2017年7月27日 (木)

1987年7月27日

本日は、市ヶ谷のシャープ東京ショールームにおいて、文化放送"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音の観覧、という予定である。

"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音に参加するのは3度目となる。

本日集まったのは、"ワープロ君"ことUM氏、我孫子のMT氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏の面々。

ゲストは、佐野量子女史と中村由真女史であった。

司会は風見慎吾氏。

佐野女史の紹介に合わせて"ひなえー"と佐野女史の母の名をさけぶ風見氏。

中村女史には、前回出たときは"私もう言うことなくなってすいません"とってても礼儀正しいんです、でもひょっとしたら知識がないだけかもしれません…そんなことないですよ、前歯がかわいいですね。との紹介。

佐野女史から、泳げるようになるコツの発表
1水の恐怖を忘れてください。
2きれいな海をずって見ていると泳ぎたくなってくる。
3空でも良い
4青がきれいだと飛び込みたくなるでしょ
5水たまりにアメンボがいるでしょ。水たまりを見ていると、自分がアメンボになった気がして泳ぎたくなる。

風見氏から、"ドキド欽ちゃん"のとき量子ちゃんと芝居をやって思ってたんだ、間がつかめないって、との発言。

6水の中に入って目が開かないとか、目に水が入っちゃうんじゃないかとか心配になるので訓練が必要。
7たとえば目薬を目に入れて、何滴も入れてぱっと目を開けて、目を水に馴らせる。それは霧吹きでもいいです。

風見氏からプールサイドで目薬差してるのはまだいいけど、霧吹き持ってってシュッシュシュッシュやったら、こいつアホやんって思われるよ、と突っ込まれるが。

でもたぶん慣れるでしょう、と受け流す佐野女史。

8次に体の動き、ふとんの上で泳ぐ練習をする。自分がなりきる。何になりきるかっていうと、すごいきれな海だとか、マリンブルーでも真っ青でも何でもいいんだけど、そういうとこを頭の中に浮かべるわけですよ、

風見氏が、"頭の中にマリンブルーマリンブルーマリンブルーと"と合いの手

佐野女史が、"で、そこで一生懸命泳いでる気持ちになる。以上。"と締めてコーナー終了。

佐野女史の「夏のフィナーレ」の音を流す。(ワンコーラス)

引き続き、生CMのコーナー
今回は知人は出ていないかった。

中村女史から、ハスラーへの道の発表。

1初めてビリヤードをやったのは伊豆の修善寺。雨でなにもできなくて、ゲームコーナーでビリヤードをやった。
2マネージャーが結構うまい。遊び人みたいで。
風見氏が"遊び人"発実に興奮。マネージャーと会ってみたい、話が合うと思う。
3教えてもらった。
風見氏が教え方について、キューを手に持って?。後ろから覆い被さって?と興奮。
そんなことないですよと、中村女史。
4できなくて泣きながらやった。周りがうまいからくやしくなった。

中村女史の「パニック」の音を流す。(ワンコーラス)

風見氏、
シャンデリアが付いている車の話し。
男の子にナンパされて車に乗りこんだ女の子がインタビューされいる話し。

その後洋楽を1曲を流し、エンディングとなった。

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2017年7月18日 (火)

1987年7月18日

本日は、静岡第一テレビの公開生放送"Jan Janサタデー"観覧のため、沼津市の静岡厚生年金休暇センターに行くという予定である。

"ワープロ君"ことUM氏から、静岡厚生年金休暇センターへの行き方がわからないので沼津駅から一緒に行きたい、との連絡があり、沼津駅南口で待ち合わせることとしていた。

"Jan Janサタデー"の公開生放送に参加したことがなかった小生は、事前に静岡第一テレビと静岡厚生年金休暇センターに電話して、"Jan Janサタデー"は観ることができる、静岡厚生年金休暇センターへの入場は無料だがプール内に入るのには入場料がかかる、静岡厚生年金休暇センターへは、沼津駅から、休暇センター経由富士通行きの富士急行のバスに乗車れば行くことができる、といった情報を得ていた。

沼津駅は何度か降りたこともあり、勝手がわかっている。静岡厚生年金休暇センターは駅の北にあるが、沼津駅始発のほとんどのバス路線は南口を起点としている。駅北方面のバス路線は、富士急行が担っており、富士通行きのバス乗り場は、富士急百貨店前のどこかにあるはずである。

沼津駅南口でUM氏と合流した小生は、まず富士急百貨店に向かった。
富士通行きのバス乗り場を探すと、富士急百貨店の、ニチイに面した側に目指すバス乗り場を発見した。そのバス乗り場の後方の富士急百貨店には富士急行バスの乗車券売り場の窓口があった。通常は乗車するときに整理券を取り、降車時に、整理券と一緒に料金を料金箱に入れるのであるが、事前に乗車券を買っておけば、整理番号と料金表を見比べつつ両替の心配をする、といったようなこともなくなるため、"厚生年金休暇センター"までの乗車券を購入。バスの到着を待つ。
やがて"富士通"の幕が表示されているバスが到着し、UM氏と小生とはそのバスに乗りこむ。
沼津駅南口を発車したバスは、JRのガードを潜る。沼津駅の北は高層ビルも少ない。南から北に抜けただけで、都市から郊外へと風景は一変する。そして、都市近郊とっいった雰囲気であった車窓風景は、国道1号線を越えると田園風景となる。やがて道路は山にとりつき、東名高速道路くぐり、さらにしばらく坂を登り右折すると、静岡厚生年金休暇センターの敷地内に入り、バス停で停車した。小生らを下ろしたバスは、ロータリー状になっている道路を一周回し左折すると、車体を植え込みに沈めながら、元来た道を下って行った。

