分の間のプール幅は約5メートルといったところであった。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子1

まず、真弓倫子女史の音合わせ。
戻り際に写真を撮らせていただいた。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子2

そして佐野量子女史の音合わせである。
初めて見る衣装である。ステージ衣装であろうか?

19870718Jan Janサタデー_佐野量子1

佐野女史は、音合わせが終わると、静岡厚生年金休暇センターの建物の中に戻っていった。

ゲストが建物の中入るのを見届けた小生らは、一般客用の出入り口から建物内に戻った。
これから放送開始時刻17時10分まで相当の時間がある。休憩場所を求めて、ロビーのある2階に上がった。

フロントに向かって歩くと、通路左手のレストランで、佐野女史と真弓女史そしてその関係者とおぼしき人々が、一つのテーブルを囲んでいるのが見えた。佐野女史と真弓女史は同じレコード会社に所属しているので、その関係の打合せでもしているのだろうか。ここはそっとしておくのが礼儀と心得、そのまま通りすぎた。

放送開始の時刻が近づく。小生らは再び1階に降りて、プールに入場する。

"夏のリゾート"といった出で立ちで通り過ぎる小森まなみ女史。

19870718Jan Janサタデー_小森まなみ

しかし、実際には、長袖でも暑くはないといった気温である。

放送開始。
オープニング。
引き続き真弓女史が「片想いグラフィティー」を歌う。
CM
Janサタトップテン
今週のプレゼント
音楽情報
映画情報
CM
夏を楽しむグッズ
厚生年金休暇センター紹介
CMと続き、
佐野女史が「夏のフィナーレ」を歌う。
テレビジョン放送で歌うのは今回がはじめてとのことである。
そしてCM
プレゼントコーナー
会場プレゼント、小生は当たらず。
そして番組終了。

極近くで見ることができる、といったわけではなかったのだが、観客が少なかったため、ストレスを感じることなく
観覧することができた。゛

そして、佐野女史が、終始衣装の胸元を気にするしぐさをしているところが気になった小生であった。

19870718Jan Janサタデー_佐野量子2


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2017年7月13日 (木)

1987年7月13日

オリコン通信常連投稿者のペンネーム"ふわふわ♡典子ちゃん"氏のアパートで一泊した小生。

一夜明けた本日は、松本典子女史がフジテレビジョンの"森田一義アワー 笑っていいとも!"のテレホンショッキングに出演するということで、"ふわふわ♡典子ちゃん"氏とともに、"笑っていいとも!"を観に行くこととなった。
一緒に宿泊した、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"ぼっけもん"氏とは途中で分かれ、小生らは新宿まで向かう。
新宿ALTAの前で、やはりオリコン通信常連投稿者のペンネーム"CHELSEA♡SPECTOR"氏と合流。
"CHELSEA♡SPECTOR"氏は放送業界に詳しいとのことで、今回の入場方法は"CHELSEA♡SPECTOR"氏おまかせである。
"CHELSEA♡SPECTOR"氏によると、大概はキャンセル待ちで先着十数人は入場できるとのこと。新宿ALTA一階入口の向かって左側に並んでひたすら待つ。
やがて、既に入場整理券を手にしている人たちが集まりだし、7階まで続く階段に並びだす。それらの者の人数の確認が済んだ後、キャンセル待ちで入場できる者たちの人数が確定するのであった。
小生ら3名は、キャンセルの人数に無事滑り込み、入場待ち列の最後尾に加わった。

階段を7階までのぼり、"森田一義アワー 笑っていいとも!"公開生放送会場のSTUDIO ALTAに入場。この場所には以前佐野量子女史のイベントで来ている。佐野女史のイベントの告知には"スペースアルタ"と記載されていたが、今回の会場は、名称こそ異なるが、同じ場所のようである。

入場した順に係員の指示により着席する。基本的には前から詰めていくようである。列の端になるか中央付近になるかは運次第。前方に空きがあるのを係員が発見し、後から入場した者にその場があてがわれることもあるようである。
小生らは、後方の階段状になっている中央向かってやや左の席となった。
オリコン通信松本典子担当の両巨頭"ふわふわ♡典子ちゃん"氏と"CHELSEA♡SPECTOR"氏の間に、小生が挟まれるという配置となった。

前説が終わり、正午が近づく。
正午になるとともに、オープニングの「ウキウキWATCHING」が流れだし、いいとも青年隊、神田利則氏、相田康次氏のダンスがはじまる。そして総合司会のタモリ氏が歌いながら登場。

19870713いいとも青年隊_神田利則_相田康次_笑っていいとも!

