2018年1月16日 (火)

1988年1月16日

本日は、有楽町日立ヤングプラザにおける、文化放送"日立ハローサタデー"の公開生放送に参加。

JR有楽町駅から徒歩で有楽フードセンターへと向かう。

近頃、佐野量子女史などの優先度の高いイベントが無い日は、とりあえず有楽町へ行ってみる、という行動が定番となりつつある。


本日会場に集った者は、オリ通寄稿士のペンネームそれぞれ"JVCの周美今日"、"大谷渚"の各氏の他、M高校OBの"AT"氏。


なお、本日の出演者は、長山洋子女史と、勇直子女史。

長山女史は1月12日に発売された「反逆のヒーロー」
勇女史は1月21日に発売される「ラスト・パラシュート」

の販促を兼ねた出演ということであろう。

特に勇女史は、前作「Boom Boom Boom」が1987年5月21日発売なので、久々の新曲である。
ファンのかたからすれば、待ちに待った新曲になる。

公開生放送終了後、有楽町駅から帰途についた。

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2018年1月15日 (月)

1988年1月15日

本日は後楽園けやきステージで開催される文化放送の公開録音に参加するため、
秋葉原駅から徒歩で神田川をたどり、飯田橋までやってきた小生。
本日の出演者は、仁藤優子女史。
仁藤女史の喉の具合を確かめるためという意味合いもある。


新年の後楽園けやきステージでのイベントには、昨年も参加しておりおり、今年も、昨年と同様のイベントが開催されるというわけである。


外堀通りから後楽園の敷地に入り、けやきステージに到着。
けやきステージの舞台後方には"迎春"と書かれた板が据えつけられ、正月気分をかもし出す。

舞台向かって右に掲げられら看板によると、本日の公演は、13時及び15時の2回まわしとなっている。
これは昨年と同様である。

会場で出会ったのは、オリ通寄稿士はペンネームそれぞれ"渡辺洋"、"きっぱら一人"、"JVCの周美今日"の各氏。

肝心の仁藤女史の喉は、一時期よりは良くなってはいるようであるが、デビュー当時の状態にはほど遠いといった状態であった。

そのような喉の状態を反映してか、披露された新曲もマイナー調のもの、歌い上げる、といった感じの曲ではなく、今さら、デヒュー時の声を求めても、仕方ないのかもしれないが、なんとも残念なことである。

イベント終了後、徒歩で神田駅まで出、帰途についた。

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2018年1月 9日 (火)

1988年1月9日

1988年の初参加イベントは、有楽町日立ヤングプラザにおける、文化放送"日立ハローサタデー"の公開生放送であった。

出演者、伊藤智恵理女史と、白田あゆみ女史。

白田女史は、特にアップライトミュージック所属のということで、佐野量子女史の専門ミニコミ誌"おれんじ★てぃー"発行人のOM氏と関連が深い。

会場には、おそらく"あゆみプロジェクト"のえらい人であるAT氏も来ていた。

オリ通寄稿士(←今年からこの記述とする)の"大谷渚"、"渡辺洋"の各氏、そして"るなちっく♡うぇる"氏まで来場していた。

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2017年12月12日 (火)

1987年12月12日

本日は、川崎岡田屋モアーズで、ニッポン放送の“モアモア歌謡センター”の公開生放送を観覧。

出演者は、PumpKinの2名と、我妻佳代女史。

オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"、"渡辺洋"、"スイク2ミトカイ"の各氏も来場.していた。

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2017年12月11日 (月)

1987年12月11日

本日は、ニッポン放送の"ロッテヤンスタNo.1"の公開録音に参加の予定である。

"ロッテヤンスタNo.1"は、ニッポン放送本社の"ラジオハウス銀河"、通称"銀河スタジオ"で収録される。
入場には"御招待券"が必要であるが、本日は、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"氏から"御招待券"をいただいていた。

開場は17時30分。
開場前から、前出オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"氏の他、同ペンネーム"渡辺洋"なども集まり列を作る。