さて、バスを降りると静岡厚生年金休暇センター入口は目前である。会場の状況を確認したい小生は、早々に入館する。入口を抜けると左手にフロントがあり、正面に通路が続いている。フロントがある階が2階となっている。プールを目指してが進んでいくと、通路右手に、駿河湾を望むレストラン、さらに進むと、右手屋外に、プールが見えてきた。ではあるが館内の人はそれほど多くはなく、夏とはいえ日差しもなく涼しい本日の天候では、プールを利用しようという気にならないのか、はたまた静岡第一テレビが制限しているのか、遊泳客もほとんどいないようだった。

プールは1階屋外にあった。2階から1階に降りた小生は、利用料金を支払えばプール内に入れることを確認、一安心である。

本日集まったのは、小生と同行してきたUM氏の他、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏等である。

小生らが今後のイベントの情報交換などをし過ごしている間にも、プール周辺では、放送に向け着々と準備が進められていた。昇降式移動足場の、つぶれきった菱形の骨組みが横方向の対角線が長い菱形から、縦方向の対角線が長い菱形に変わっていくと、足場の上に据えつけられたTVカメラは、プールを俯瞰し、駿河湾の広がりが映し出すために据えられたものとなっていた。

やがて会場が騒がしくなりだした。気づくと音合わせがはじまっていた。小生らは駐車場での入り待ちをしていなかったので気づかなかったのだが、,いつの間にか、本日のゲストは会場入りしていたようである。

音合わせは、屋外のプールで行われていた。
屋外には、二つの島を持つ瓢箪形のプールと、小さな滑り台がある浅いプールがあり、瓢箪形のプールの"島"の部分が今回の放送の舞台となるようである。彼岸である島と、此岸のうちその島へと渡る橋の橋詰近辺が、番組関係者のみが立ち入ることができる区域であるが、瓢箪形のプールの、橋近辺以外の外周部分は一般観衆に開放されている。外周部分と島部分の間のプール幅は約5メートルといったところであった。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子1

まず、真弓倫子女史の音合わせ。
戻り際に写真を撮らせていただいた。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子2

そして佐野量子女史の音合わせである。
初めて見る衣装である。ステージ衣装であろうか?

19870718Jan Janサタデー_佐野量子1

佐野女史は、音合わせが終わると、静岡厚生年金休暇センターの建物の中に戻っていった。

ゲストが建物の中入るのを見届けた小生らは、一般客用の出入り口から建物内に戻った。
これから放送開始時刻17時10分まで相当の時間がある。休憩場所を求めて、ロビーのある2階に上がった。

フロントに向かって歩くと、通路左手のレストランで、佐野女史と真弓女史そしてその関係者とおぼしき人々が、一つのテーブルを囲んでいるのが見えた。佐野女史と真弓女史は同じレコード会社に所属しているので、その関係の打合せでもしているのだろうか。ここはそっとしておくのが礼儀と心得、そのまま通りすぎた。

放送開始の時刻が近づく。小生らは再び1階に降りて、プールに入場する。

"夏のリゾート"といった出で立ちで通り過ぎる小森まなみ女史。

19870718Jan Janサタデー_小森まなみ

しかし、実際には、長袖でも暑くはないといった気温である。

放送開始。
オープニング。
引き続き真弓女史が「片想いグラフィティー」を歌う。
CM
Janサタトップテン
今週のプレゼント
音楽情報
映画情報
CM
夏を楽しむグッズ
厚生年金休暇センター紹介
CMと続き、
佐野女史が「夏のフィナーレ」を歌う。
テレビジョン放送で歌うのは今回がはじめてとのことである。
そしてCM
プレゼントコーナー
会場プレゼント、小生は当たらず。
そして番組終了。

極近くで見ることができる、といったわけではなかったのだが、観客が少なかったため、ストレスを感じることなく
観覧することができた。゛

そして、佐野女史が、終始衣装の胸元を気にするしぐさをしているところが気になった小生であった。

19870718Jan Janサタデー_佐野量子2


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2017年7月 1日 (土)

1987年7月1日

佐野量子女史が"東芝夏祭り"に出演するとの情報を得て、川崎駅までやってきた小生。

佐野女史のファンクラブでいただいたチラシに、その情報は掲載されていたのだが、

佐野量子’87サマースケジュール(150dpi)

さらに詳しい情報を求め、佐野女史ファンクラブに電話して得たその情報は、
場所:川崎の東芝総合研究所
時間:13時50分から15時30分
多分社員優先
というもの。

東芝総合研究所の場所がわからなかった小生ではあったが、川崎の地図を見たところ、川崎駅西口の目の前に、東京芝浦電気堀川町工場があったため、イベントはそこで開催されるのだろうとあたりを付け、川崎駅西口に降り立った。

