2017年7月27日 (木)

1987年7月27日

本日は、市ヶ谷のシャープ東京ショールームにおいて、文化放送"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音の観覧、という予定である。

"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音に参加するのは3度目となる。

本日集まったのは、"ワープロ君"ことUM氏、我孫子のMT氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏の面々。

ゲストは、佐野量子女史と中村由真女史であった。

司会は風見慎吾氏。

佐野女史の紹介に合わせて"ひなえー"と佐野女史の母の名をさけぶ風見氏。

中村女史には、前回出たときは"私もう言うことなくなってすいません"とってても礼儀正しいんです、でもひょっとしたら知識がないだけかもしれません…そんなことないですよ、前歯がかわいいですね。との紹介。

佐野女史から、泳げるようになるコツの発表
1水の恐怖を忘れてください。
2きれいな海をずって見ていると泳ぎたくなってくる。
3空でも良い
4青がきれいだと飛び込みたくなるでしょ
5水たまりにアメンボがいるでしょ。水たまりを見ていると、自分がアメンボになった気がして泳ぎたくなる。

風見氏から、"ドキド欽ちゃん"のとき量子ちゃんと芝居をやって思ってたんだ、間がつかめないって、との発言。

6水の中に入って目が開かないとか、目に水が入っちゃうんじゃないかとか心配になるので訓練が必要。
7たとえば目薬を目に入れて、何滴も入れてぱっと目を開けて、目を水に馴らせる。それは霧吹きでもいいです。

風見氏からプールサイドで目薬差してるのはまだいいけど、霧吹き持ってってシュッシュシュッシュやったら、こいつアホやんって思われるよ、と突っ込まれるが。

でもたぶん慣れるでしょう、と受け流す佐野女史。

8次に体の動き、ふとんの上で泳ぐ練習をする。自分がなりきる。何になりきるかっていうと、すごいきれな海だとか、マリンブルーでも真っ青でも何でもいいんだけど、そういうとこを頭の中に浮かべるわけですよ、

風見氏が、"頭の中にマリンブルーマリンブルーマリンブルーと"と合いの手

佐野女史が、"で、そこで一生懸命泳いでる気持ちになる。以上。"と締めてコーナー終了。

佐野女史の「夏のフィナーレ」の音を流す。(ワンコーラス)

引き続き、生CMのコーナー
今回は知人は出ていないかった。

中村女史から、ハスラーへの道の発表。

1初めてビリヤードをやったのは伊豆の修善寺。雨でなにもできなくて、ゲームコーナーでビリヤードをやった。
2マネージャーが結構うまい。遊び人みたいで。
風見氏が"遊び人"発実に興奮。マネージャーと会ってみたい、話が合うと思う。
3教えてもらった。
風見氏が教え方について、キューを手に持って?。後ろから覆い被さって?と興奮。
そんなことないですよと、中村女史。
4できなくて泣きながらやった。周りがうまいからくやしくなった。

中村女史の「パニック」の音を流す。(ワンコーラス)

風見氏、
シャンデリアが付いている車の話し。
男の子にナンパされて車に乗りこんだ女の子がインタビューされいる話し。

その後洋楽を1曲を流し、エンディングとなった。

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2017年7月18日 (火)

1987年7月18日

本日は、静岡第一テレビの公開生放送"Jan Janサタデー"観覧のため、沼津市の静岡厚生年金休暇センターに行くという予定である。

"ワープロ君"ことUM氏から、静岡厚生年金休暇センターへの行き方がわからないので沼津駅から一緒に行きたい、との連絡があり、沼津駅南口で待ち合わせることとしていた。

"Jan Janサタデー"の公開生放送に参加したことがなかった小生は、事前に静岡第一テレビと静岡厚生年金休暇センターに電話して、"Jan Janサタデー"は観ることができる、静岡厚生年金休暇センターへの入場は無料だがプール内に入るのには入場料がかかる、静岡厚生年金休暇センターへは、沼津駅から、休暇センター経由富士通行きの富士急行のバスに乗車れば行くことができる、といった情報を得ていた。

沼津駅は何度か降りたこともあり、勝手がわかっている。静岡厚生年金休暇センターは駅の北にあるが、沼津駅始発のほとんどのバス路線は南口を起点としている。駅北方面のバス路線は、富士急行が担っており、富士通行きのバス乗り場は、富士急百貨店前のどこかにあるはずである。

沼津駅南口でUM氏と合流した小生は、まず富士急百貨店に向かった。
富士通行きのバス乗り場を探すと、富士急百貨店の、ニチイに面した側に目指すバス乗り場を発見した。そのバス乗り場の後方の富士急百貨店には富士急行バスの乗車券売り場の窓口があった。通常は乗車するときに整理券を取り、降車時に、整理券と一緒に料金を料金箱に入れるのであるが、事前に乗車券を買っておけば、整理番号と料金表を見比べつつ両替の心配をする、といったようなこともなくなるため、"厚生年金休暇センター"までの乗車券を購入。バスの到着を待つ。
やがて"富士通"の幕が表示されているバスが到着し、UM氏と小生とはそのバスに乗りこむ。
沼津駅南口を発車したバスは、JRのガードを潜る。沼津駅の北は高層ビルも少ない。南から北に抜けただけで、都市から郊外へと風景は一変する。そして、都市近郊とっいった雰囲気であった車窓風景は、国道1号線を越えると田園風景となる。やがて道路は山にとりつき、東名高速道路くぐり、さらにしばらく坂を登り右折すると、静岡厚生年金休暇センターの敷地内に入り、バス停で停車した。小生らを下ろしたバスは、ロータリー状になっている道路を一周回し左折すると、車体を植え込みに沈めながら、元来た道を下って行った。

