2017年9月12日 (火)

1987年9月12日

本日は、佐野量子女史が、万世橋警察署の一日署長になるということで、朝も早くに家を出で、秋葉原までやってきた小生である。
浅井企画から事前に得た情報は、"14時30分パレード"、"15時アトラクションの会"というものであった。

一日署長というからには、制服姿となるわけで、その貴重な姿をフィルムにおさめるため、知人からRICHOのXR500を借用してきた。装着されているレンズはCOSINAの28-200、画質にはあまり期待していないが、コンパクトカメラよりは遥かに良いだろう。

浅井企画からいただいた情報には、会場に関するものはなかったのだが、万世橋警察署最寄り駅の秋葉原駅へと向かったのだった。

秋葉原駅まで来てみると、西口広場に舞台が設置され、"秋の交通安全運動"と書かれた横断幕が掲げられていた。ここでイベントが行われることは明らかである。
場所取りしている者が既に数名いたが、舞台前には空いている場所がまだ充分にある。
舞台が地面から1メートル程と、高さがあるため、いわゆる"カメラ小僧"の方々は、少し引き気味の場所を取っているようである。

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動 パレードと集い

すでに、某光学機器メーカー社員のSA氏、HK氏が先着しており、小生はその傍らに場所を取った。

会場には"3万円君"の姿も見える。
知人も何名かは来ているが、昨年からの知人はほとんどいなくなってしまった。
10時前とはいえ、この集まり具合では、人気のほうが心配ではある。10月から始まる新番組に期待するしかないのが現状といったところ。

天候は曇り。暑くもなく、屋外で長時間待つ身にとっては助かる。

ステージの設営は終わり、ステージ向かって左側にはテントが設置され、音響機器と、椅子、テーブルが据えられた。そのテントが会場の本部となるようである。
そこで、本日のリーフレットも入手できた。

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動 パレードと集い_リーフレット(表1-4)(150dpi)

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動 パレードと集い_リーフレット(表2-3)(150dpi)

このリーフレットによって、本日のイベントの全容を伺い知ることができた。
パレードは、事前に得ていた情報どおり14時30分からとなっている。
出発地点は万世橋警察署前なので、14時30分より前に、万世橋警察署前まで移動する必要がある。
そして、パレードは、"集い広場"とされているここ西口広場が終点となっている。パレードに付いていき、今いる場所に帰ってくれば良いわけである。
そして、舞台上で各種の式典が開催された後、佐野女史のステージ、おそらく何曲か歌を披露するのであろう。

舞台上でのイベントはパレード後というとことで、まずはパレード出発地点となる万世橋警察署前に移動し、佐野女史が署内から出てくるのを待つ。関係者と共に警察署から出てきた佐野女史は、まず出発前の記念撮影。

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動 パレードと集い_パレード出発

それから、オープンカーに乗車してのパレードとなった。

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動_佐野量子_パレード

オープンカーは、中央通りを見物客を引き連れて北上する。
カメラを持った者は、パレードに付いていくというより、先回りしてカメラを構え撮影し、オープンカーに追い越されるとまた小走りに先回りしてして撮影を繰り返す、という動きになる。
しかし、一眼レフのカメラでは、オープンカーに乗って動いている被写体に合焦させることは至難の技。オープンカーが停車しているときでないと、ピントが合わないのではなかろうか。

外神田五丁目交差点で折り返したパレードは、元来た道の反対の車線を万世橋方面に向かう。

19870912万世橋警察署_秋の交通安全運動_パレードカー

外神田三丁目の交差点を過ぎたオープンカーは、秋葉原駅方面に右折し、秋葉原西口広場に到着した。

ここでオープンカーから下りた佐野女史は、式典が始まるまでの間、テントの中で待機となった。

そして、舞台上にはパイプ椅子が並べられ、佐野女史の他、主催者代表、来賓などが着席し、式典が始まった。
式典で、花束の贈呈を受けた佐野女史は、式典終了と同時に一旦舞台から降りる。

式典の次が、舞台前に集まった者たちが目的とする"アトラクション"の時間である。

佐野女史は制服姿のまま壇上に登場。
女性司会者とキー坊と佐野女史との会話で"アトラクション"は進行する。

Img659

その流れの中で、


「4月のせいかもしれない」

「少女がページを閉じる時」

「夏のフィナーレ」

の3曲を歌い、"アトラクション"は終了となった。
"アトラクション"の時間は20分程であった。

握手会やサイン会はなかったが、制服姿を見ることができた、というところに価値のあるイベントであった。

そして、翌日の大山の宿坊行きの準備のため、早々に帰宅する小生であった。

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2017年9月 8日 (金)

1987年9月8日

本日小生がやってきた場所は、横浜の山下公園の向かいにある、"ザ・ホテル・ヨコハマ"である。

このホテルの1階には、アール・エフ・ラジオ日本のサテライトスタジオが設けられている。そのスタジオから放送されるラジオ番組に、本日佐野量子女史が出演するのである。

浅井企画から得た情報は、"RFソネコーワイド(生)13:30~14:30"であったが、正式な番組名は"山下公園SONEKOH通り"である。

本日集まった者は、東芝夏祭りで行動を共にした"成田君"ことOS氏、横浜の"KR"氏、"権化"MK氏など4人と少ない。

ホテル前で、雑談をしながら時間を過ごしていると、マネージャーの鈴木氏が見慣れた服を着た佐野女史を連れて、ホテルの中に入っていった。

番組が始まるまでの間、佐野女史はスタジオの中で待機するようである。

佐野女史が中にいるということは意識しつつも、雑談にふける4名。

放送開始時刻が近づくと、小生らとは面識がない者も何人か現れ、スタジオを望むガラスの前に集まった者は、総勢10名程度となった。

19870908山下公園SONEKOH通り

スタジオの外から見えるように"ラジオパーソナリティー曽根幸明・石井かずみ"と記された看板が掲げられている。
番組は生放送。
小生は持参したAMラジオでRFを聞きながら、放送開始を待つ。

CM明けで佐野女史の出演コーナーが始まった。

佐野量子は最も窓際の席。ガラス越しではあるが、すぐそばである。

19870908山下公園SONEKOH通り_佐野量子_石井かずみ

まずは、名前の話題となり、本名だと読めないので、芸名では読み方を変えたとのこと。

曽根氏から、"日焼けなさってるかな?。泳ぎにいったのかな?"との質問に、

いっぱい行きました、最初は、バリ島に行ったり、インドネシア、あとね、あっ、そのバリ島では、おなかこわしちゃったんですけど。

曽根氏の"バリバリ食べすぎちゃった?"との質問に、

それもあるんですけど、バリ島でもすごくいなかのほうに行って、あのー、なんていうんだろ、油とかね、すごいんですよねー。

曽根氏の"あーそうなんですよ"との相槌、

全部料理も油っこくて、水もね、あんまりきれいじゃなかったんでおなかをこわしちゃったりして。
あと、サイパンとか、

曽根氏の"外国ばっかりですね"との問いかけ、

でも沖縄行ったり。伊豆行ったり。

曽根氏の"わたしも西伊豆行ってきましたけどね"小生らにはあまり興味のない情報。"あっちは海はきれいですものね、水もね"、それは小生もそう思う。

そうですねー。

曽根氏から、"10月21日に新しいシングルが発売されますね"とのアナウンスがあった。
曽根氏、"レタスの恋愛レポート(注:表記不明)、かわいいですねー、レタス好きですよわたし今減量中でね、レタスばっかり食べておりますけれど"

あっそうですか、レタスっていいんですよね。カローリーがなくてビタミンが豊富で。

曽根氏、"佐野量子ちゃん勉強してます、ビタミンがなんて。今日は、まずひとつ、まず、ご挨拶代わり、「夏のフィナーレ」を、お聞きいただきます。"

レタスの恋愛レポート(注:表記不明)が放送される流れかと思った小生は肩すかし。

ここで、佐野女史サイン入りハンカチを5枚いただいたので、5名の方にプレゼントするとのアナウンスがされた。
ハガキで応募するようにと、宛て先もアナウンスされた。

オリコン通信投稿者用のハガキを常に持ち歩いている小生は、その場で応募ハガキを書いていると、スタジオの中の曽根氏が、ハガキを持っていることに驚いていた。リクエスト用のハガキと思ったようである。


さらに、11月5日にライブレコードが発売になるとのアナウンス。

これは、この前、8月20日に行われたコンサートのライブレコードなんですけれども

曽根氏、"ファンタスティック(注:表記不明)というタイトルが付いておりますがね、それから11月21日にはね、なんと、ビデオが発売になりますね、これが、セ・レタス(注:表記不明)。セ・シボンとかあるでしょ、フランス語ですね。"

そうです。

曽根氏、"セ・レタス(注:表記不明)、これが、11月21日にビデオ発売になるというね、お値段は、,いくらでしょうかね?。"

7千6百円。

曽根氏、"8千円じゃないんですか。わー"

5百円まけてあります。

曽根氏、"値段まで知ってると、もーえらいですねー。それから、今度10月5日から、あたらしくTBSテレビのね、わいわいスポーツ塾(注:表記不明)という番組が、これは夕方の7時半かな?"