東口のにぎやかさと比較すると、あまりにもひっそりとした西口だが、駅前には工場しか無いといった状況だったので、東京芝浦電気堀川町工場への入口はすぐ見つかった。ただし、"祭り"開催しているようには見えない。
工場への入口脇に建物があった。守衛室であろう。そこにいた人に、聞いてみたところ、"ここでは祭りはやっていない"とのこと。駅の2km程北にも東芝の工場があるようなので、そちらに行ってみることにした。

バスで行きたいところではあったが、バス路線がわからないので、徒歩で向かう。30分程すると、歩いている道路は、国道1号線になった。多摩川方面にしばらく歩くと、左手に長いフェンスの連なる区画が見えてきた。フェンスの中には多くの人かおり、"祭り"が開催されているのはここだと確信した。早く入場し、観覧場所を確保したいと思うと、自然と小走り気味になる。さらに歩くと門があり、人が出入りしている。そして、門正面の建物へと、人の流れが続いていた。この建物の中が目的地に違いないと判断し、敷地内に入ろうとする小生。ところが、守衛から、関係者以外は入場できない、と止められてしまったのだった。

どうしたものかと、門あたりを見回すと、門の傍らに、同じ境遇と思われる者が一名立っていた。同じ境遇と判断したのは、その顔に見覚えがあったからである。確か、今年の2月14日の浦和のイベントで見かけた顔である。

その者も、小生の目的が自分と同じであることを察したらしく、なりゆきで行動を共にすることとなった。

敷地内の人の流れは、南の方角にも続いている。小生らも、敷地内の人の流れをたどり、今歩いて来た国道1号線を逆戻りし、次の交差点で右折する。なおも、敷地内の人の流れにをたどり進んで行くと、先程とは別の門から人が出入りしているのが見えてきた。その門に着いてみると、そこは、東京芝浦電気小向工場の門であった。してみると、先程の門が、総合研究所の門であろうか。

小向工場の門から、敷地内への入場を試みる。先程入場を止められたこともあり、緊張しながらの入場であったが、小生らを咎め立てする者は誰もいなかった。先程の門からこの小向工場の門に至る間、外から敷地内を見てきたのだが、敷地内に仕切り等は見あたらなかった。先程の門に向けて歩きだす。

その途中、敷地の南東の角近くに、架設の屋外ステージがしつらえられており、ステージ前の椅子席に某光学機器メーカーのHK氏が腰掛けていた。そのステージは、音響設備があまりに貧弱だったため、イベントは別の場所で行われるのではないかとの疑念を抱いた小生ではあったが、HK氏もそこにいたことから、小生ら2名も一旦ステージ前の椅子に腰を下ろした。しばらくHK氏と話しをしていると、HK氏も、イベントがこのステージで行われると確認したわけではないとのこと。となると、このステージの音響設備の貧弱さの疑念を払拭することができない。他の場所をあたってみることにし、先程の合流した者と2人で、その場を離れた。

候補先は、やはり、先程入場を阻止された門に続いていた建物である。敷地内を通って、その建物の正面入口に回り込む。建物前の門では入場を阻止されたが、その建物に入ることについては何ら咎め立てされることもなかった。建物内部を徘徊していると、とある一角に、ステージがしつらえられていた。ステージ前には、既に何十人かの者が陣取っている。ここが会場に違いないと判断した小生、空いている一角を確保する。この場にたどりつくまでにかなりの時間を使ってしまったため、あまり良い場所は確保できず、ステージから10メートル程度離れてた場所となってしまった。

やがて、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏も現れたため、この場で、8月20日に日本青年館で開催される佐野女史のコンサートの座席の抽選を実施。このチケット、小生が8枚分を浅井企画に直接出向いて注文したものが、昨日6月30日に小生宅に郵便で届いていたものである。届いた座席はA列28からA列35までのもの。日本青年館大ホールは27番と28番の間がステージ中央となるので、小生が最も良い席A-28の席を確保してしまっても良かったのであろうが、正直に全席を抽選にかけ、"ワープロ君"ことUM氏がA-31、横浜のKR氏がA-28を得ることとなった。

司会の女性が出てきて佐野女史を呼び出し、イベント開始。

19870701東芝夏祭り_佐野量子1

1回目のステージが終了したが、本日は2回まわしのようで、皆その場に居残っている。ただ、退場する者も少々いたため、少し前方に移動できた。

19870701東芝夏祭り_佐野量子2

イベント終了後、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、本日行動を共にした氏名不詳の某氏と帰路につく。
先程入場を阻止された門から出場し、国道1号線を渡ってすぐのバス停から川崎駅行きのバスに乗車。川崎駅から電車で帰宅した。

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2017年6月29日 (木)

1987年6月29日

本日は、まず五反田の親切堂ビルの6階にある浅井企画の事務所に行き、佐野量子女史のファンクラブ特製テレホンカードの注文と入金。1枚900円。ファンクラブ会報"ぽしぇっと"に掲載されていた白黒の写真は、明らかに野村誠一氏の撮影とわかるものである。

その後渋谷まで移動し、日本大学石川秀美研究会の面々と合流。
本日が発売日となる、Egg-manで7月29日の石川秀美女史のライヴのチケットを購入。

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2017年6月28日 (水)

