2018年8月22日 (水)

1988年8月22日

オリ通寄稿士のペンネーム"擬陽性ポピンズ"氏宅に宿泊した小生。

"擬陽性ポピンズ"氏に連れられて、摂津富田駅で東海道本線の各駅停車に乗車し、大阪環状線の福島駅で下車。
福島駅から徒歩で、大阪タワーに到着した。
"擬陽性ポピンズ"氏が語るには、大阪タワーのエレベータ前で待っていると、"おはよう朝日です"の出演者に会えるとのこと。本日は佐野量子女史が"おはよう朝日です"に出演することになっており、"擬陽性ポピンズ"氏が出勤前、家を出る時刻を早めて、小生を案内してくださったのであった。

"擬陽性ポピンズ"氏の話しによれば、出演者の多くは、大阪タワーの隣にある、"ホテルプラザ"に宿泊しているとのことであるが、佐野女史が宿泊しているホテルが、"ホテルプラザ"であるという確証はないため、大阪タワーのエレベーターの前で待つことにする。

しばらく待っていると、佐野女史とマネージャの鈴木氏がやってきた。
小生と"擬陽性ポピンズ"氏、それと何人かの入り待ちの者で、佐野女史"エレベーターに乗り込むのを見送る。

そして、"おはよう朝日です"出演を終え、エレベーターで降りてきた佐野女史を、"ホテルプラザ"のロビーまで見送る。やはり"ホテルプラザ"に宿泊していたようである。
その後は、本日佐野女史のコンサートが開催される、大阪厚生年金会館に向かう小生であった。


1988年4月9日、御堂会館に来たとき以来の本町駅で下車し、地上に上がる。
徒歩10分程で大阪厚生年金会館に到着した。


大阪厚生年金会館に到着してみると、本日大ホールでは南野陽子女史のコンサートが開催されるとのことで、当日券が販売されていた。
昼の部であれば、佐野女史のコンサートの開場の前には観覧を終えて退場できるということで、南野女史のコンサートを観覧することにした小生であった。

19880822南野陽子_MINAMINO YOKO SUMMER CONCERT'88チケット(表)(150dpi)

座席は1階P列49番。ホール内の座席は4本の通路によって5区画に分けられているが、舞台に向かって中央からひとつ右の区画。当日券の座席としては悪くはない。

南野女史のコンサートの進行は、

「Hello! Goodmorning」
「パンドラの恋人」
「話しかけたかった」
「風のマドリガル」
「夕ぐれのロマンス達」
「月のファウンテン」
「どうやって愛したらいいの?」
「カリブへ行きたい」
「ガラスの海で」
「さよならにマティーニは禁物」
「帰りたくない」
「あなたを愛したい」
「SPLASH」
「マイ・ハート・バラード」
「マイ・ファニー・IVY」
「楽園のDoor」
「はいからさんが通る」
「微笑みカプセル」

アンコール

「私の中のヴァージニア」
「吐息でネット」」

というもの。
「春景色」が入っていなかったのは残念であったが、この季節のコンサートなのでしかたがない。
知らない曲がずいぶんあったので、南野女史の最新のアルバムを購入していないことに気づいた小生であった。


大ホールを出て、中ホール前に行ってみると、佐野女史関係の知人の面々がおり、小生はそのなかにさりげなくもぐりこんだのだが、"寄稿士"という言葉のなかった頃のオリコン通信常連投稿者であったIH女史に南野女史のコンサート会場から出てきたことを見とがめられ、裏切り者扱いをされてしまった。IH女史の過去を知っている小生としては、 自分のことを棚に上げてそれはないだろう、とも思ったが、IH女史も小生の過去を知っているので、そこは我慢。

名古屋大学アイドル研究会のSF氏も来ており、本日は第二陽気荘に泊めてもえる算段を付けることができた。。
宿探しをしなくて済むのは助かる。


中ホールに入場。
中ホール内の座席は、2本の通路を挟んで3つの区画に分けられており、中央の区画は舞台前端と平行に並んでいるが、左右の区画の座席は、舞台前端に対して斜めに配置されていた。
そして、左右の区画には、A列はなく、B列が最前列となっていた。
小生が指定された座席は、舞台に向かって左の区画であった。
A列がない区画なので、B列が最前列ではあるが、舞台前端からは少々距離がある。