そうです。

曽根氏、"ね。7時半から、"

毎週月曜日ですね。

曽根氏、"月曜日、そう。これがまた楽しいですからね。ぜひ見ていただきたいと思いますけどもね。"

見てください。

曽根氏、"佐野量子ちゃんといいますとね、いろんなCM、たくさん出てますけども。一番、あっとどこでも目についたのが、おまわりさんの、警察官募集のね、ポスターにね、お出になったてのが非常に印象的でございましてね。それでね、もし、交通違反なんかしたらね、ポスターで、マネージャーの事務所のかたがそれで、交通違反、勘弁してもらえるのかなと聞いたら、だめだそうですね。"

そうみたいですね。あのー。やっぱり、こういうふうに、ポスターやってるからいいんじゃないですか?って言っても、そういうふうにやってるかたは、気をつけてくださいって、言われてしまう。

曽根氏、"やってる方は、正しく生きてください。ぼくなんかもそうですよ、つかまりますと、曽根孝明さんじゃないですか、ああすいません、そういう有名な方が違反しちゃだめじゃないですかって、余計おこられるんですよ、だからこまるんです。"

石井女史"普通以上におこられちゃう"

曽根氏、"普通の人の、1.5倍はおこられますからね。それから、禁煙ポスターも、佐野量子さんはおやりになっておりますよ。もちろん佐野量子さんはタバコは吸いませんがね。"

あ、はい。

曽根氏、"ね、吸ったら、大変なことになる。わたくしまあタバコは吸いませんね。"

石井女史"やめたんですよね。"

曽根氏、"ねー、なんであんなもん吸うんでしょうね。煙。"

ねー、からだに悪いのにね。

曽根氏、"ねー悪い、なんで吸ってるんでしょうつっていいながらついこないだまで一日50本ぐらい吸ってた(笑)しょうがない。もーほんとにしかしタバコはね、あれはあんまりやめるとね、太るんですけど。ほんとに太りました。"

あー、それはねー、男性のかたは言ってらっしゃいますね。

曽根氏、"わたくしなんとね 、去年の6月にタバコやめましてね、1年2か月。6キロぐらい、増えましたね。"

あー、そうなんですかー。その分食べちゃうんですか?。

曽根氏、"そいういやなんだか別にわかりませんけどもね、なんだか太るんですね。これは禁煙ポスター。これはあんまり、ギャラにはならない。警察官のポスターもギャラにはならないという、非常にいいお仕事をなさっているというね、お金をもうける人はぼくはねあんまり好きじゃないんですね。まああの、目立ったところで言いますと、ロート製薬とかね、あんまり、商品名言っちゃまずいかな?。"

石井女史"あとヤカンを持って、ラグビーの、応援をしてた量子ちゃんのコマーシャルが、あたしよーく覚えてるんですね。"

ブルボンの、はい。

曽根氏、"ねーいろんなことをおやりになってますけどね、この、わいわいスポーツ塾(注:表記不明)ってのはスポーツやるんですか?"

これは、ビデオで、VTRでスポーツの、こードジってる、ところとかそういうのーなんか名場面特集みたいなのをやって、で、VTRがストップするんですね、で、その後どうなるかっていうクイズ番組みたいな感じなんですけれども。

曽根氏、"ヤッっと倒れそうな格好で止まって、さ、,そのあとは倒れるかどうかと"

そうそうそうそうそう。どうなるでしょう?、とか。

曽根氏、"江川が、第一球投げました、江川おっとズッコケましたどうなったてしょう?"

そうそうそうそういうのです。

曽根氏、"このあと、ほんとにズッコケたんだよ江川はね。"

石井女史"あーそうだったんですか?"

曽根氏、"うん、ピッチャー投げようと思ってなんか、コテっとこー、クテっとコケたんです。なんなんでしょうね、あれ。"

でもいろいろあるみたいですね。風が、突風が吹いてきちゃったとか、投げる瞬間に突風が吹いて、それでボークになっちゃったとか。いろいろあるみたい。

曽根氏、"スライディングしたら顔からしちゃった人がいてね、顔が、ぶわーっと顔から。こう血だらけになって。"

石井女史"うわーこわい。"

あーそうなんです?

曽根氏、"球拾っておっかけてって、お客様が見てね、塀にぼわーと激突して。"

あーそれは見たことある。

曽根氏、"それで、口、切っちゃって、誰だ?、清原か。"

あ、そうなんです?

曽根氏、"鼻血じゃなくてなんかいろいろね、顔へ、またいろんなもんくっつけてね、あっ、こーとこんなんなんかくっつけてまでやってたとかね、おもしろいんですよね、見てると、スポーツってのはね、ほんとに、もう、いろんな、なんか、たくまざるドラマっていうかね。面白いことがたくさんありますからね。これは楽しみでございますね。あのー、リーダーっていうか"

えーと、塾長っていうか、これ、一応塾になってるんで塾長が、板東英二さんで、あと、塾の、毎週転校生っていうかたがゲストでいて、あとあの、あのー、竜雷太さんとか、あの、シブがき隊の本木さんとか、ええ一緒にやります。

曽根氏、"あーシブがき隊のねー、そうですか、よかったですね、仕事が。という今日は、かわいい佐野量子ちゃんでございますねー。さあ、次の曲、これは「夏のフィナーレ」の。"

ええ、B面ですね。

曽根氏、"B面に入ってる曲?"

あと、アルバムにも入っているんですけれども、「危険なテイスト」っていう。

曽根氏、"「危険なテイスト」、お聞きいたします。どうも、ありがとうございました。佐野量子ちゃんでした。"

以上、15分程で、佐野女史の出演部分は終了となった。

その後、しばらくスタジオ内で休んでいた佐野女史。
ガラス越しに写真の撮影をさせていただく。

19870908山下公園SONEKOH通り_佐野量子

しばらくすると、マネージャーの鈴木氏とともに席を立った。移動するようである。
流れ的に出待ちをすることとなった小生たちであった。
スタジオから出てきた佐野女史を見送った後、それぞれの帰途についた。

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2017年9月 6日 (水)

1987年9月6日

本日は、RF"スタジオアゼリア発信中"の公開録音に参加するため、川崎アゼリア地下街のスタジオアゼリアにやってきた小生。

小生がスタジオアゼリアに来たのは1987年3月8日のQRの番組の公開録音以来であったが、いつのまにか、番組の放送局がRFに変わっていた。

観客にとっては放送局がQRでもRFでも一向に構わず、重要なのは、観る環境に変化があるか否かである。

番組が変わって勝手がわからないということもあり、気合を入れて朝早く家を出る。

スタジオアゼリアに到着すると、会場設営の状況は、QRの頃と変わったようにはみえなかった。
朝早いにもかかわらず、中央付近はいわゆる"カメラ小僧"の方々の場所取りのシート等が置かれている。小生は、というと、ステージ向かって右端に近いあたりの最前列の場所を取った。QRの頃の例に習えば、出演待ちで控えているゲストを間近に観ることができる場所のはずである。

浅井企画から聞いた本日の佐野女史のスケジュールは、14時から15時30分の予定となっている。
まだ9時前なので、かなり時間がある。
本日集まった佐野女史の関係の知人は、"権化"MK氏、某光学機器メーカー社員のHK氏とSA氏、横浜のKR氏、みずき野の住人KK氏、横浜のKK氏。
長い待ち時間は、佐野女史の話をしながら過ごす。

やがて、ステージの設営が始まった。
ステージの両脇にテーブルが1台に椅子が2脚ずつ置かれた。ということは、ゲストは4人、2名ずつ左右に分かれる、ということになる。
向かって右側に4人並んでいた、ORの頃とは大きな変化である、お目当てのゲストが反対側の席を割り当てられたとしたら目も当てられない。小生らの前に席に来るのを祈るのみである。

さて、収録開始が近づき、本日の出演者が配置についた。
幸いなことに、小生らの前は、佐野量子女史と藤井一子女史の席となった。

19870906スタジオアゼリア発信中_佐野量子_藤井一子

佐野女史がステージ奥側の席なのが少々残念であるが、いたしかたない。手前側よりも奥側のほうが客席に正対するので、目が会う機会が多くなると思うことにしよう。

なお、テーブル上に用意された飲み物の入れ物は、ガラス製のものになっていた。
以前のように、ケンタッキーフライドチキンの持ち帰り用のコップでは、飲み残しを持って帰ってしまう不埒者が現れるので、そういったこともあって変えられたのかもしれない。

本日の出演者がステージ上にあらわれる。佐野女史、藤井女史に、畠田理恵女史、ひろえ純女史が本日の出演者で、司会者は"ウッチャンナンチャン"ということが判明した。

収録が始まる。

まずは畠田女史の登場。
歌ったのは「ターミナル」。

19870906スタジオアゼリア発信中_畠田理恵

「人見知り」でないという時点で、歌う曲は1曲だけではない、ということが判明。
引き続き次の曲かと思ったが、乗馬の話題の後、ひろえ女史が紹介された。

19870906スタジオアゼリア発信中_ひろえ純

ひろえ女史を見るのは、1986年10月5日のとうきゅうたまプラーザ以来である。

続いて藤井女史。

19870906スタジオアゼリア発信中_藤井一子

最後に佐野女史。

19870906スタジオアゼリア発信中_佐野量子

歌った曲は「夏のフィナーレ」であった。

エンディングの収録に移る。
この番組は同じ出演者で2本録りするようである。

2本目の収録の前に、出演者の座席の移動が行われた。
畠田女史とひろえ女史が、こちら側に移ってきた。なるほど、これなら出演者4人とも、間近で見ることができるというわけである。