佐野量子’87サマースケジュールチラシ

今回紹介する品は、浅井企画が作成した、佐野量子女史の1987年7月から8月にかけてのスケジュールである。

B5判白黒コピー片面刷りとなっている。
浅井企画を訪れた際にいただいたものと思われる。

小生は、いつもは電話で佐野女史のスケジュールを確認していたのだが、電話口で対応するかたは、何かのメモを読んでいるようであった。
こういったチラシを作成し、電話の時は読み上げ、事務所を訪れた者には配布をしていたのであろう。

佐野量子’87サマースケジュール(150dpi)

このチラシから、6月の時点で、既にビデオの発売が決定していたということがわかる。
コンサートリハーサルが掲載されているのに、コンサートが載っていないのは、知っていて当然なので、省略ということだろうか。

なお、こういったチラシをいただいても、スケジュールは常に変動するため、事務所にこまめに問い合わせることは必須であった。
事実、7月31日の"笑っていいとも!"の出演はなくなっている。その代わりかどうかは不明だが、7月28日に"笑っていいとも!"の"テレホンショッキング"に出演することとなった。

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2017年6月24日 (土)

1987年6月24日

本日は、朝霞市民会館において日本テレビ"ベストカップル歌合戦"の公開録画が行われる日である。
先日入場券を入手した小生は、10時30分に東武東上線池袋駅のプラットホームの一番前で同志と待ち合わせ、東武東上線の電車に乗って会場の朝霞市民会館に向かった。

朝霞駅で下車。朝霞駅に降り立つのは1987年6月13日以来である。そのまま徒歩で朝霞市民会館に向かう。
朝霞市民会館に到着し、整理禁をいただく。すでに整理券の配布ははじまっており、あまり若い番号ではなかったが、市民会館内にはそれほどの人はいない。地元の者は整理券を入手した後、一旦自宅に戻っているのだろう。
小生はというと、どこへとも行くあても無いため、市民会館内で知人と話をしながら時間をつぶしていた。

現地でも何人かの知人と合流した結果、本日の顔ぶれは、"関東一のおっかけ"ことIH氏、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏となった。SA氏は入場券を持っていないとのことだったので、余分にいただいた入場券を提供した。
"ワープロ君"ことUM氏は、一端会場を場を離れ、残りの5人はホール入口に並んで会場を待っていた。ホール入口にいると、出演者の入りがわからないため、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏で、ホール裏にある駐車場に行き、佐野量子女史のマネージャーの鈴木氏の"黒いプレリュードを探したのだが、遂に発見できなかった。

やがて会場の時刻が近づくと、どこからともなく人々が現れ、会館外まで伸びる列ができた。前列のほうには、近所の方々とおぼしき年配の者。そして小生ら。後方には、学校が終わってからやってきた比較的年齢の若い者たち。そして、本日の出演者の長与千草女史のファンとおぼしきピンクのポンポンを抱えた集団。総勢は100人程度か。朝霞市民会館のホールの収容人員からすると、寂しい人数ではある。松本典子女史、石野陽子女史のファンとおぼしき集団は見あたらない。

17時会場。列をなして入場する。地元の方々は、席にそれほど頓着ないようで、小生らが入場したときも、最前列の席は空いていた。最前列といっても、前3列は封鎖されていたため、4列目が最前列となる。その4列目中央の席を確保した。
後方を見やると、会場内はやはり空席だらけである。逆に会場内をテレビカメラで抜かれる心配が少なくなるかもしれない。

堀敏彦氏が舞台上に現れ、前説がはじまる。その話しによると、本日は2本録りのようである。写真撮影も禁止されてはいないようであった。途中で帰らないで収録の最後までいてほしい、とのお願いもあったが、お目当ての出演者が1本目に出てしまったら2本目まで残らないかもしれない。

19870624ベストカップル歌合戦_堀敏彦

1本目の収録開始。岡田真澄氏、榊原郁恵女史の2名が司会である。
審査員は、近江敏郎氏、塩沢とき女史の2名。

1本目の出演者は、宮内洋氏、長与千種女史、向明子女史、北話友樹氏、森末慎二氏、田中美佐子女史、林与一氏、松本典子女史であった。
これで2本目の収録にも参加することは決定である。

19870624ベストカップル歌合戦_1

この番組は、"ベストカップル歌合戦"の名称のとおり、男女1名づつが一組となって曲を歌うというもの。
1本目の収録の曲目は、
「雪国」宮内洋、長与千種

19870624ベストカップル歌合戦_宮内洋、長与千種

歌唱はワンコーラスのみであった。引き続き、
「居酒屋」日向明子、北話友樹
「テネシーワルツ」森末慎二、田中美佐子
「別れの夜明け」林与一、松本典子

19870624ベストカップル歌合戦_林与一、松本典子

と歌唱が続く。

引き続き
"イントロ歌合戦"のコーナー。これは、ピコピコハンマーを持った出演者がステージ後方の椅子に腰掛け待機。曲のイントロが流れ、曲名がわかったものがピコピコハンマーで、ステージ前方にあるタヌキのぬいぐるみの帽子部分をたたき、最初にたたいた者の組が解答権を得る、解答権を得た組は、その曲を歌うことにより解答するというゲームであった。
ゲームは白熱し、腰掛けている椅子からタヌキのぬいぐるみへとできるだけ早く駆けつけようと、松本典子女史は靴を脱ぎ、長与千種女史は裸足になり、森末慎二氏は上着を脱ぐ始末。