余った"御招待券"の受け渡しも行われており、小生くらい知人がいる者であれば、"御招待券"を持たずともこの場に来さえすれば余った券を融通してもらい入場することはできそうである。


19871211ロッテヤンスタNo.1御招待券(裏)(150dpi)

19871211ロッテヤンスタNo.1御招待券(表)(150dpi)


入場が開始されると、列が動きだす。
"ラジオハウス銀河"までは階段を昇って移動する。


"ラジオハウス銀河"に入るのは初である。
開け放たれた扉からスタジオ内に入ると、内部は左右に広い楕円状となっており、中程に、椅子が並べられていた。
並べられた椅子の前方部分は、何も置かれておらず、向かって左に寄りに置かれた机が、司会者、出演者の席のようである。

場慣れした者が多いのであろう、列がスタジオ内に入っていっても、混乱もなく、整然の椅子が埋まっていく。


全員の入場が終わったところで、こういった公開録音番組では恒例の、前説が始まる。

拍手は強く細かくである。


やがて司会者のキッチュ氏と嘉門達夫氏が登場。収録の準備が整った。


番組オープニング曲が流れ収録開始。
本日のゲストの紹介。
芳本美代子女史、大西結花女史が登場。
小生が、芳本女史を見るのは8日目、大西女史のほうは9日目となる。


まずゲストが2名が登場したということは、2本録りということであろう。

番組は、トーク部分を収録し、一旦休憩。
歌の部分は、観客席前方の、空いている場所で生歌を歌い、別に収録。
歌の収録の際にNGが出た場合は再テイクとなるようである。テイク2を観ることができたら運が良かったのかもしれない。


2本録り2本目のゲストはStepとA-Cha。


この"ロッテヤンスタNo.1"では、スタジオ内で生歌を聴くことができる。平日の夕方開始というのが難点ではあるが、良いイベントであると感じた。

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2017年12月 5日 (火)

1987年12月5日

本日は、川崎岡田屋モアーズで開催されるニッポン放送の"モアモア歌謡センター"の公開生放送の観覧。

例によって開店前に一階入口に待機。
開店と同時に階段を駆け上がり、7階のニッポン放送のサテライトスタジオの席を取る。
本日は座席取りの競争率が高めであった。

出演者は、佐野量子女史、水谷麻里女史、山瀬まみ女史の3人。モアモア歌謡センターで3人の出演は珍しく、競争率が高くなるのは仕方のないところである。


早くから会場入りしている佐野量子女史関係の知人に加え、
収録開始時刻が近づくと、
オリコン・ウィークリーの常連投稿者の、それぞれペンネーム"西崎知紀"、"渡辺洋"、スイク2ミトカイ"、"西克治"氏らが集合。

音合わせの後、16時30分から収録開始。

水谷女史の「メビウス天国」

佐野女史の「レタスの恋愛レポート」

ゲームコーナー

山瀬女史の「可愛いゝひとよ」

の順に進行。

佐野→ボケ
水谷→意味不明
山瀬 →叫ぶ

といった内容で、今年一番の大笑いをした収録となった。

その後小生は、佐野関係、オリコン通信関係、いずれの知人とも分かれ、某OB会へと向かった。

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2017年11月29日 (水)

1987年11月29日

浅井企画から得た情報によると、本日佐野量子の予定は、東海ラジオ放送"ユニモールスタジオ"出演とのことであったので、名古屋までやってきた小生。

名古屋に来るときは、豊橋で、名古屋屋鉄道に乗り換えるのが通常の経路となっている。

名古屋駅の地下にもぐると、人の流れに乗って地下鉄東山線方面に行ってしまいそうになるのであるが、そこを敢えて直進し、桜通り方面に向かうと、ユニモール地下街への入口がわかりにくいが、入ってしまえば二本の道が一直線に続く単純な構造である。

目指す"ユニモールスタジオ"は、向かって右側の道を進み、地下街の最深部にある、東海ラジオ放送のサテライトスタジオであった。
名古屋駅から西へ向かう通路にと直角に舞台が設置されており、その前に客席が配置されている。
収容人員は3~40名程度であうろか。