2本目は、
佐野女史の「4月のせいかもしれない」
で始まり、

藤井女史の曲。
佐野女史のと藤井女史でゲームと進行。

最後の曲は、畠田女史の「人見知り」であった。

2本目のエンディングの後、オークションが実施された。
同じく"ウッチャンナンチャン"が司会をしていた三浦海岸フェスティバルの再現である。
佐野女史の品がオークションにかけられ、値が競り上がっていく最中、佐野女史が小生のほうを見て何かを伝えようとしている。言いたいことはわかっている、値段が高くなるのを心配しているのだ。
しかし、値を上げていかなければオークションにはならない。
ということで、かまわず競り上げる小生であったが、"三浦海岸フェスティバルの再現"どおりで、落札することはできなかった。

なお、本日この会場に集ったオリコン通信常連投稿者は、ペンネーム"るなちっく♡うぇる"、"☆堕天使"、"渡辺洋"、"津田川優"、"西崎知紀"、"スイク2ミトカイ"の各氏。新旧の"暗い子"代表が顔を揃えた日であった。

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2017年8月23日 (水)

1987年8月23日

本日は、昨日8月22日に引き続き、静岡第一テレビで開催される24時間テレビのイベントに参加するのだが、本日は、サンテラス駿東の会場と、静岡第一テレビ本社前の会場をハシゴする予定である。

まずは、昨日も参加した、サンテラス駿東の会場に向かう。
本日は、ハシゴをするという前提での行動のため、自家用車ではなく、公共交通機関を利用してサンテラス駿東に向かった。

昨日の晴天から一転して、本日は今にも雨が降り出しそうな空模様である。
24時間テレビの中継という性格上、中止ということはあり得ない。実際にサンテラス駿東のステージには屋根が設置されていたが、客席に屋根があるわけではない。雨が降り出さないことを祈るのみである。

本日のサンテラス駿東のステージの出演者は、石川秀美女史、仁藤優子女史、山下美晴女史である。
10時すぎにサンテラス駿東に到着すると、昨日とは打って変わって、ステージ前には人だかりができていた。
ステージとベンチの間の隙間にも、体育座りで3列ほどの人を入れ、ステージ前にはロープが巡らしてあった。
200人程度の観衆が、イベントの開始を待っている。

もちろん仁藤優子女史目当ての観客もいるのだろうが、ほとんどの観客は石川女史の目当てなのであろう。
石川女史のイベントに何度も通ったことがある小生からすると、石川女史の観客動員力が目に見えて落ちていることを感じてはいるのだが、それでも、昨日の数倍の人数は集まっている。

方や日本青年館でホールコンサートを開催したばかりの佐野女史、一方で、ライヴハウスでの活動が主体となっている石川女史。コンサートやライヴでの動員力はそれほどの差がなくなってきているのかもしれないが、世間の知名度では雲泥の差があるというのが現実なのである。

ただし、昨日よりはるかに多くの観客が集まったサンテラス駿東の会場であったが、誰一人として知人に会うことはなかった。


ステージ開始前の音合わせが始まる。

19870823_24時間テレビ_仁藤優子

仁藤女史は、既に本日の朝7時39分から、全国ネットで「秋からのSummer Time」を歌っている


石川女史は、バックバンド"PINK ELEPHANTS"を引き連れての音合わせである。

19870823_24時間テレビ_石川秀美

石川女史と、BUNちゃんは、24時間テレビのTシャツを着ていない。
何曲か歌ったところで、小雨がぱらつきだした。

小生も、ここが潮時と、静岡第一テレビ本社に移動するため、会場を後にした。


極力早い方法で、静岡市中原にある静岡第一テレビ本社まで移動。
24時間テレビというイベントを開催しているということもあるのか、門で呼び止められることもなく、テレビ局にしてはすんなりと、敷地内に入ることができた。

局舎を背に、ステージが組まれている。
サンテラス駿東のステージと異なり、屋根がなく、楽器もなにも置かれていない、ステージ前には椅子さえない殺風景なステージであった。

サンテラス駿東のようにショッピングセンターに設置されたステージではないので、本当に24時間テレビが目的の者しか来ないからか、観客も、昨日のサンテラス駿東以上に少なく、ステージ前にいるのは20名程度であろうか。
ただし、募金を受け付けているテント側にいる者ものいるし、遠巻きに見ている者もいる。
観客が少ないと、場所取りも必要なく、お目当ての歌手がステージ上にいるときだけステージ前に行き、それ以外の時間は後方で知人と話しをしながら待機する、という過ごし方ができるため、逆にステージ前の者が少なくなってしまう、というこもある。

既に11時45分から、SDTふれあいコンサートが始まっている。

ザ・ミンツが 「イン・ザ・ナイト」を歌う。

19870823_24時間テレビ_ザ・ミンツ

向かって左から、ミー、ミコ、ニコの3人組とのことである。

福田忍氏が「ひとりだち」を歌う。
ロックから演歌のような曲まで歌うとのこと。

島津悦子女史が「漁火の宿」を歌う。
鹿児島出身、静岡で活動しているとのこと。

春奈輝昭氏が「花の太平洋」を歌う。
静岡両替町出身とのこと

萩原冴子女史が「蒼いかげり」を歌う。

ここまでが静岡第一テレビ本社のステージで、
引き続きサンテラス駿東からの中継が入る。
会場にあるモニターを見ていると、石川女史が「いまさらプリーズ」と「密室のハリケーン」を歌った。
昨日は東京で24時間テレビに出演してきた、静岡は初めてとのこと。
石川女史、BUNちゃん、"ミッシェルと呼ばないで"岡澤氏とも、24時間テレビの黄色いTシャツに着替えて出演していた。

ここまでで、SDTチャリティーコンサートの中継は終了。


休憩後、さらに出演者がステージで歌う時間が設けられているとのことである。

小生は遅れて到着したが、会場には既に某光学機器メーカー社員のHK氏、SA氏、みずき野の住人K氏、名古屋のK氏がいた
また、オリコン通信常連投稿者の"CHELSEA♡SPECTOR"氏もいたが、松本典子女史が出演するので当然ともいえる。ただし、オリコン通信常連投稿者の"ふわふわ♡典子ちゃん"氏の姿は見えなかった。

"CHELSEA♡SPECTOR"氏の話しによると、松本女史と佐野女史が歌っているときは雨が降っており、合羽を来て歌ったとのことであった。
そういえば、ここ静岡第一テレビ本社のステージには屋根が無い。サンテラス駿東のステージに屋根があったのは、バックバンドを連れてくる石川女史対応だったのかもしれない。

小生がここ静岡第一テレビ本社に到着した頃には、雨はほぼ上がったていたが、雨に濡れるのを防ぐため、TVカメラを設置するための台の下に荷物を置き、そのすぐ脇で"CHELSEA♡SPECTOR"氏と、最近のオリコン通信事情などの情報交換をする。
TVカメラの側にいることが、こういった公開放送の会場で、TVカメラに抜かれない秘訣なのである。

しばらく待っていると、本日の出演歌手のステージが始まった。テレビジョン中継はされないステージである。

もう雨の心配はしなくてよさそうである。
"CHELSEA♡SPECTOR"氏が、佐野女史のステージの間、一眼レフの機材を貸してくれるというので、ありがたく借用することとし、持参のフィルムを借用したカメラに装着した。レンズはFD100-300F5.6。赤ライン付きである。
使用してみると、合焦させるのはなかなか大変である。

19870823_24時間テレビ_佐野量子

佐野女史が歌ったのは、

「止めて片想い(シークレットラブ)」
「少女がページを閉じる時」
「瞳にピアス」
「4月のせいかもしれない」
「夏のフィナーレ」
の5曲であった。


佐野女史のステージで、フィルムを使い切ってしまったので、機材を"CHELSEA♡SPECTOR"氏に返却した。

その後松本典子女史のステージ。

19870823_24時間テレビ_ラサール石井_森喜久子_松本典子

各出演者が歌い終わると、行われるイベントは募金の受け付けくらいになってしまう。
しかし、乗り掛かった船である、24時間テレビの終了を見届けるまで、静岡第一テレビの会場にいることにする。

佐野女史が、青葉イベント広場で募金受け付けをしていたと聞いて、行けばよかった残念がっている佐野女史関係の知人がいたが、そこまでは把握できなかったので、それはあきらめるしかないだろう。

ステージに本日の出演者が全員集合し、グランドフィナーレが始まる。今年の24時間テレビも終了の時刻が近づいてきた。
グランドフィナーレは19時31分19時50分、その中に静岡第一テレビからの中継が流れることになっている。
今年のエンディングテーマは「生まれ来る子供たちのために」が流れだした。
曲の合わせ、系列曲からの中継映像が入る。札幌テレビ、青森放送と続き、その後
静岡第一テレビからの中継映像が全国に流れる、
静岡第一テレビからの中継映像が10秒ほど流れた後、日産本社ギャラリー、東京・立川昭和記念公園、日本武道館、よみうりテレビ、日本海テレビ、福岡放送、日産本社ギャラリー、日本武道館、東京・立川昭和記念公園、と映像は切り替わり、最後に日本武道館からの中継で番組は終了となった。

24時間テレビのイベント、お目当ての歌手を近くで見る事ができ、聞くことができた曲も多く、石川女史のステージ以外はすいており、空き時間には知人との話しもでぎた。総体的には、充実した2日間だったと言えよう。

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2017年8月22日 (火)

1987年8月22日

本日から明日にかけて、日本テレビ系列の放送局では、"24時間テレビ「愛は地球を救う」"が放送される。

この二日間、日本テレビ系列テレビ各局では、有名芸能人から、ほとんど無名とも言える芸能人までが動員され、チャリティーの名のもと、イベントを開催するのである。

その中でも、日本テレビに呼ばれる芸能人は、一流と言えるだろう。

また、24時間テレビでは、地方局からの中継を、全国ネットで流すこともある。名の売れた芸能人であれば、地方局に出演していたとしても、全国放送の電波に乗ることもあるわけである。