その後、"審査結果発表"。
"ベストカップル賞"を、森末、田中組が受賞。"審査員特別賞"を、宮内、長与組が受賞することとなった。

2本目の収録では、

19870624ベストカップル歌合戦_2

「お化けのロック」嶋大輔、石野陽子

19870624ベストカップル歌合戦_嶋大輔、石野陽子

「いつでも夢を」樋浦勉、川島なお美
「わかれ道」横光克彦、松居直美
「あずさ2号」関根勤、佐野量子

19870624ベストカップル歌合戦_関根勤、佐野量子

と歌唱が続き、その後、"イントロ歌合戦"のコーナーとなった。

1曲目のイントロが流れる。流れだすと同時に出演者はタヌキのぬいぐるみめがけて走り出す。佐野女史と川島女史との間でピコピコハンマーの奪い合いとなり、川島女史がピコピコハンマーを勝ち取りタヌキのぬいぐるみをたたいた。がそれより前に、佐野女史は右手でピコピコハンマーの取り合いをしているさなか、左手でタヌキのぬいぐるみをたたいていたのだった。
曲が停止した。佐野女史の反則により川島女史の組に解答権があるかと思われたのだが、そこはバラエティー番組の緩さからか、司会者は佐野女史の組が解答するよう差配をする。不満そうな表情を浮かべる川島女史。
解答のため再び曲が流れだす。曲は南沙織の「17才」。誰もが知っているような曲である。満を持して歌い始める佐野女史、のはずだったが、まったく歌えない。助けに入る関根氏も、これまた歌えない。松居女史から"知らないんで押したんでしょ、ずるいじゃないの"と当然のクレームが入る。それを、"Where come from?"と英語でごまかす関根氏。

2曲目。ヒールある靴を脱いで両手に持ち走り出す体制を整える松居女史は、曲が流れだすと、一目散に駆け出し、ピコピコハンマーに目もくれず、自分の靴でタヌキのぬいぐるみをたたく。さすがバラエティー慣れしている振る舞いである。曲は「男の背中」。松居女史の歌は怪しかったが、同じ組の横光氏が完璧に歌いこなす。それでも"これはわたし知ってましたから完璧に歌いましたよ今"と笑いを取る松居女史。
笑いを取って満足したのか、靴を履く松居女史。

3曲目。もう"ピコピコハンマー"でたたくというルールは関係い。駆け寄ってタヌキを手でたたく石野女史。"トンカチ残ってる陽子ちゃん、これはなに?"と突っ込みを入れる松居女史。嶋氏に"おまえは靴だよ"と言われ退散。曲は「よろしく哀愁」。

4曲目。司会の岡田氏の"イントロはこれ"の声とともに走り出す一同。"ピコピコハンマー"を真っ先に手にとりタヌキのぬいぐるみたたいたのは佐野女史。が、まだ曲は流れだしていなかった。あわてて椅子まで戻った佐野女史。佐野女史をつかまえ"あなた、歌えるものなら歌ってみなさいよ"と詰め寄る松居女史。関根氏が"あしたわたしは~"と「あずさ2号」の出だしを歌いフォローするのだが、"だめよ、ちょっとかわいいからって"と追い打ちをかける松居女史。"直美ちゃんもかわいい"と榊原女史の言葉に、"そーお、なーんだ、落ち着こう"と椅子に戻る松居女史。

仕切り直しの4曲目。関根氏がタヌキのぬいぐるみ手でたたき、そのあとすぐ、"ピコピコハンマー"を手にした佐野女史が、タヌキのぬいぐるみをたたく。岡田氏の"誰がたたいた"との問いかけに手を挙げる佐野女史。松居女史からは"あなた絶対歌いなさいよ"との突っ込みが入る。曲は「目ン無い千鳥」。しかし途中から歌えず"ラララ~"でお茶を濁し、結局関根氏が「あずさ2号」でごまかす。

5曲目。松居女史が解答権を得て「おんな港町」を歌う。客席に歩み寄り、手を出すしぐさをする松居女史に、榊原女史が"松居直美オンステージでした"と笑いを取りにいく。

ここで、曲が流れだすまで腰掛けている場所を入れ換えることになり、佐野女史に向けて"入れ換えてもおなじよ"と牽制する松居女史。

6曲目。大コケする関根氏だったが、解答権を得たのは嶋氏の組となる。松居女史"あなた命懸けでこの番組やってるんじゃないの"との問いかけに対し"舞台で死ねればいいと思ってますからね"と答える関根氏。曲は「年下の男の子」。嶋、石野組が無難に歌いコーナー終了。

19870624ベストカップル歌合戦_2_イントロ歌合戦

"ベストカップル賞"は、嶋、石野組。"審査員特別賞"を、横光、松居組が受賞することとなった。

関根氏、松居女史と、バラエティー番組慣れした出演者により、2本目の"イントロ歌合戦"は大きく盛り上がり、曲が流れだした途端、客席に向かって走ってくる出演者たちの迫力に気押され気味の小生であった。

収録が終わりホールを出た。
しばらくホワイエにいると、佐野女史とマネージャーの鈴木氏が、何人かの子供たちを引き連れて歩いていくのが見えた。郊外の子供たちは芸能人がめずらしいのであろう。
二人の向かう先を確認していた小生であったが、通路の先を曲がり、見えなくなったところで、その先を追うのは、今の小生の領域ではないと、自制した。
また、他の者も、後を追おうとはしなかった。