曲が終了した後、引き続きテレホンショッキングのコーナーとなる。
ここで本日のゲストの松本典子女史が登場。観客一同は前説で言われたとおり、拍手と歓声で迎える。

19870713松本典子_笑っていいとも!_テレホンショッキング

テレホンショッキングのコーナーも、もうすぐ終了となろうかという頃、小生も注目していた翌日のゲストへの電話のコーナーとなった。このところ、テレホンショッキングの出演者は、本田美奈子女史以降網浜直子女史、芳本美代子女史、松本典子女史と1985年デビュー組が続いており、次が誰になるのかは気になるところであったのだが、電話に出たのは松居直美女史であった。松居直美女史には申し訳ないが、1985年デビュー女性アイルの流れが途切れてしまったな、とがっかりしたのが正直なところであった。

月曜日だったため、"寛子のおかし大好き!"のコーナーに出演する三田寛子女史のご尊顔も拝した。
そして番組終了。

"森田一義アワー 笑っていいとも!"の放送が終了しても、スタジオ内の観客は開放されることなくその場に留め置かれた。"CHELSEA♡SPECTOR"氏によれば、引き続き"ライオンのいただきます"の収録があるとのことであった。

なるほどこれなら"いいとも"の出待ち防止にはなるな、と思いつつ小堺一機氏のおしゃべりを拝聴し、"ライオンのいただきます"終了後、スタジオアルタを後にした。なお、帰りはビル内のエスカレーターを利用することができた。

新宿で、"ふわふわ♡典子ちゃん"、"CHELSEA♡SPECTOR"の両氏と分かれ、小生は帰宅の途についた。

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2017年7月12日 (水)

1987年7月12日

本日は、14時から新宿NSビルにおいて、小生が常連投稿者として活動している"オリコン通信"欄を擁するオリコン・ウィークリー誌の、創刊400号記念イベントが開催される。
本来ならば、万難を拝して参加したいところなのではあるが、東京都内の別の場所でこちらもはずせない所用があり、そちらが終了してから新宿へ向かうという予定。

所用が終了した後、JR御茶ノ水駅に急行し、中央線快速電車で新宿へ向かう。新宿駅に到着。NSビルまで
駆けつけたのだが、到着したのはイベントが終了した後。大時計広場には、器材の片づけが終わったステージが残されて、背後の看板だけが、開催されたイベントを物語っていた。

19870712_400号記念オリコン、ウィークリー東京スペシャル

やはり間に合わなかったか、
イベントの終了とともに、大方の観客はその場を去ってしまった、人影まばらな空間を前にし、少々落胆する小生であった。

しかしながら、ここ大時計広場には今しがたまで繰り広げられていたイベントの余韻にひたるかのように、ある者は体を左右に揺らしながら、ある者は腕組みし、ある者は直立不動のまま、結び付も緩い感じでおのおのが周囲の者と立ち話をしている集団を見つけることができた。

それこそが、オリコン通信常連投稿者たちの集団であった、それぞれペンネーム"西崎知紀""JVCの周美今日""渡辺洋""スイク2ミトカイ""ふわふわ♡典子ちゃん""きっぱら一人""ぼっけもん""CHELSEA♡SPECTOR""るなちっく♡うぇる""西克治""大谷渚""さわやか天使の輪""ナハ78 705""津田川優""GPZ-250""白雪姫はじめ""ルリルリ大好きQ太郎""北馬南船"等の各氏。さながら、オリコン通信の読者集会のごとき様相を呈していた。

小生はあらかじめ、遅れて到着するであろうことを伝えてあったので、その緩い集団の中に入り込む。鳥山さおり女史の審査結果などイベントの状況などを聞き、観ることができなかったことを残念がる小生。

その後、有志の者でマクドナルドに移動し、引き続き歓談。

さらに日も暮れると、新宿の街に繰り出し、酒宴と相成った。
結局この日、小生は帰宅せず、"ぼっけもん"氏とともに"ふわふわ♡典子ちゃん"氏のアパートにころがりこんで一泊したのであった。