昨年は東京で24時間テレビのイベントに参加した小生であったが、今年の24時間テレビは、一も二にもなく静岡第一テレビを選択した。

今年、静岡第一テレビが招聘した芸能人は、
ラサール石井
小森まなみ
石川秀美
松本典子
佐野量子
伊藤美紀
仁藤優子
森村聡美
福田忍
島津悦子
春奈輝昭
今村知子
山下美晴
SHAPE
森喜久子
ザ・ミンツ
萩原冴子
といった面々である。

まず、家を出る前に、静岡第一テレビに電話し、静岡の映像が流れる時間を教えてほしいと話すと、24時間テレビの担当者に電話が繫がれ、電話口に出た担当者から、静岡第一テレビにおいて、静岡からの映像が流れる時間帯を教えてもらうことができた。

17:10-18:28 Jan Janサタデー
19:00-19:05 グランドプロローグ
19:39-19:50 グランドプロローグ
20:45-20:51 合唱
22:00-22:01 チャリティーコーナー
とのこと。1分間の中継まで細かいタイムスケジュールができているものだと感心する。

翌23日分も教えてもらう。

7:00-8:00 欽ちゃんのふれあいの旅
9:55-9:57 チャリティーコーナー
11:45-12:55 SDTふれあいコンサート
13:00-13:55 日本全国チャリティー夏祭り
13:57-13:59 渚公園
15:25-15:27 すんとうチャリティーコーナー
17:00-17:17 SDTチャリティー報告
19:31-19:40 グランドフィナーレ
とのこと。

教えていただいたのは静岡第一テレビが自社で製作した電波を流す時間帯なので、このうちの一部が全国にネットされることになる。
懇切丁寧に教えたいただいたおかげで、小生の中では静岡第一テレビの印象は非常に良いものとなった。
教えられた時間でビデオデッキの予約録画の設定をし、家を出た。


ところで、24時間テレビの、静岡第一テレビにおける会場は、1か所ではなく、サンテラス駿東と静岡第一テレビ本社の2か所が主要な会場となる。
小生は、22日はサンテラス駿東、23日は午前中にサンテラス駿東、午後に静岡第一テレビ本社出向く予定である。


本日向かうサンテラス駿東は、静岡県の東部地区、駿東郡清水町に位置する。
すぐそばに"泉"というバス停があるとのことだったが、"泉"のバス停には、一日1本のバスしか止まらず、今回のサンテラス駿東行きには使えないということがわかった。最寄り駅は、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅になるのだが、そこからサンテラス駿東までは、徒歩で30分近くかかりそうである。
ということで、自家用車で現地に向かうことにした。

10時の開店時刻前に、サンテラス駿東に到着。
サンテラス駿東の北東入口の北側に、既にステージが設置され、ステージ前にはベンチが3列並べられていた。
最前列ほぼ中央が空いていたので確保する。
ステージはかなり高く、1.2m程度はありそうである。ステージから椅子までの距離もかなり離れているのが少々残念、3m程度はあろうか。
テレビジョン中継用のステージなので、客席との間にテレビカメラが入ったりするのであろう。

ステージの北側にある駐車場敷地には、移動式の遊具が据えつけられ、子ども向けの遊び場ができていた。

19870821-31_24時間テレビ「愛は地球を救う」10_サンテラス駿東_アドベンチャーランドチラシ(表)(150dpi)

24時間テレビが放送されるこの時期の8月21日から8月31日まで"アドベンチャーランド"とうい催しを開催しているようである。

10時にサンテラス駿東は開店し、徐々に来店客も増えてきた。
しかしながら、客席は前2列くらいしか埋まらない、本日のサンテラス駿東の出演者、小森まなみ女史、佐野量子女史、山下美晴女史にSHAPEの面々では、それほどの集客力がないということなのだろう。

12時頃になって、親衛隊の方々が現れた。最近の佐野女史のイベントで、親衛隊の姿を見ることがなかったので、久々に見る親衛隊である。
本日の現場の長は、白いジャケットを纏って、一見すると普通の人で、統制棒を持たねば親衛隊とは気づかないだろう。軽く挨拶をしておいた。

小生の知人らも、続々と到着。本日集まった面々は、某光学機器メーカーのHK氏、みずき野の住人K氏、名古屋から来たI氏とK氏といったところである。


本日の、24時間テレビの放送開始は19時からだが、静岡第一テレビでは、17時10分から放送を開始する自社製作の生放送番組"Jan Janサタデー"を"Jan Janサタデー24時間テレビスペシャル"として通常より延長して放送し、24時間テレビのグランドプロローグにつなげるという構成となっている。

8月も下旬になるのだが、本日は晴天で、気温は34℃を超えたとのこと。
この熱い中、放送開始までの5時間以上を待ち続けなければならないのだが、冷房の効いたサンテラス駿東の建物内で涼むこともできるので、屋外イベントにしては恵まれている。
国道一号線を挟んだ先にある、柿田川湧水公園に行く者もいた。

そんな待ち時間、駐車場に架設された遊具の区画に、ジャスピオンが現れた。

19870822ジャスピオン

レッドフラッシュも登場。

19870822レッドフラッシュ

お子さまが盛り上がった後、ステージ上では"Jan Janサタデー"放送の準備が進み、佐野量子女史、山下美晴女史、SHAPEと音合わせが始まる。
その後出演者全員がステージ上に揃ってリハーサルを行った。

19870822Jan janサタデー_リハーサル

その後出演者は、ステージから捌けていった。一旦控室に帰ったのであろう。

そして、再び現れたときは、皆がTシャツ姿になっていた。着ているTシャツは、24時間テレビの黄色いTシャツである。


放送開始が近くなって椅子席には空きがなくなってきたが、立ってまでして番組開始を待つ者はあまりいない。

ステージに出演者が集まり、放送開始が近づくと、立ち見客も集まりだしてきた。
17時10分きっかりに、放送開始。

放送は、こちらサンテラス駿東の会場と、静岡第一テレビ本社の会場と、静岡市役所の裏にある"青葉イベント広場"からの三元中継。
第一テレビ本社のステージには、司会としてラサール石井氏がおり、出演者は松本典子女史、伊藤美紀女史、森村聡美女史、ザ・ミンツの面々。
サンテラス駿東の会場と、第一テレビ本社の会場から交互に中継し、途中に青葉イベント広場からの中継をはさむという流れで、放送が進行する。


17時10分きっかり、オープニングテーマソングであるLOOKの「Hello Hello」が流れだす。
総合司会のラサール石井氏がいる、静岡第一テレビ本社前のステージからの中継が入り、その後、サンテラス駿東からの中継が入る。ハンディのテレビカメラがステージ前を行き来するので、静岡ローカル放送とはいえ、できるだけ映り込まないように身を捌く。
そして、青葉イベント広場からの中継後、CMに入った。

CM明けに、静岡第一テレビ本社から伊藤美紀女史が「哀愁ピュセル」を歌う。

そして再び中継は、サンテラス駿東に戻り、SHAPEが「SPARKLING SUMMER」を歌う。4人のメンバーのうちの一人が下田出身とのことである。

その後、CM、24時間テレビ紹介、青葉イベント広場パネル展紹介、CMと続き、

CM明けに、静岡第一テレビ本社からザ・ミンツが「イン・ザ・ナイト」を歌う。
ザ・ミンツは、日本テレビ音楽学院の卒業生で結成したグループだそうで、去年までは、「エバー・グリーン・ラブ」や「愛はマジック」を踊っていたとのこと。

再び、サンテラス駿東からの中継に戻り、山下美晴女史が「抱きしめるには熱すぎて」を歌う。
山下女史は、富士宮出身とのこと。

19870822Jan janサタデー_山下美晴

静岡第一テレビ本社から森村聡美女史が「てれぱしぃください」を歌う。
「てれぱしいください」を歌う映像は、非常に珍しいのではなかろうか。
森村女史は焼津出身とのこと。

静岡第一テレビからの中継が入っている間、こちらサンテラス駿東の会場は休憩時間となる。

19870822Jan janサタデー_小森まなみ

その後、CM、募金方法の紹介、CMと続き、

サンテラス駿東から佐野量子女史が「少女がページを閉じる時」を歌う。
「少女がページを閉じる時」の映像が流れるのも貴重。衣装がTシャツなのが残念ではあるが。先日、7月18日に"Jan Janサタデー"に出演し、すでに「夏のフィナーレ」を披露しているので、別の曲にしたのであろう。

19870822Jan janサタデー_佐野量子

そして、大トリとして静岡第一テレビ本社から、松本典子女史が「パステル・ラブ」を歌って、CMに入り、エンディングとなった。

周囲はすっかり暗くなっていた。

全歌手平等に1曲ずつの歌唱であった。はじめて聞く曲もあったので、定かではないが、フルコーラス歌うことができたように思う。

こうして"Jan Janサタデー"は終了したのだが、引き続き19時から24時間テレビの放送が開始される。グランドプロローグの中では、日本テレビ各系列曲からの中継が順番に入るので、小生らもしばらく待機する。

19時、グランドプロローグが始まる。

出演者全員がステージ上に並び、中継の順番が回って来るのを待つ。

19870822_24時間テレビグランドプロローグ_サンテラス駿東

日本武道館から静岡第一テレビへの呼びかけに合わせ、中継が始まる。
ここでは、会場はいかにも盛り上がっているという体を出さねばならない。
中継は数十秒で終了。

その後、しばらく時間をおいて、静岡第一テレビローカル枠の放送が始まった。
まず、静岡第一テレビ本社前ステージからの中継。島津悦子女史は昨年に引き続き静岡第一テレビでの24時間テレビ出演とのこと。