そして、小生ら6人は朝霞市民会館を出て、徒歩で朝霞駅に向かった。

朝霞市民会館前の道路は、センターラインはなく、歩道の整備もされていない。周囲は未だ畑が多く、一人で歩くならば暗く心細いであろう道路である。
今しがたまで朝霞市民会館にいた者たちが帰路につくのであろうか、何台もの自動車に後ろから追い抜かれる。狭い道幅のため、自動車のヘッドライトを背中に感るたび、小生らは一列に並んで車をやり過ごそうとする。
一台の濃紺のセダン型の自動車が通りすぎたそのとき、排気音の中を貫いて、甲高い音が小生の頭を貫いた。その音が、実は人の声だとわかったのは、遠ざかる自動車の助手席から後ろ向きに顔を出した女性が、何か叫んでいるということを確認できてからだった。その自動車は、助手席に乗っている女性の顔の判別もできないほど遠ざかってはいたが、"ありがとー、またきてねー"という言葉となってはっきりと聞こえたのだった。顔の判別ができず、走り去った自動車が黒いプレリュードではなかったが、叫んでいるのは佐野女史に他ならない。

先程の"イントロ歌合戦"で気分も高揚していたのであろうか?。普段はおっとりしているように見える佐野女史が、声を張り上げて叫んでいるという事実に、少々あっけにとられながら、手を振って遠ざかる自動車を見送る小生であった。やがてその自動車の濃紺色は、赤いテールランプと左折を示す点滅する橙色の灯火を残して闇に溶け、交差点を朝霞駅方面に左折したところで、小生らの視界から消えていった。

佐野女史を見送った小生は、宴のあとのような余韻に浸りながら、朝霞駅に向かって歩いていく。同じように余韻に浸っているのであろうか、誰もが無口であった。ただ一人"ワープロ君"ことUM氏を除いて。
駅に近づくにつれ畑は減り、人家が、そして商店が多くなってくる。

道路は、一旦駅の東へと渡る跨線橋の下をかすめ、そして跨線橋へと分岐する交差点に差しかかる。

まず、異変に気づいたのは、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏の2名であった。こういう場で真っ先に気づくのは、往々にして小生なのである。"あの車は…"と小声で話す小生とIH氏。"あの車"とは、道路の左側を歩く小生らの反対側に停車している、濃紺のホイールキャップを付けた濃紺のセダン、車種はいすゞのジェミニであった。それは、小生らの側から見ることができる全てのガラスがスモークになっているような先程佐野女史が乗っていたとしか考えられない自動車であった。
小生が立ち止まったことで、他の面々も異変に気づいたようであった。

"あの車"と小生が指さすと、"ワープロ君"ことUM氏はその自動車めがけて駆けだしていった。道路と自動車の前を横切り、助手席に張りついた。助手席の窓が空き、そして、自動車はUM氏を残し走り出した。跨線橋を渡り、今度こそ、小生らの眼前から消えて言った。

しかし、何のためにあの場にいたのだろうか。
"ワープロ君"ことUM氏が言うように、小生らをわざわざ待っていたのかもしれない。単に東京方面への道順を確認していただけなのかもしれない。

ただ、そんなことはどうでも良いことのように感じた。
今日は、今まで見たこともない、佐野女史の一面を見ることができたのだから。

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2017年6月16日 (金)

1987年6月16日

本日は、東京都千代田区丸の内にある東京商工会議所までやってきた小生。

ことの発端は電車の中吊り広告であった。
"量子の包容力。"と書かれた佐野量子女史が写るの中吊り広告を発見した小生は、広告に記載されている、東京商工会議所の中小企業相談所に、その中吊り広告をいただけないか電話で問い合わせてみた。
そこで東京商工会議所の広報部広報課を紹介され、その広報部広報課に電話した小生。
すると、訪問すれば分けてもらえるとのことだったので、本日いただきに参上した次第である。

営団地下鉄千代田線の二重橋前駅を下車し、地下道を日比谷方面に歩きB7の階段を昇ると、すぐ目の前が目指す東京商工会議所だった。

事前に連絡を取ってあったため、すんなりと中吊り広告をいただくことができた。

佐野量子_東京商工会議所中吊り広告

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2017年5月30日 (火)

1987年5月30日

本日は佐野量子女史が出演する読売テレビ"気分はジャマイカ"とMBSラジオ"MAZDA It’s A Party!!"の収録に参加の予定ということで、大阪の地理には詳しくない小生は、名古屋駅で"関東一のおっかけ"IH氏と合流し、同行させていただくという算段をつけてある。
前日に名古屋のIT氏の自宅に宿泊させていただいた小生、6時過ぎにはIT中小田井駅に向かった。出発する前に、IT氏からは、この時間は"中小田井駅"は無人なので新名古屋駅の改札で"中小田井から"と告げて清算するよう言い含められた"。教えられたとおり新名古屋で"中小田井"と告げて改札を出る。
H氏とは近畿日本鉄道の名古屋駅改札口で7時10分に待ち合わせとなっているので、国鉄改札口を出て南に向かう。無事にIH氏と合流し、近畿日本鉄道で近鉄難波へ向かう。