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2017年7月 6日 (木)

1987年7月6日

本日は、日本大学石川秀美研究会の面々で、RVC株式会社を訪問することとなっている。

渋谷駅から宮益坂を登り、青山通りと合流した交差点の北の角に、RVC株式会社が入居しているビルディングがある。
日本大学石川秀美研究会会長のSS氏が、RVC株式会社宣伝担当の五井氏と面会の予約を取ってあった。
受付を通り、とある部屋に案内された。レコード会社内に入るのは初めてのことだったので、部屋に通される間も、通路や壁の様子室内を伺いながら歩いていたのでが、ポスターなどが貼られているわけでもなく、思いの他殺風景であり、それは、通された部屋も同様であった。

今回の訪問は、日本大学石川秀美研究会で作成している石川秀美専門ミニコミ誌"HIDEMI EXPRESS"の最新号を、五井氏にお渡しするということが主な目的となる訪問である。

しばらく待ち、五井氏が到着。"HIDEMI EXPRESS"をお渡しし、その代わりというわけではないのだが、石川女史の宣材を分けていただいた。
こういった宣材は、ミニコミ誌の読者プレゼントの景品として使う、というわけである。

折角RVC株式会社まで来た小生、実は願いしたいことがあったのだが、来社の目的が石川女史であったため、言い出せずにしばし逡巡していると、日本大学石川秀美研究会の中でもアイドル全般に理解のある経堂のMH氏が、それを察してくれたようで、小生を後押ししてくださった。

そこで、思い切って、"佐野量子さんのものも何かいただけないでしょうか?"と五井氏にお願いしてみた。
五井氏は、少々驚いたような顔はしたが、小生の不躾な申し出を了承してくださり、物を見繕いに部屋を出ていった。一部の会員の冷やかな目線を感じつつ、待つことしばし。筒状に丸めたポスターとおぼしき紙をかかえて戻ってきた五井氏。
"こんなものしかありませんが"と、1987年8月5日発売予定の「夏のフィナーレ」告知用ポスター5枚と「夏のフィナーレ」ジャケットのテストプリントと思われる白黒写真を机の上に並べる。

佐野量子「夏のフィナーレ」ジャケットのテストプリント(150dpi)

"ありがとうございます。"と、厚くお礼を申し上げ、ありがたくいただいく。
告知ポスターは、いずれどこかでいただけそうなので、望外というほどではないのだが、それまでの緊張が開放されたこともあり、顔がほころんでしまう小生であった。

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2017年7月 1日 (土)

1987年7月1日

佐野量子女史が"東芝夏祭り"に出演するとの情報を得て、川崎駅までやってきた小生。

佐野女史のファンクラブでいただいたチラシに、その情報は掲載されていたのだが、

佐野量子’87サマースケジュール(150dpi)

さらに詳しい情報を求め、佐野女史ファンクラブに電話して得たその情報は、
場所:川崎の東芝総合研究所
時間:13時50分から15時30分
多分社員優先
というもの。

東芝総合研究所の場所がわからなかった小生ではあったが、川崎の地図を見たところ、川崎駅西口の目の前に、東京芝浦電気堀川町工場があったため、イベントはそこで開催されるのだろうとあたりを付け、川崎駅西口に降り立った。

東口のにぎやかさと比較すると、あまりにもひっそりとした西口だが、駅前には工場しか無いといった状況だったので、東京芝浦電気堀川町工場への入口はすぐ見つかった。ただし、"祭り"開催しているようには見えない。
工場への入口脇に建物があった。守衛室であろう。そこにいた人に、聞いてみたところ、"ここでは祭りはやっていない"とのこと。駅の2km程北にも東芝の工場があるようなので、そちらに行ってみることにした。

バスで行きたいところではあったが、バス路線がわからないので、徒歩で向かう。30分程すると、歩いている道路は、国道1号線になった。多摩川方面にしばらく歩くと、左手に長いフェンスの連なる区画が見えてきた。フェンスの中には多くの人かおり、"祭り"が開催されているのはここだと確信した。早く入場し、観覧場所を確保したいと思うと、自然と小走り気味になる。さらに歩くと門があり、人が出入りしている。そして、門正面の建物へと、人の流れが続いていた。この建物の中が目的地に違いないと判断し、敷地内に入ろうとする小生。ところが、守衛から、関係者以外は入場できない、と止められてしまったのだった。