引き続きサンテラス駿東ステージからの中継となる。"Jan Janサタデー"小森まなみ女史は帰宅したのかステージ上には現れず、今村知子アナウンサーが進行。佐野女史は、昨年、一昨年は北海道で出演し今年はじめて静岡での出演とのこと。山下美晴女史はデビュー1か月とのこと。SHAPEは昨日デビューしたばかりとのこと。

引き続き青葉イベント広場からの中継。昼間は気温が36℃になったそうである。

サンテラス駿東の明日の予定も発表された。
明日は7時30分から仁藤優子女史が、10時過ぎから轟二郎氏と今村知子アナウンサーの司会により、石川秀美女史と山下美晴女史のステージがあるとのことである。

青葉イベント広場には、きすみかなこアナウンサーと森村聡美女史赴くとのこと。

19時50分、静岡第一テレビローカル枠の終了を受けて、本日のステージ上のイベントも終了となった。

明日も一日24時間テレビのステージがある。束の間の休息をとるため、一旦帰宅する小生であった。

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2017年8月21日 (月)

佐野量子 "Summer Concert ’87 FANTASTIC"チラシ等

今回紹介する品は、1987年に催行された佐野女史のコンサート"Summer Concert ’87 FANTASTIC"関係のチラシ及びハガキである。

この"Summer Concert ’87 FANTASTIC"は、正式な佐野女史のコンサートしては、4回目となるものであり、東京でのコンサートは、前年1986年8月22日以来の2回目のコンサートであった。

150dpi

こちらのチラシは、B5判色上質紙片面印刷。
チケットの申込み用紙を兼ねている。


150dpi_2

こちらのチラシもB5判色上質紙片面印刷。
手書きのチラシであり、シングルレコード「夏のフィナーレ」の告知も記載されていることから、上記のチラシより後に作製されたものと思われる。


1150dpi

こちらは、ファンクラブ会員等にダイレクトメールとして送付されたハガキである。
記載内容は、最初に紹介したのチラシと全く同じである。

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2017年8月20日 (日)

1987年8月20日

本日8月20日は、日本青年館で佐野量子女史のコンサートに参加する予定となっている。

しかしその前に、佐野量子専門ミニコミ誌と称している"おれんじ☆てぃー"の読者集会が開催される。"おれんじ☆てぃー"編集人のOM氏からの参加の誘いを受けてた小生は、まずは"おれんじ☆てぃー"の読者集会に参加した。

本日の参加者は10名。以前からの知人は"おれんじ☆てぃー"編集人のOM氏の他、富士のKY氏、"権化"MK氏であったが、顔は見知っているという者も何人か参加していた。

東芝総合研究所の東芝夏祭で会場を探すために行動を共にした者も参加しており、OS氏という名前も伺った。OS氏は都立代々木高校の学園祭に参加したり、成田空港に行ったりもするそうである。
小生が行くことができなかった、7月28日の"笑っていいとも!"も観に行ったとのことであった。

読者集会であるが、OM氏が立てた計画では、まずは都立代々木高校を訪問、その後佐野女史がよく行くという店で昼食を摂りながら歓談ということであったが、よく行く店というが蕎麦屋、パスタ屋とも日曜日定休ということで空いておらず、新宿に移動し、昼食休憩することとなった。

19870820おれんじ☆てぃー読者集会@代々木八幡駅

代々木八幡駅から小田急線に乗車し、新宿駅で下車。
入る店を探したが、日曜日の昼はどこも混んでいる。10人で落ち着けるところということで、結局マクドナルドということになった。

マクドナルドで軽い昼食を終えたが、コンサート開場までは、時間がまだ大分ある。

喫茶店で歓談をすることとなった。
連れていかれた場所は、メトロプロムナードの新宿三丁目駅、B6出口。その横に、魔の巣窟への入口のような、四角い暗闇が口を開けている。
昼間から入るには躊躇するような店であったが、OM氏に連れられ、入店する。

店内は薄暗く、場末のスナックのような感じであった。
しかしここが、日曜日の昼間に大人数で来ても入れる店として重宝がられている、ミニコミ誌関係者の間では有名な"カトレア"という店とのことであった。
空いている席に案内された小生らはソファーに腰をおろした。

"カトレア"では2時間程歓談したであろうか、そろそろ話題もなくなり、時間もあるので、徒歩で日本青年館に移動しようということとなった。

新宿駅からまず代々木駅に向かう。
敢えてなのか、青山街道踏切を渡り、そのままホープ軒方面に向かって歩く。
外苑西通りを渡ると、日本青年館に到着した。

ここで、"おれんじ☆てぃー"の読者集会に参加していなかった知人らと合流。
本日集った者は、"関東一のおっかけ"IH氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏、横浜のKR氏、みずき野の住人KM氏、名古屋から来たIT氏とK氏、我孫子のMT氏等々である。

席が近くなので否が応でも会場内でいっしょになるのではあるが。

というのも、小生らのチケットは、発売開始日の朝、小生が浅井企画まで行き、8枚まとめて購入したものであり、A-28からA-35までの連番席なのであった。
最も良い席を小生がいただいてもよかったのかもしれないが、席の配分は公平に抽選によって行った。
小生の席はA-29、最も中央寄りのA-28の席は横浜のKR氏の手に渡ることとなった。小生の隣のA-30の席は某光学機器メーカーのHK氏。

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”チケット(表)(150dpi)


日本青年館には、つい先日、オリコン通信読者集会の時にも来たばかりであったが、ホールに入るのは初めてである。
入口でカメラを所持していることを申告し、預かってもらう。

チケット半券と引き換えに渡されたポリ袋の中には、クリアファイルとコンサートパンフレットが入っていた。
パンフレットは、よくあるLPレコードジャケットサイズのものとは異なり、A3版アート紙を二つ折りにしたものとA4版アート紙3枚、いずれも片面カラーグラビア印刷片面単色オフセット印刷したもの、A4版にして10ページ相当のものであった。
それでも、コンサートパンフレットが作成されるとは、事務所もまだ売り出しには力を入れているようではある。

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(表1-表4)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P2)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P3)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P4)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P5)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P6)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(P7)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”パンフレットト(表2-表3)(150dpi)

19870820佐野量子コンサート“FANTASTIC”クリアファイル(A4)(150dpi)

ホール内に入場。座席を探す。
A-27とA-28の席の間が中央線となるようで、A-29の席は最前列ほぼ中央といえる席であった。
A-28からの連番席だったということは、ファンクラブ優先販売の中でも、最初か2番目に割り当てられたということなのであろう。

最前列中央からの連番席を確保できたことから、逆に、チケットの売れ行きが心配ではあったが、会場を見渡してみると、入りは8割り程度。
昨年コンサートを開催した東京郵便貯金ホールよりも定員が少ない日本青年館ホールということを差し引いても、動員数は昨年よりも多そうで、一安心である。


チケットには6:00PMと記載されていた開演時刻であるが、少々押している模様。
それでも、開場自体が1時間近く遅れた昨年よりは、入場できているだけましである。

場内が暗転し、開演を知らせる。
昨日はふわっとした感じでりラックスしたいた佐野女史でも、緊張しているだろうなと思うと、小生も緊張する。

18時25分開演。

緞帳が上がる。
「ファースト・レター」のインストルメンタルが流れるが、佐野女史はまだ出てこない。
小生の席からはよく見えないが、ステージのセット前に下ろされた紗幕に、佐野女史の子供の頃からデビューまでの写真が映写されているようである。

「風の微粒子~コロン~」が流れだすとともに、白いドレスを纏った佐野女史が、舞台天井から吊り下げられたブランコにのっておりてくる。

ここでMCが入る。

きょうは、八月二十日です、そとはほんとに熱いですね。みんな、夏ばてなんてしてませんか。
しちゃった?。ほんと?。あのね、しちゃった人はじゃあ、どうしよう、納豆、ネギ入りの納豆を食べて、元気をつけてください。

ここで会場内拍手。

わたしもね毎日納豆を食べて、ほんと、元気に、あい変わらず、がんばっています。
えー、これから、しばらくの間は、わたしといっしょに、最後まで、おもいっきり、楽しんでってください。

「教科書のイニシャル」
「世界で一番に嫌いな人」
「蒼いピアニシモ」~ピアノを弾く

「蒼いピアニシモ」では、イントロと間奏部分をピアノで弾くのだが、正直なところ、あまり上手いとは言えない。
「蒼いピアニシモ」の後MCが入る。

「蒼いピアニシモ」でした。
えーと、この曲は、また、去年に引き続き、ピアノの弾き語りで、弾いて、みましたけれど、なんか、すっごい汗で、つるつるすべっちゃって、こまっちゃたんですけど。
えー、去年よりは、なんか、少しは、上達したかな。みんなは、たぶん、気づいてないと思うんですけれども、去年だけね、ちょっとだけ、進歩したところがあるんですよ。
それは、去年は、イントロだけしか弾かなかったんですけど、今年は、間奏も弾きました。