名古屋の知人に声をかけ、空いている場所を分けてもらう。

人通りの多い地下街に面しているため、収録がはじまると、人だかりとなる。
収録中、どこで目をつけられたのか、小生にマイクが向けられ何言かインタビューされてしまったので、放送されるのであろう。

写真機を持っていたのだが、撮影しているような状態ではなかった、本日の記録のため、去りゆく佐野女史と、マネージャの鈴木氏の姿を撮影した。

19871129佐野量子_ユニモールスタジオ

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2017年11月21日 (火)

1987年11月21日

本日は、渋谷で佐野量子女史のテレカテレホンカードキャンペーンに参加した後、 有楽町で"日立ハローサタデー"の公開生放送に参加する予定である。


有楽町で、日立ハローサタデーの整理券を入手してから渋谷に行くことも考えたが、土曜日の渋谷ということから早めに場所を取る必要があると考え、直接渋谷に向かうことにした。

浅井企画から得た情報では、13:00から東急百貨店東横店1階で開催されるとのこと。
東横店は、3館に分かれており、そのうちのどこで開催されるのか、現地で確認する必要がある。

渋谷駅に到着し、ハチ公、モヤイ像あたりを往復していると、西館前の旧多摩川電気鉄道の軌道跡の通路に、
"T/C COMMUNICATION IN TOKYO 佐野量子ライヴキャンペーン"の看板が設置され、その前に折り畳み式のテーブルと椅子が並べられた。

いかに集客力が少ない佐野女史といえども、日中の渋谷駅の通路でイベントを開催するのは無謀ではなかろうか。と思ったのではあったが、ここで開催するとなれば待たざるを得ない。
通路での開催ということで、座ることもできず、某光学機器メーカー社員のHK氏とAS氏、おれんじ☆てぃー編集人のAN氏らとともに、立ったまま開始を待つ。

19871121東急百貨店東横店_佐野量子


佐野女史と司会の女性がやってきてイベント開始。

机の周囲にロープを張り、ロープ内にいる者以外は立ち止まらないように係員が案内しているのではあるが、危惧したとおり、イベントがはじまるは人が滞留して、通路は大混雑となっている。

さすがに、この場所で歌うことはできないということか、サイン会のみの開催となった。


渋谷でのイベント終了後、有楽町に移動。
日立ヤングプラザのカウンターで入場整理券は確保できた。

会場は"FORUM-U"。
本日の"日立ハローサタデー"出演者は、佐野女史と水谷麻里女史の2名である。

オリコン通信常連投稿者のペンネーム"西崎知紀"、"JVCの周美今日"、"渡辺洋"、"スイク2ミトカイ"、"PINK TANK"、"CHELSEA♡SPECTOR"、"大谷渚"の各氏が揃った。

19871121日立ハローサタデー_水谷麻里

進行は、
大ボケクイズ
佐野女史の「夏のフィナーレ」
水谷女史の「メビウス天国」
佐野女史の「レタスの恋愛レポート」

歌った曲数は、佐野女史2曲、水谷女史の1曲であった。

佐野女史はこの収録の後、チューリップのコンサートに参加するとのことだった。

さすがに今から当日券を買ってまでしてチューリップのコンサートに参加する気もない小生は、知人らと歓談した後帰宅した。


※2017年補記。この日"T/C COMMUNICATION IN TOKYO 佐野量子ライヴキャンペーン"のイベント中の写真を小生は撮影しておりませんでしたが、20世紀アイドル写真館さんで当日の写真を見ることができます。

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2017年11月15日 (水)

1987年11月15日

本日は川崎アゼリア地下街のSTUDIOアゼリアで、文化放送の公開録音番組"アゼリアPOPパーティー"の収録に参加した後、蒲田に移動し、蒲田パリオで開催される佐野量子女史のNTTテレホンカードキャンペーンに参加という予定である。