近鉄難波駅に到着。
事前で読売テレビに"気分はジャマイカ"を観ることができるのか電話確認したところ、入場は無料で整理券等は不要とのことであったので、まずは読売テレビの"気分はジャマイカ"の公開録画の会場である心斎橋筋2丁目劇場に向かう。

難波から地下道を通り心斎橋筋で地上に出て心斎橋筋2丁目劇場に到着。特に手続きもせず、ホールに入場できた。ホール内の前の方にも空席があったので、着席し、公開録画の開始を待っていた。

しばらくすると、男性がやってきて、ここは観客を入れる席なので移動するようにと言い出した。座席は観客が入るので座ることはできないとのこと。電話で確認した内容と話が違ではないかと思ったが、最後列で立ち見なら良いとのことであった。
仕方なくしばらくホールの最後部の壁際で埋まっていく客席を観ていたのだが、このような状況では、"MAZDA It’s A Party!!"の公開録音会場で良い場所を確保すべきと判断し、マツダロータリーへ向かうこととした。

"MAZDA It’s A Party!!"についても、事前にMBSラジオに問い合わせてあり、公開録音は16時から17時であり、14時から先着150人に整理券を配布するとの情報を得ていた。

マツダロータリー御堂筋は、心斎橋筋2丁目劇場の北方にあり、地下鉄御堂筋線の最寄り駅では本町に近いが、ここは徒歩で向かう。御堂筋に面し、難波神社の北側の角地に位置していた。

整理券を入手。

19870530MAZDA It’s A Party!!チケット(表)(150dpi)

19870530MAZDA It’s A Party!!チケット(裏)(150dpi)

何とか佐野女史の姿を拝むことはできそうである。

"MAZDA It’s A Party!!"の公開録音に参加するのは初めてだったため、勝手がわからず、あまり良い席は確保できなかった。

司会の嘉門達夫氏が登場し番組開始。
佐野女史も登場。人と人との間から、何とか見えるといった程度。

19870530MAZDA It’s A Party!!_佐野量子

公開録音終了後、佐野女史はすぐ退場してしまい、直接会うことはできなかった。

"気分はジャマイカ"は論外としても、"MAZDA It’s A Party!!"も、時間と旅費をかけて大阪まで来るのに見合った価値のあるイベントとは思えない、そういったことがわかった初の大阪遠征であった。

米原まで新快速、米原から大垣まで各駅停車に乗車、22時04分大垣発の東京行き夜行列車で帰途に就いた。

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2017年5月24日 (水)

1987年5月24日

本日は、東京大学工学部丁友会主催の佐野量子女史のコンサートに参加するため、東京大学本郷地区キャンパスまでやってきた小生。
丁友会主催のコンサートには1983年に参加しているが、前売券を購入して参加するのは初のこととなる。

今回のコンサートは、東京大学第60回五月祭の企画の一つとして開催されるものである。

19870523第60回五月祭パンフレット(表1)(150dpi)

パンフレットにも掲載されている。

19870523第60回五月祭パンフレット(P95)(150dpi)

チケットは事前に購入済みである。

19870524_東京大学丁友会_佐野量子コンサートチラシ(150dpi)

19870524Sweet Moment RYOKO…チケット(表)(150dpi)

19870524Sweet Moment RYOKO…チケット(裏)(150dpi)

ただし、座席指定となっていないため、まず会場の東京大学工学部2号館大講堂まで行き、整理券をいただく。

19870524Sweet Moment RYOKO…整理券(表)(150dpi)

佐野女史の人気の無さのためか、良い番号の整理券をいただくことができた。
ただし、大学祭は関係者優先席があることもあり、整理番号2番でも最前列の席とはかぎらない。
過度の期待は禁物である。

本日集った者は、"ワープロ君"UM氏。光学機器メーカーのSA、HK両氏。横浜のKR氏。我孫子のMT氏。
珍しく"関東一のおっかけ"IH氏が不参加であった。

12時30分開場。
整理番号順に入場する。4列目程の席が最前列であったので、ほぼ中央の席を確保した。

14時開演。

今回のイベントは純粋なコンサートではなく、途中にゲームコーナーの時間が設けられていた。

まず、イントロクイズ。会場内に曲のイントロが流れ、曲名がわかった者は手を上げる。手を挙げた者の中で指名された者が曲名を答え、正しければステージに上がることができるといった形式である。
流れる曲はアイドル系の曲が多いようである。オリコン通信寄稿士たる小生からすれば難しい曲は無いので、手を挙げたときに指名されるかどうかが問題となる。
ステージ上の佐野女史は、誰かを指名するという役割りを避けたい性格のため、指名の役回りは司会進行を行っている東京大学の学生と思われるスタッフが行うこととなる。
小生は客席前方にいたことも幸いしてか、ステージ上に上がる10名程の中の一員となることができた。

ステージ上に上がる。客席側の照明が落ち、照明はステージ上だけを照らすようになる。
この場に立ってみて、客席がほとんど見えないことに改めて気づく。小生らが陣取っているあたりはかろうじて見えるが、中央より後方は闇まぎれ、人か通路か空席か、判別ができない。
そのようなステージ上で、さらに10人から1へと選別するゲームが続く。