ここで会場内拍手。

全然変わってないんですけれどもね。
えーほんとね、あんまり、うまくないんだけど、ピアノ大好きで、考えてみると、ピアノとの出会いっていうのは、今から15年前、わたしが、3歳だった頃からずっと、習い続けてきているんですよね。
で、たまにね、ピアノを、弾かれた〇〇〇したりするとね、なんかこうピアノが弾きたくて弾きたくてたまらなくなっちゃったり、なんかさみしい気持ちになったり、するときも、あるんですよね。
えー、だからね、たぶん、わたしが、何歳になっても、このピアノとは一生、ともに生きていくんじゃないかなーって、思います。
で、そんな中で、ひとつ、夢があって、わたしが、結婚して、もうね、料理もちゃんとつくれるようになって、家のこともちゃんと安心してできるようになったらね、近所の、小学校2年か3年ぐらいまでのね、子供たちをね、たくさん集めてね、ピアノを教えてあげて、で、年に一度でもいいから、その子供たちといっしょに、ピアノの発表会なんて開けたらいいなーなんて、思ってるんですけど、そのぐらい、ピアノが大好きで、だから、この、ピアノが、ピアノって、わたしにとっては、そばにいてくれなくちゃほんとに困るような、友だちみたいなところもあるんですよね。
はなしは変わって、もう、ちょっと前になるんですけれども、アルバム『MODERATO』みんな聞いてくれました?。

開場から"聞いたー"との声が上がる。

よかったよかった、どうもありがとうございます。えーとね、あのー、いつもレコーディングっていうのはね、一週間ぐらい前に、レコーディング一週間ぐらい前に、録音ができてきて、で、このね詞っていうのはね、わたしはいつも、いちにちかね、ふつか前ぐらいにもらうんですね。でもね、最悪の場合だとね、あのー、レコーディングスタジオで待って、詞を待って、で、来たら、すぐ入っちゃうレコーディングっていう曲も、あるんだけど、このアルバムの場合はね、1か月かね、2か月半くらいかな、前にね、曲も詞も全部もらって、自分でも、納得いく、あのー、アルバムに、なったと、思うんで、えっと、みなさんもたぶん、気に入ってくれてるんじゃないかなって、信じてるんです。

ここで会場内拍手。

どうもありがとうございます。
ここにね、あー、もうねー 、みんな気づいてるかなぁ。ほら、なんかこのへんに、あれっ、カメラだけかな。あのね、ビデオカメラがね、あるんですよ、実は。ちょっと見えないね。あのね、何で、どこ、あっ。

会場内に笑いが起こる。

ごめんね。あのね、そうそう、ビデオカメラ、なぜか知ってる?。実は、このコンサートのね、模様が、ビデオになって、秋に発売になっちゃうんですよ。えーとね、それとついでに。ついでにじゃない、いっしょに、ライブレコードも、発売になるんですこのコンサートの模様がね、秋に全部発売になるんですけれども。
だから、みんなの、もちろんおっきな声も、あったかい拍手も全~部入っちゃうんですよね。
で、いつも、わたしが、ひとりで、レコーディングスタジオで、歌うわけでしょ?。だけど、今日はみんなでなんかここが全部、レコーディングスタジオになっちゃって、みーんないっしょにレコーディングしてるみたいで、なんか、素敵だなーって、思うんですけど。
えー。だから、みなさんも、おっきな、元気な声と、素敵な笑顔で、協力してください。

ここで会場内拍手。

じゃあ。そうだな、みんながね、どのぐらいおっきな声が出るか、わたしもわかんないし、じゃあ、音声さんなんかもわかんないんじゃない?。だから、ちょっと、おっきい声だしてみよっかな?。
じゃあ、いい?。何て言おうか?。えっとねー。何て言おうかな。じゃあねーえ。ヤンマー、マンボー、マーボー、天気予報、にする。
これねえ。すごい好きなんですよね。(笑)だから、じゃあね。知ってる?、その歌、みんな。

会場から"知ってる"の声が上がる。

じゃあね。ヤンボー、マーボー、天気予報、って言える?。
(会場"言える"の声)
よし、じゃあ行きます。せーの。
(会場"ヤンボー、マーボー、天気予報"の声)
言えるじゃーん。(笑)
それじゃあね、じゃあね、合唱しよう、合唱。で、こっちから、こっちがね、ヤンボーね。あっ、ヤンボーでいいんだね。
で、こっちから、こっちがね、マーボー。
で、みんなで、天気予報ね。
せーの。

(会場"ヤンボー、マーボー、天気予報"の声)
すっごーい。

ここで会場内拍手。

じゃあね、なんかね、あのー、わたし、この前、"笑っていいとも!"のね、テレビに出たときにね、それ、その歌を、歌ったんですね。
そしたらね、ヤンボーマーボーそのヤンマーの、あの宣伝部長のね、かたからね、お電話が来てね、宣伝ありがとうございましたまるやまさん。

会場内に笑いが広がる。

じゃあね、あれ、その勢いによって、「止めて片想い(シークレットラブ)」

「止めて片想い(シークレットラブ)」
「危険なテイスト」

「危険なテイスト」でした。

えーと。もう、公開になっているんですけれども、映画、"シャコタン☆ブギ"。えーとですね。みんな、シャコタンて知ってる?。

会場から"知ってる"の声。

(笑)えー。あのねー。じゃあね知らない、今"知ってる"って言わなかった人がいるからね、じゃあね、教えてあげます。
あのね、シャコタンっていうのは、あのー、車高が低いくるまのことシャコタンて言うんです。(笑)
えーとね、あのやっぱり、東京はね都会だから、あんまり走ってないみたいなんだけど、いなかのほうに行くといっぱい走ってるみたいですね。で、わたしもね。そうでもない?。そういうふうにわたしは、聞いたんですけど、それで、あのー、えーとね、そのー、映画のロケは、ほとんど、全部ね、夜のシーンばっかりなんですよね。でー、全部、ロケーション。セットっていうかこースタジオの中も全然なくてね、全部外なんですけど。でね、ロケ現場はねえ、主に、えーと、あっ、ありがとうございます。
話の続きなんですけど、あのねー、それでほとんどね、福井県でロケを、したわけなんです。
で、福井県にわたしも、長く滞在していたんですけれども、そのときね、なんか、すごい不思議なことが、いろいろおきたの。

ベースの演奏始まる。

あのね。ロケもね、順調に進んで、三日目の、夜のことだったんですけど、夜ね、八時ぐらいに、ホテルを出て、わたしたち、ロケ隊が、ロケバスに乗ってね、あのーそのロケ現場が、山の頂上だったわけ、で、そこの頂上に向かって、どんどんどんどん山道を、ロケバスで登ってったんだけど、そこでねー、ロケバスでねぇ行ったところにねぇ、あの、その山道にね、この山道に、あの、トンネルが、たくさんあるんだけど、その中のね、ひとつに、なんかすごく、いやな噂があって、女の人の幽霊が、女の人の幽霊が出るっいう噂が。

会場に突然悲鳴のSEが流れる。

こわいからね、ほんとに。それで、あのー、そんなのでもわたしもほらあんまり、あの、こわいのきらいだし、そんなの信じてなかったんだけれども、でね、行きはね、ほんとになにもなかったのよ。全然なくて無事に現場に着いたんだけども、帰り道、わたしは、あのバスの中で寝ちゃって全然、あのー、気がつかなかったんだけど、運転士さんとか、あと、スタッフうちの何人かの人たちは、そのー、トンネルで女の人を見かけた、って言うのね。
で、次の日、その運転士さんは、すんごい高い熱が出ちゃって、運転できなくなっちゃったわけ。そいで、そのスタッフの人たちも、その晩は、あの、金縛りにあって、うなされたりしたんですよね。
で、そいで、それだけじゃなくて何が起こる、もうひとつねあってね、それは、すんごい崖っぷちがあったの、ほんとすごい、こう、上から見ると、こーは?????がうずまいてるような感じ。すんごい崖っぷちがあったの。
そんでね、そこで、あの、そこにシャコタンを持っていって止めといたんだけれども、サイドブレーキをちゃんっっとかけたはずのシャコタンが、ヒューって動き出しちゃったの。でみんなでワーって止めたんだけど、変だと思わない?だって、ちゃんとブレーキかけたのにさ、ぞれなのになんか走り出しちゃったりして、で、変だなーって思っていたらねー次ぎにねー、女の人がね、崖からチューなんてこんななって、落ちそうになっちゃったり、あと、撮影しますって言うと、雨がザーって振りだしちゃったりその、なんっか気味が悪いなーって思っていて、その現地の人に、一応聞いてみたらね、そしたら、そのー、崖っぷちは、自殺の名所だったりね、して、なんかやだなーなんて、思っていたんだけど、それでね、ほら、ホテルがねーまたすっごい、古~いホテルだったの。なんかね、築50年ぐらい、かなーって思うぐらい、すっごい古くてね、わたしも、こわくてたまらなかったんだけど、そこのホテルにもいやな噂があったの。それはね、水道の蛇口をひねると、真っ赤な血が飛び出るってその、で、わたしねほんっとにね、そんなこと続いてるしね、こわくてドキドキしてたんだけど、やっぱり、お風呂も入りたいでしょ?。だから、勇気を出してね、ジャーってね、ひねってみたの。

これは、錆びた水だった、というオチが容易に予想される展開である。

そしたらね、真っ赤じゃなくてね、黄色かったの、で、キャーっつってね、急いでね、隣の部屋の人にね、すいません、調べてくださいつったら、単なる錆びた水だったの。

会場に"チャンチャン"のSEが流れるとともに、拍手。
やはり、予想通りのオチであった。

ど~お。〇〇〇、涼しくなりました。

会場から"なった"との声。

ほんとに?、良かった。わたしも、暑かったから、みんなも涼しくなればいいなーって思ったとこで、良かった。
えー、そんなことが、あのあったんですけれども、でも、あたしもねー、こわいはなしほんっとにきらいだから、みんなも、今聞いたこと忘れてください。(笑)
えー、そんなことで、さっきも、おはなしした、LPの中で、ちょっぴり、おとなっぽい曲があるんで、聞いてください。