19880822_150dpi

開演を待つ間にするのは、紙テープの仕込みである。
まず芯を抜く。これは危険防止のためである。
そして、最内周から何周分かにカッターで切り込みを入れる。これは投げた紙テープが伸びきったときに、紙吹雪のような効果を出すためである。


開演。
進行は、8月19日の日本青年館のコンサートと同じ。

コンサート終盤、小生が投げた紙テープが、佐野女史の顔に当たってしまった。
心の中で"ごめんなさい"とあやまった。

コンサートと終了後は、名古屋大学アイドル研究会面々と、新大阪駅に移動。
新大阪始発のひかり308号に乗車し、そのまま食堂車へと向かった。
食事をしているうちに名古屋に到着してしまおうという算段である。

食堂車は、東京方面に向かって左側が通り抜け用の通路となっている。
食堂車への入り口は、東京側に1か所。
通路と壁で仕切られた側に4人掛けのテーブルが、東京に向かって右側には2人掛けのテーブルが並んでいる。
新大阪始発の列車なので、食堂車内にはまだ先客はいない。
2人掛けのテーブルからは車両の窓を透して外の風景を観ることができるが、4人掛けのテーブルからは、通路と食堂部分を仕切壁に設けられた窓と、車両の窓との、二つの窓越してでないと、外の風景を観ることができない。
ただし、今は夜であり、車窓からの景色を楽しむということもない。
小生と名古屋大学アイドル研究会面々らの一行は、食堂車の入り口から4つ目、車両ほぼ中央の4人掛けのテーブルに腰を降ろした。
その4人掛のテーブルの4つの席のうち、小生の席は新大阪寄りの通路側である。小生の席からは、食堂車の入口がまで見通すことができる。

降車予定の名古屋までは1時間もない。早速定番のカレーライスを注文する。

新大阪を発車してしばらくすると、食堂車入口ドアが開き、大勢の人たちが食堂者の中に入ってきた。こちらに向かって歩いて来る人たちを眺めていたところ、その中に佐野女史を発見した。なんとそれは、大阪でのコンサートを終えた、佐野女史御一行なのであった。

小生は、佐野女史は、本日は大阪に宿泊するのだろうと思っていたのだが、それは何の根拠もない想像でしかなかった。


小生が佐野女史御一行に注目していると、彼女らは、小生らがいる4人掛けのテーブルの、一つ東京寄りのテーブルの前で足を止めた。
その段階で、佐野女史は小生らがいることに気づいたようではあったが、だからといって特に躊躇することもせずに、佐野女史御一行は各テーブルに分散して席に着いた。
小生と、佐野女史との間にいる者は、小生の向かいの席にいる者、佐野女史の向かいの席で小生には背中を向けてる者だけであった。

自然と小生の視界に佐野女史の顔が入ってきてしまうが、こういった場所では、干渉しないのが礼儀である。
努めて気にしない素振りをし、届けられたカレーライスを食する小生であった。


そしてひかり308号は岐阜羽島駅を通過する。
小生ら、名古屋下車組は、佐野女史とマネージャの鈴木氏に挨拶をして、食堂車を出たのであった。


名古屋駅から名古屋市営地下鉄に乗り換え、本山駅で下車。
第二陽気荘の一階の部屋に宿泊させていただいた。

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2015年5月 5日 (火)

南野陽子 下敷き

再び下敷き。今回は南野陽子女史。
CBS SONYレコードのロゴマークの入った非売品。
南野女史が最好調の時期の品であるため、玉数も多くそれほど貴重なものではない模様。

楽曲やアルバムのタイトルも入っておらず、何のプロモーション用だったのか、また、小生の入手経路も不明。

南野陽子 下敷き(表)(200dpi)

裏面は1987年4から7月のカレンダーとなっており、時期的には「話しかけたかった」の頃に当たる。

南野陽子 下敷き(裏)(200dpi)

本日も少々強い5月の風に、鯉のぼりが勢いよくはためいていた。

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