どうしたものかと、門あたりを見回すと、門の傍らに、同じ境遇と思われる者が一名立っていた。同じ境遇と判断したのは、その顔に見覚えがあったからである。確か、今年の2月14日の浦和のイベントで見かけた顔である。

その者も、小生の目的が自分と同じであることを察したらしく、なりゆきで行動を共にすることとなった。

敷地内の人の流れは、南の方角にも続いている。小生らも、敷地内の人の流れをたどり、今歩いて来た国道1号線を逆戻りし、次の交差点で右折する。なおも、敷地内の人の流れにをたどり進んで行くと、先程とは別の門から人が出入りしているのが見えてきた。その門に着いてみると、そこは、東京芝浦電気小向工場の門であった。してみると、先程の門が、総合研究所の門であろうか。

小向工場の門から、敷地内への入場を試みる。先程入場を止められたこともあり、緊張しながらの入場であったが、小生らを咎め立てする者は誰もいなかった。先程の門からこの小向工場の門に至る間、外から敷地内を見てきたのだが、敷地内に仕切り等は見あたらなかった。先程の門に向けて歩きだす。

その途中、敷地の南東の角近くに、架設の屋外ステージがしつらえられており、ステージ前の椅子席に某光学機器メーカーのHK氏が腰掛けていた。そのステージは、音響設備があまりに貧弱だったため、イベントは別の場所で行われるのではないかとの疑念を抱いた小生ではあったが、HK氏もそこにいたことから、小生ら2名も一旦ステージ前の椅子に腰を下ろした。しばらくHK氏と話しをしていると、HK氏も、イベントがこのステージで行われると確認したわけではないとのこと。となると、このステージの音響設備の貧弱さの疑念を払拭することができない。他の場所をあたってみることにし、先程の合流した者と2人で、その場を離れた。

候補先は、やはり、先程入場を阻止された門に続いていた建物である。敷地内を通って、その建物の正面入口に回り込む。建物前の門では入場を阻止されたが、その建物に入ることについては何ら咎め立てされることもなかった。建物内部を徘徊していると、とある一角に、ステージがしつらえられていた。ステージ前には、既に何十人かの者が陣取っている。ここが会場に違いないと判断した小生、空いている一角を確保する。この場にたどりつくまでにかなりの時間を使ってしまったため、あまり良い場所は確保できず、ステージから10メートル程度離れてた場所となってしまった。

やがて、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏も現れたため、この場で、8月20日に日本青年館で開催される佐野女史のコンサートの座席の抽選を実施。このチケット、小生が8枚分を浅井企画に直接出向いて注文したものが、昨日6月30日に小生宅に郵便で届いていたものである。届いた座席はA列28からA列35までのもの。日本青年館大ホールは27番と28番の間がステージ中央となるので、小生が最も良い席A-28の席を確保してしまっても良かったのであろうが、正直に全席を抽選にかけ、"ワープロ君"ことUM氏がA-31、横浜のKR氏がA-28を得ることとなった。

司会の女性が出てきて佐野女史を呼び出し、イベント開始。

19870701東芝夏祭り_佐野量子1

1回目のステージが終了したが、本日は2回まわしのようで、皆その場に居残っている。ただ、退場する者も少々いたため、少し前方に移動できた。

19870701東芝夏祭り_佐野量子2

イベント終了後、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、本日行動を共にした氏名不詳の某氏と帰路につく。
先程入場を阻止された門から出場し、国道1号線を渡ってすぐのバス停から川崎駅行きのバスに乗車。川崎駅から電車で帰宅した。

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2017年6月29日 (木)

1987年6月29日

本日は、まず五反田の親切堂ビルの6階にある浅井企画の事務所に行き、佐野量子女史のファンクラブ特製テレホンカードの注文と入金。1枚900円。ファンクラブ会報"ぽしぇっと"に掲載されていた白黒の写真は、明らかに野村誠一氏の撮影とわかるものである。

その後渋谷まで移動し、日本大学石川秀美研究会の面々と合流。
本日が発売日となる、Egg-manで7月29日の石川秀美女史のライヴのチケットを購入。

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