「雨が止むまで」

イントロのがシングルVer.よりも長くなっている。ギター伴奏のみで歌いだし、A-A'-B-B'-Cパートまでギター伴奏のみ、次のAパートから他の楽器が加わった。
このあたり、最前列故ではあるのだが、取材カメラマンが小生の前を行き来するのが幾分わずらわしく感じる。
静かな曲ではシャッター音もかなり気になる。
昨日聞いた話しでは、ビデオが発売されるということなので、そういった撮影も多くなるのは仕方のないところ。気にしないようにするしかない。

引き続き、

「真夜中のブーケ」
「アクエリアス」
間奏部分で佐野女史が一旦退場し、その間にバンドメンバーの紹介。
佐野女史が再度登場すると、衣装が青色ブラウスとピンクストライプバルーンパンツに替わっていた。

「アクエリアス」を1コーラス目から再度歌いはじめる佐野女史。
ここが立ち時、と立ち上がる小生。
最前列8人が立てば、さすがに後ろの者も立たざるをえない。
会場もほぼ総立ちとなった。

しかし、「アクエリアス」を歌い終わると、潮が引くように着席しだす。
オイオイ、一度立ったらすわるなよ、と思う小生なのであったが、本日は佐野女史のコンサート、小生の普通が通用しないこともあろうと、しかたなく席に着く小生。

「キラキラの秋」

もう、いつ会場を総立ちにさせようか、ということばかりに気持ちが行っている小生。
この曲では無理だなという判断である。

「どきどきテレポート」

この曲なら行けるだろう、とういうことで立ち上がる。
佐野女史も、歌詞"I LOVE YOU"で、会場の声を求めたりして乗っている感じである。
引き続き、犬の話しのMC。

「結べないリボン」

引き続き、取材でバリ等に行った時の話しのMC。南十字星も良かったけど、ちいさないっばいの星を見て、何億年もかかってここまで光がとどいているんだなと思うと元気が出てくるとのこと。

「少女がページを閉じる時」

引き続きMC。失恋の話し。

「夏のフィナーレ」

引き続きMC。今、この曲を忘れてて、イントロがかかってやっとわかり慄てたことを話す。続いて、
えー、去年からずっと、あのみんなに、言い続けてきたことなんだけれども、えーと、泳げるようになりたいって、ずっと、あの、言ってたんですけどそしたら、あの、…こいうふうにしたら、泳げるようになるよっていうね、アドバイスとか、こんなふうに、したら、泳ぎかた教室だっけ?、水泳教室、水泳教室に、いけるよとかね、あの、そういう、お手紙ももらったんですけど、ほんとどうもありがとうございました。

ここで会場内拍手。

今は、スキューバーダイビングも、やっているんですけれども、まだね、あのー、ライセンスを取る途中なんで、プールの中に入って、練習しているんです、だから、いつかきっと、海に潜ったら、みなさんに、おみやげばなしを持って、きたいと思いますので、ぜひ楽しみにしててください。

ここで会場内拍手。

それでは、コンサートもラストスパートです。「瞳にピアス」

「瞳にピアス」

"瞳にピアス"の歌詞の部分は、会場内合唱。

「夢からさめない」
「4月のせいかもしれない」

このシングル楽曲3曲は連続演奏であった。
その後、バックバンドが「4月のせいかもしれない」サビ部分を演奏しつつ、アンコール前の締めに入る。

どうもありがとうございました。
どうもありがとう。どうもありがとう。

といいながら佐野女史が退場。
引き続いて、"アンコール"コールが始まる。

しばらく"アンコール"のコールが続いた後、

「羊が空を飛んだ」の演奏が始まった。

佐野女史が登場し、歌いだす。
先程までの衣装から青いブラウスを脱ぎ、バルーンパンツの同じピンクストライプ柄のノースリーブの衣装となった。
元気よく歌っていたように見えた佐野女史だったのだが、2コーラス目Cパートあたりから、感極まったようになり、
泣きそうになるのをこえらて、2コーラス目サビの部分で、
みなさんもいっにょに歌ってください。
会場に呼びかける。

きょうは、みなさん、ここに、来てくださって、ほんとうに、ほんとうに、どうもありがとうございました。
(泣きだしたため、場内歓声)
今の、わたしの、心の中は、みなさんが、ここにきて、喜んでくれたかな、楽しんでくれたかなって、すごく、心配です。
こんな、わたしのために、時間をさいて、ここに、ほんとに来てくださいって、心から、ありがとうって、言います。

場内は歓声につつまれた。

今、わたしができる、みなさんへの、心からの贈り物です、聞いてください。

「贈り物」

スポットライトが当たる佐野女史。
手を延ばせば届くくらいの、すぐそこで歌っているのであるが、スポットライトが当たる場所と、当たらない場所は別世界。
そんなことはわかっていても、衣装が汗で濡れていたり、胸元が隙間が広がってきていたり、涙が鼻水になって流れだしそうになっていたり、そんな姿を見ていると、、この人のために何かしなければいけない、という思いが募る。単純に"抱きしめたい"という気になるのだが、直情的な思いは封印したとしてだ。
しかし、今の小生に何ができるというのか。

どうもありがとうございました。

という言葉を残し、佐野女史は退場していった。

アンコールの声は鳴りやまず、アンコールに答えて再び登場する佐野女史。
そして再度、
「アクエリアス」
を歌う。

今度は元気に。

2度目のアンコールも終わり、退場する佐野女史。

客席が明るくなり、コンサートが終了したことを知らせてくれる。


今の小生に何ができるというのか。
先程の疑問を反芻しながら、会場を後にする。
"オリコン通信"に佐野女史のことを書けば、佐野女史を気にしてくれる人が増えるだろうか。
ほんの少しの人しか集まっていないようなイベント会場に、小生の顔があれば、幾分は心強く思ってくれるだろうか。
それで良いことにしよう、今は。

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2017年8月19日 (土)

1987年8月19日

"佐野量子ファンクラブ"のイベントに参加するため、五反田にある浅井企画の事務所にやってきた小生であった。
事務所には13時に集合することとなっている。


浅井企画は、五反田駅東口から徒歩数分の親切堂ビルに事務所を構えている。
6階まで登り、エレベータを降りてすぐ左に頑丈な鉄の扉がある。重い扉を開けると小さななカウンター、いつもはここで用が足りるが、本日は、イベントに来たことを告げると、奥に案内された。
鉄の扉を背にし、右手奥に進む。そこは会議室のような部屋になっており、中に通された。部屋の中は思いの外広く、応接セットが一式据えられていた。

室内には、本日のイベントに参加する者がいたが、どこかで見かけたことがある気がする。


そこへ、住んでいるマンションから歩いて来たという佐野女史が到着、本日の参加者が揃ったところで、移動することとなった。

親切堂ビルから徒歩で、五反田駅方向に向かう。どこへ行くのかと思っていると、着いた先は、ショッピングプラザとうきゅうの8階のレストランフロアであった。そして、その中のレストランに入店する。午後1時を過ぎたとはいえ、店内はかなり混み合っている。窓際のテーブルに空席はなく、店内中央付近の空いているテーブルに通された。

まずは、食事をしながら、佐野女史とお話しするという時間とのこと。自己紹介によると、参加者の他、同席するのは、浅井企画の荻原氏と、ファンクラブ会報編集スタッフの栗原女史とのことである。
萩原氏によれば゛本日のイベントは、遠方から来る者が続けてコンサートに参加できるように、あえてコンサートの前日にしたとのことであった。

どこかで見かけた気がする顔の参加者は、大阪の"気分はジャマイカ"の時に顔を合わせたとのことであった。

佐野女史との話しをする時間と言われても、特に準備していたわけでもなく、なかなか良い話題は無い。

明日のコンサートのことを聞いてみると、昨日でリハーサルは終わって、今日はお休みとのこと。

進学については、今どうしようか考えている。どこでもいいから入っちゃうというのはやだし、まだわかんないですね、とのこと。


ところで、本日の小生に課された最低限の使命が2点あった。
1点は、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"きっぱら一人"から佐野女史のファンサークルを作ろうと誘われており、その名称を佐野女史に決めていただき、表題を書いてもらうこと。
そしてもう1点が、佐野女史に、自分が表紙の"オリコン・ウィークリー"を持って立ってもらい、いわゆる"オリコンといっしょ"の写真を撮影すること。

閑話休題。


佐野女史にファンサークルの名前についてお願いしたところ、
"レタスのくゃみ"というラジオ番組がはじまるとのことで、"れたす"という名前をつけていただき、題字も書いていただいた。

19870819れたす題字

"レタス"は佐野量子の皮を一枚一枚むいていくようなイメージ
と、ちょっと危険な発言をする佐野女史。
どっちがレタスでどっちがキャベツかわかりますか?ってインタビューしてみたけど、みんなわらないんですよ。
と、レタスもキャベツも見馴れている小生からするとにわかには信じられないのだが、都会の人間に聞くと、そういうことになるのであろうか。

そのほか、
静岡にいる頃よく観ていたテレビ番組は、サスペンスドラマ
であるとか、
"SBSポピュラーベストテン"で、カルチャークラブやデュラン・デュランをよく聴いていた
とか、

小さい頃は、
『アルプスの少女ハイジ』
『フランダースの犬』
『みなしごハッチ』
など、かわいそうな話が好きだった
とか、

「およげたいやきくん」も好きだった
とのこと、

「およげたいやきくん」?、と聞き返たところ、
あれかわいそうな話しですよね。
たべられちゃうからかわいそうじゃない?