毎度おなじみの川崎アゼリア地下街"STUDIOアゼリア"にやってきた小生。例によって、ステージ向かって右側最前列の一角を確保する。

本日の"アゼリアPOPパーティー"の出演者は、倉沢淳美女史、佐野量子女史、森下恵理女史、真弓倫子女史の4名となっている。

13時30分に収録開始。

番組の収録は、2本録りなのは相変わらずであるが、進行方法が変わっており、本日の出演者4名が同時に出演せず、2名ずつの出演となるようである。
1本目の収録は、倉沢女史と佐野女史の出演であった。

19871115アゼリアPOPパーティー_倉沢淳美、佐野量子


佐野女史の「4月のせいかもしれない」
倉沢女史の曲。曲名失念。

その後佐野女史が「レタスの恋愛レポート」
倉沢女史の曲。こちらも曲名失念。
という進行。

"体力測定"という名目で肺活量を測定するコーナー。
佐野女史は1度目の測定結果に納得できないのか、再度の測定をしたのであった。

19871115アゼリアPOPパーティー_佐野量子


結果的に、肺活量での勝負は倉沢女史圧勝であった。


1本目の収録が終わったところで、蒲田に移動するため、川崎アゼリア地下街を後にする。

今回は森下女史、真弓女史の収録部分には参加できなかったがいたしかたないところ。


浅井企画から得た情報では、16時から、蒲田パリオ5階の"テレカ行進曲"でNTT蒲田局のテレホンカードキャンペーンがあるとのこと。

川崎から京浜東北線に乗車、一駅で蒲田に到着する。
蒲田駅に降り立つのは初である。
蒲田駅東口の駅ビルが"パリオ"であり、5階に行ってみると、イベントは屋上で開催するとのことであった。


19871115佐野量子_NTTテレホンカードキャンペーンチラシ(B5表)(150dpi)

屋上で開演を待つ。
11月ともなると、屋外の夕刻時はかなり寒くなる。

今回は、新たに作られたのだろうか、"T/C COMMUNICATION IN TOKYO 佐野量子ライヴキャンペーン"と書かれた看板が設置されていた。

集まった人数は今までのNTTテレホンカードキャンペーンでは最も多い感じ、100名程度はいるであろうか。

イベント開始。

19871115蒲田パリオ_NTTテレホンカードキャンペーン_佐野量子1

進行は、

「夏のフィナーレ」


恒例のゲームコーナーという名のジャンケン大会。

19871115蒲田パリオ_NTTテレホンカードキャンペーン_佐野量子2

「レタスの恋愛レポート」

という進行。

ゲームコーナーに、オリコン通信常連投稿者の通称"ウーロン茶嬢"が出てきたのには驚いた小生であった。

最後は、ホワイトテレホンカート購入者へのサイン会。
なお、「レタスの恋愛レポート」を購入するとポスターが付いてくるということだったので、某光学機器メーカー社員の"SA"氏から2000円の借金をして、テレホンカード2枚と、「レタスの恋愛レポート」を購入してしまった。

そんな特典もついているからか、ホワイトテレホンカート購入希望者がなかな途切れず、会場は混乱状態になってしまった。

それでもなんとかサイン会も終了。
空は既に薄暗くなっていた。

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2017年11月 7日 (火)

1987年11月7日

本日は、両国で佐野量子女史のNTTテレホンカードキャンペーンに参加した後、たまプラーザに移動して、東急ケーブルテレビのスタジオで文化放送"ラジオ版だよ!チャンネルM"の公開放送を観覧という予定である。

NTTテレホンカードキャンペーンは、1987年10月31日の西新井局でのイベントに続くものであるが、
当初浅井企画から得た情報は"NTT住田で午後1時から"というもの。
この"NTT住田"のイベントは、11月13日の予定4であったり、11月14日の予定であったりと、浅井企画から知らされる日程が何度か変わったばかりか、"NTT住田"なる電話局がどこにあるかすらわからないという、問題のイベントであったが、結局開催日は11月7日になり、"両国国技館の裏"が会場になる、というところまで聞き出すことができた。