カラムーチョの早食い(辛いものは比較的得意である)、コーラの一気飲み(炭酸は苦手なのだが気合で腹に入れた)で3人まで振るい落とされる。

残った3人には椅子が用意される。
1人あたり90秒の間、佐野女史と話しができるという趣向。
ここで3人から1人が選ばれるのであるが、佐野女史はこういった場面で誰かを選ぶということをしないため、スタッフが最終的な勝者を選ぶこととなったのであるが、小生はここで敗退。
結局。何の話をしたかあまり覚えていない小生であった。

残った1名は佐野女史お手製のおにぎりを食すことができたのであった。
残った1名の者に、"大きさは、大きめがいいですか?、小さめがいいですか?"と問う佐野女史。答えは"普通で"。佐野女史の思うところの普通の大きさのおにぎりを握った佐野女史が、今度は"お塩は濃いめがいいですか?、薄めがいいですか?"と問う。答えは"普通で"。

おにぎりを握るにしても、これだけの気遣いをする佐野女史。やはり、このおにぎりは食べたかったかもしれない。

佐野女史が、イベントのときに誰かを選ぶということをしないのは、今回の小生のような"選ばれなかった人"から、"何で選んでくれなかったの"と思われることを避けたいから、という理由なのであろう。
ただし、選ばれる側からすれば、スタッフからでなく佐野女史から選ばれたほうが嬉しいのであろうが、まあ、それが佐野女史の性格なので仕方のないことである。

小生の右隣にいた"ワープロ君"UM氏は、イントロクイズで勇んで手を上げ指名されたのに曲名がわからず、小生が「砂の城」と教えた曲名を聞き取れずに"すなのしーくれっと"と答えて敗退していた。"すなのし"までわかれば「砂の城」ではなかろうか、普通。
いや、これは"普通"ではなく、"ふつ~"なのだ。オリコン通信常連投稿者は自分たちの使う"普通"が世間の"普通"から乖離しているのを自覚しているからこそ、"普通"を"ふつ~"と表記しているのだから。

イベント終了後、ST氏から、"目の色が変わっていましたよ"とからかわれたしまった小生であった。

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2017年5月 3日 (水)

1987年5月3日

本日は熱海サンビーチで開催される"熱海サンビーチフェスティバル"に参加するため、熱海にやってきた小生。JRの熱海駅を下車し、坂を下リ国道135号線を渡り、"お宮の松"の後ろの砂浜が本日の目的地となる"熱海サンビーチ"である。

ここ"熱海サンビーチ"は人工的に造られた砂浜で、"お宮の松"周辺部分は完成しているが、北と南はテトラポッドが積まれた岸辺となっており、未だ工事中のようである。

実は"熱海サンビーチフェスティバル"は5月2日から開催されており、昨日のうちに会場の下見を済ませていたため、本日は迷わず到着できた。
昨日来たときはにはバレーボールの試合が行われていたが、本日は特設ステージ上でイベントが開催される。

ステージは、砂浜が完成した部分の北端を背にして設置されている。

ステージ前には椅子などは配置されていないが、ステージ前でイベントの開始を待つ者も、小生たちの他にはほとんどいないといった状況のため、場所取りも必要ないような状況であった。

ステージ横に"マリンショープログラム"と記された看板が掲げられており、本日13時から14時30分に開催される、"クイズ&ゲームinサンビーチ"が小生のお目当てのイベント、出演するのは佐野量子女史、今にも雨が降り出しそうな空模様であり中止とならないよう祈るばかりである。

本日集合した面々は、"ワープロ君"UM氏、"関東一のおっかけ"IH氏、名古屋のIT氏、静岡のKT氏、某光学機器メーカーのSA氏といったところ。

19870503熱海サンビーチフェスティバル1

名古屋のIT氏がCanonのAE-1Pと35mm-105mmレンズを貸してくれるというので、ありがたく借用させていただく。
待ち時間の間に、5月30日の大阪で開催される一連のイベントに、IH氏と一緒に行くという話しがまとまった。

一時ぱらついた雨も、13時までには上がり、イベント開始の運びとなった。
ステージ前に集まった観客は100人ほど。
司会は、4月25日の富士宮のイベントと同様、SBS静岡放送の伊藤圭介アナウンサー。

19870503熱海サンビーチフェスティバル2

本日の進行は「雨が止むまで」、「瞳にピアス」、「4月のせいかもしれない」の3曲の合間に、本イベントのタイトルともなっている"クイズ&ゲーム"が挟まるといったもの。
クイズはいわゆる"ばらまきクイズ"であり、ステージからばらまかられた問題を拾った観客が、問題を持ってアナウンサーのいる場所まで行き、問題をアナウンサーに渡して読み上げてもらい、その問題に答えるといったもの。
賞品も用意されていたが、小生は賞品をいただくことはできなかった。

最近のイベントでは、撮影に入った映画の告知をしている佐野女史ではあるが、小生らの間ではほとんど話題になることはない、誰も敢えて話題にしようとしないのは、佐野女史が映画の話しをするときあまり楽しそうでないのを、誰もが感じ取っているからであろう。
とはいえ、テレビジョン放送唯一のレギュラー番組も終了してしまった現在、告知する話題は映画くらいしかないのもまた事実。
そして、小生らにできることは、佐野女史の活動を応援すること、この一点に尽きる。

イベント終了後、一瞬、雲の切れ間から太陽が顔を出した。

19870503熱海サンビーチフェスティバル3

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