そう言われればそうかもしれないと納得してしまう小生。

佐野女史も気分が乗ってきたのか、

朝"ひらけポンキッキ"を見てから学校に行ていた。いつもこの歌かわいそうだなと思いながら幼稚園に行っていた
"ひらけポンキッキ"の、「ホネホネロック」も好きだった

『アルプスの少女ハイジ』"セバスチャン"が好きだった
"セバスチャン"って呼んでいる男の子がいた

小学校のとき、お楽しみ会で劇をやるとき、部屋のカーテンを取り外して、黒板に張って"劇のはじまりはじまり"ってやるんだけど、『キャンディ・キャンディ』や『赤い激突』、漫画やテレビの話しを元に、誰がどんな役がいいのかな、と脚本を書いていた。劇ではいつも語り手をやっていた
『キャンディ・キャンディ』のパティの役をやるために、友達のお母さんのメガネを借りてきた

というような話しが次々と続く。

好きな漫画ある?。『天才バカボン』、『ド根性ガエル』とか、この前大阪に行ったときに『宇宙戦艦ヤマト』を観たの。あれいいよね。ああいう宇宙船乗ってみたいよね。造ってくれればみんなでいっしょに行くのにね。

宇宙船にはあまり乗りたくないな、と思う小生。

大阪では『気分は名探偵』の再放送をしているなどの話題が出ると、
大阪でやってるよと、木村一八さんに聞いたの

小生の住んでいる地域では再放送はされたことがないのに、とうらやましく思う小生。

映画"シャコタン☆ブギ"は大阪が舞台なのに大阪で撮ってなかった、という質問には、

大阪弁だったけど、舞台は福井だったの。設定は四国なんだよね、漫画の

舞台というか、ロケ地が福井の商店街だったのだな、と思う小生。

キスシーンの話題に、

そうなの、しょうがなくてね~

そういう答えが方をされると、聞いているほうがつらくなってしまう。

『シャコタン☆ブギ』のエンドロールに暴走族名前が列記されていたことについて

打ち上げのとき、みんな頭がこんななってて、みんなどこか怪我してるの、どうしちゃったのかなーって思ったら、やられちゃったんだって、若いからねー

と、笑っていいのか悪いのかよくわからないような話し。

田舎と都会の話題について、

大阪で地下鉄に乗ったんだけど、東京の地下鉄って静かじゃない、大阪の地下鉄ってがやがやしててね、にぎやかだねーって思って。大阪弁むずかいしね

方言については、静岡は"ら"がつく。東京、大阪、静岡の"いちご"や"みかん"のアクセントの違いについての話しとなった。

高校野球については、大阪の他の高校は甲子園に行くことをあきらてしまうくらいPLが強すぎるという話しとなった。

店を出ようというとき、

佐野女史が、一人の店員さんに、"がんばってね~"と声をかけた。店員さん手を振り返す。
なんだろうな、と思っていると、
妹なんです
と佐野女史。

2歳違いの妹の明美さんが、夏休みを利用し、佐野女史の部屋に泊り込んで、事務所の人に紹介されたこの店でアルバイトをしているとのことであった。

学校にばれたら怒られないですかね、との質問に、

東京だからへいき

と笑顔で答える佐野女史。

席を立って、次の会場に向かうこととなった。

事務所の方が会計をしているとき、高校野球の試合を放映していたので見てみると、帝京高校対関西の試合中で、帝京高校が3-0でリードしているところだった。
その前の試合は常総学院が逆点で勝ったとのこと。しかし、PL学園が強いのだろうなという、萩原氏の意見であった。
たぶんそのとおりだろう。

店を出て、エレベータで一階に降りる。萩原氏は"先に行ってて"とどこかに行ってしまった。おそらく一旦事務所に戻ったのだろう。
小生らは佐野女史と共に徒歩で移動する。公園に行くとのことなのだが、この近辺に大きな公園があることは承知していない。


道すがら佐野女史の専門ミニコミ誌"おれんじ☆てぃ"の話題を振ると、
"おれんじ☆てぃー"にお手紙かかなくちゃ。書こう。
とつぶやいていた。これは"おれんじ☆てぃー"編集人のOM氏への土産話しにせねばなるまい。


どこに行くのかと思っていると、国道1号線を渡り、洪積台地の台地崖にとりつく。崖の途中、坂を登ってすぐ左に、小さな公園があった。

五反田公園。この公園が次の会場とのことであった。小さいながら、セミの声がする木々に囲まれた公園である。

萩原氏も後から到着。ここで、写真撮影をしましょう、ということのようである。
そういうことならと、小生もkonicaのMR-70を取り出し、撮影させていただく。

19870819佐野量子

本日の目的の一つである"オリコンといっしょ"も撮影させていただく。

19870819佐野量子_オリコンと一緒

その後、全員で記念撮影をして、本日のイベントは終了となった。

本日は、終始肩の力が抜けていた、佐野女史、
この秋のキーワードは、"レタス"とのことである。

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2017年8月15日 (火)

1987年8月15日

本日は、映画"シャコタン☆ブギ"の公開日であり、
10時15分から渋谷東映、
12時20分から丸の内東映、
で、初日舞台挨拶が開催される。
また、18時から有楽町の日立ヤングプラザで開催される、"日立ハローサタデー"の公開放送にも参加したいところである。
"日立ハローサタデー"の整理券は、10時30分から配布されるので、本日の日程は、まず有楽町の"日立ヤングプラザ"で"日立ハローサタデー"整理券を入手した後、丸の内東映に移動し、映画"シャコタン☆ブギ"の初日舞台挨拶に参加した後、"日立ハローサタデー"の公開生放送に参加、という計画を組んだ。
幸いなことに、日立ヤングプラザと、丸の内東映は、徒歩で5分とかからない距離である。

まずは、有楽町フードセンターの前に並び、10時30分の会場と同時に"日立ヤングプラザ"カウンターまで走り、整理券を確保する。そしてその脚で丸の内東映に向かう。

入場するためには観賞券が必要になるので、購入。

シャコタン☆ブギ 名門!多古西応援団チケット(150dpi)

まず、"名門!多古西応援団"の出演者が登場。

19870815_名門!多古西応援団初日舞台挨拶_我王銀次

引き続き、"シャコタン☆ブギ"の出演者の挨拶となる。

19870815_シャコタン☆ブギ初日舞台挨拶_木村一八、佐野量子、藤井一子

本日は、藤井一子女史も参加していた。

舞台挨拶が終わると映画の上映となるが、小生は、既に観ているため、途中で抜けだし、昼食後、日立ヤングプラザへと戻った。

今回の"日立ハローサタデー"の公開生放送の会場は、前回参加時と同様"Forum-U"であった。
16時過ぎに整理番号順に入場。小生は最前列の座席を確保した。

今回の会場司会は堀敏彦氏、前回は参加時は、おおくぼ良太氏だったので、交代したようである。

会場に流れる放送中の音声から聞こえるのは、小堺一樹氏の声。こちらも、チャゲ氏と石川優子女史から変更になったようである。
放送中の音声が、会場を呼びかけると、ラジオ放送の音声が"日立ヤングプラザ"からの放送に切り替わり、公開生放送の開始である。

今回のゲストは、佐野量子女史と勇直子女史の二人。両名とも所属するレコード会社はRVC。担当プロデューサーも岡村右氏と同じである。

1987085日立ハローサタデー_佐野量子、勇直子、堀敏彦

佐野女史は、先程の"シャコタン☆ブギ"の初日舞台挨拶のときと同じ衣装であった。私服なのであろう。

佐野女史は「4月のせいかもしれない」、「少女がページを閉じる時」、「夏のフィナーレ」をそれぞれフルコーラス。
勇女史は「Boom Boom Boom」。なお「Boom Boom Boom」の編曲者である角松氏の担当プロデューサーも岡村右氏である。勇女史の他の曲は失念。

公開生放送の終了後に、クイズが出題され、答えがわかった者が手を挙げ、指名されて正答の場合に賞品が贈られるというクイズのコーナーがあったが、小生は何ももらえず。
イベント終了後、そのまま帰路についた。


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2017年8月13日 (日)

東京商工会議所うちわ

今回紹介する品は、東京商工会議所の"うちわ"である。
うちわといっても一般的な把手のついたものでははく、サンカード紙製の円形うちわで、片面カラーグラビア印刷、もう片面は単色オフセット印刷となっている。

カラーグラビア印刷面には、佐野量子女史のウエストアップ写真に、キャッチコピーが添えられている。

佐野量子_東京商工会議所うちわ(表)(150dpi)

単色オフセット印刷面は、東京商工会議所の所属会員向けの告知となっている。また、持ち手となる穴の部分は紙で補強がされているが,そこにも東京商工会議所の宣伝文句が入っている。

佐野量子_東京商工会議所うちわ(裏)(150dpi)

入手経路は不明。小生は、1987年8月14日にはこのうちわを所持していたので、それ以前入手したことになる。8月14日以前には東京商工会議所のイベントに参加していないはずなので、6月16日に東京商工会議所を訪れたときに、いただいた可能性が高いが、そのあたりの記憶は定かでない。

ともあれ、1987年の夏に実際に使用し、活躍したうちわであった。

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