いま一つ信用のおけない浅井企画の情報を元に、両国駅に降り立った小生。両国駅では初下車である。
オリコン・ウィークリーの佐野女史スケジュール欄にも、"NTT住田でイベント"と掲載されている。
両国に住田という地名があったのだろうかと、両国国技館の西縁から北縁へとを回り込むと、眼前にアスファルトの路面に白線の区画線が引かれた、広大な駐車場が見えてきた。

そこに自動車の影はほとんど、そのかわり、敷地の中央付近にテントやのぼり旗が密集している一角があった。
遠目にも、そこがイベント会場であることがわかった。

目的地が判明したなら、あとはその場に向け急ぐのみである。
到着したその場は"すみだふるさと祭り"の会場であった。

ここで初めて本日イベントを開催するNTTの局は住田"でなく"墨田"だったということに気づいた小生であったが、本来なら、墨田区の両国が会場だと聞いた時点で気づくべきところではあったが、字面で"住田"と見ているだけではなかなか気づかないものである。


"すみだふるさと祭り"の会場に簡便なステージが設けられ、そこでイベントが開催されるようである。
ステージ前には椅子などは設置されておらず、立ち見
例によって、佐野女史が目当ての者はそれほどおらず十数名程度といったところ。
それでも、祭りの会場ということもあり、先日のNTT西新井局でのイベントよりは観客は集まっている。

13時にイベント開始。

1曲目は、 「夏のフィナーレ」

19871107すみだふるさと祭り_佐野量子

司会者が出てきて、佐野女史がテレホンカードキャンペーンとなったことを紹介し、
その後すぐ、佐野女史とジャンケンをして2回勝った者に賞品が当たるというゲーム大会となった。

ゲーム大会の時間は西新井のイベントより短かったであろうか。
そしてゲーム大会終了後、アルバム『F・A・N・T・A・S・T・I・C』の発売のお知らせ、ビデオ発売の予告。
"わいわいスポーツ塾"に出演中等の宣伝をし、本日2曲目、

「レタスの恋愛レポート」

を歌い、イベント終了。

佐野女史は次のスケジュールが控えているためか、早々に会場を後にする。
マネージャーの鈴木氏のジェミニで次のイベント会場に向かったようであるが、自動車で向かうのは大変であろうと思う。


小生らも次の目的地へ移動を開始する。

浅井企画から得た情報では、次のイベントは、たまプラーザにある東急ケーブルテレビスタジオで午後4時からとなっている。

両国からたまプラーザまでの経路は、何十通りもあるが、結局のところ、代々木で山手線、渋谷で東急新玉川線に乗り換える経路が一番早そうである。


たまプラーザ駅南口に降り、右に折れてしばらく坂を昇ると目指す東急ケーブルテレビのスタジオがあった。
テレビのスタジオといっても、ケーブルテレビのそれは、キー曲のようにものものしい警備もなく、誰でも入ることができるようであった。


息せき切って小生らが入場したときには、まだ前の番組の収録中のようであった。

19871107東急ケーブルテレビスタジオ


スタジオの中は、半円状に椅子が配置された階段教室のようになっている。椅子が向いた先に特に舞台は設置されておらず、体育館のような艶のある板敷きの床となっており、番組によって様々なセットが組まれるのであろう。

本日は、中央部分を開けてテーブルと椅子が設置されていた。

19871107東急ケーブルテレビスタジオ_ラジオ版だよ!チャンネルM_佐野量子

佐野女史の衣装は、先程の、"すみだふるさと祭り"のときと全く同じ。
文化放送のラジオの収録と同時に、ケーブルテレビで放送されるテレビジョン番組の収録もされているようである。


なお、"ラジオ版だよ!チャンネルM"のレギュラー出演者乱一世氏と大西結花女史であった。
大西女史の席はは、佐野女史の左隣となっていた。
大西女史と佐野女史が並ぶ前で目立つわけにもいかず、小生はおとなしくしていたのであった。

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