さて、バスを降りると静岡厚生年金休暇センター入口は目前である。会場の状況を確認したい小生は、早々に入館する。入口を抜けると左手にフロントがあり、正面に通路が続いている。フロントがある階が2階となっている。プールを目指してが進んでいくと、通路右手に、駿河湾を望むレストラン、さらに進むと、右手屋外に、プールが見えてきた。ではあるが館内の人はそれほど多くはなく、夏とはいえ日差しもなく涼しい本日の天候では、プールを利用しようという気にならないのか、はたまた静岡第一テレビが制限しているのか、遊泳客もほとんどいないようだった。

プールは1階屋外にあった。2階から1階に降りた小生は、利用料金を支払えばプール内に入れることを確認、一安心である。

本日集まったのは、小生と同行してきたUM氏の他、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏等である。

小生らが今後のイベントの情報交換などをし過ごしている間にも、プール周辺では、放送に向け着々と準備が進められていた。昇降式移動足場の、つぶれきった菱形の骨組みが横方向の対角線が長い菱形から、縦方向の対角線が長い菱形に変わっていくと、足場の上に据えつけられたTVカメラは、プールを俯瞰し、駿河湾の広がりが映し出すために据えられたものとなっていた。

やがて会場が騒がしくなりだした。気づくと音合わせがはじまっていた。小生らは駐車場での入り待ちをしていなかったので気づかなかったのだが、,いつの間にか、本日のゲストは会場入りしていたようである。

音合わせは、屋外のプールで行われていた。
屋外には、二つの島を持つ瓢箪形のプールと、小さな滑り台がある浅いプールがあり、瓢箪形のプールの"島"の部分が今回の放送の舞台となるようである。彼岸である島と、此岸のうちその島へと渡る橋の橋詰近辺が、番組関係者のみが立ち入ることができる区域であるが、瓢箪形のプールの、橋近辺以外の外周部分は一般観衆に開放されている。外周部分と島部分の間のプール幅は約5メートルといったところであった。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子1

まず、真弓倫子女史の音合わせ。
戻り際に写真を撮らせていただいた。

19870718Jan Janサタデー_真弓倫子2

そして佐野量子女史の音合わせである。
初めて見る衣装である。ステージ衣装であろうか?

19870718Jan Janサタデー_佐野量子1

佐野女史は、音合わせが終わると、静岡厚生年金休暇センターの建物の中に戻っていった。

ゲストが建物の中入るのを見届けた小生らは、一般客用の出入り口から建物内に戻った。
これから放送開始時刻17時10分まで相当の時間がある。休憩場所を求めて、ロビーのある2階に上がった。

フロントに向かって歩くと、通路左手のレストランで、佐野女史と真弓女史そしてその関係者とおぼしき人々が、一つのテーブルを囲んでいるのが見えた。佐野女史と真弓女史は同じレコード会社に所属しているので、その関係の打合せでもしているのだろうか。ここはそっとしておくのが礼儀と心得、そのまま通りすぎた。

放送開始の時刻が近づく。小生らは再び1階に降りて、プールに入場する。

"夏のリゾート"といった出で立ちで通り過ぎる小森まなみ女史。

19870718Jan Janサタデー_小森まなみ

しかし、実際には、長袖でも暑くはないといった気温である。

放送開始。
オープニング。
引き続き真弓女史が「片想いグラフィティー」を歌う。
CM
Janサタトップテン
今週のプレゼント
音楽情報
映画情報
CM
夏を楽しむグッズ
厚生年金休暇センター紹介
CMと続き、
佐野女史が「夏のフィナーレ」を歌う。
テレビジョン放送で歌うのは今回がはじめてとのことである。
そしてCM
プレゼントコーナー
会場プレゼント、小生は当たらず。
そして番組終了。

極近くで見ることができる、といったわけではなかったのだが、観客が少なかったため、ストレスを感じることなく
観覧することができた。゛

そして、佐野女史が、終始衣装の胸元を気にするしぐさをしているところが気になった小生であった。

19870718Jan Janサタデー_佐野量子2


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2017年7月13日 (木)

1987年7月13日

オリコン通信常連投稿者のペンネーム"ふわふわ♡典子ちゃん"氏のアパートで一泊した小生。

一夜明けた本日は、松本典子女史がフジテレビジョンの"森田一義アワー 笑っていいとも!"のテレホンショッキングに出演するということで、"ふわふわ♡典子ちゃん"氏とともに、"笑っていいとも!"を観に行くこととなった。
一緒に宿泊した、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"ぼっけもん"氏とは途中で分かれ、小生らは新宿まで向かう。
新宿ALTAの前で、やはりオリコン通信常連投稿者のペンネーム"CHELSEA♡SPECTOR"氏と合流。
"CHELSEA♡SPECTOR"氏は放送業界に詳しいとのことで、今回の入場方法は"CHELSEA♡SPECTOR"氏おまかせである。
"CHELSEA♡SPECTOR"氏によると、大概はキャンセル待ちで先着十数人は入場できるとのこと。新宿ALTA一階入口の向かって左側に並んでひたすら待つ。
やがて、既に入場整理券を手にしている人たちが集まりだし、7階まで続く階段に並びだす。それらの者の人数の確認が済んだ後、キャンセル待ちで入場できる者たちの人数が確定するのであった。
小生ら3名は、キャンセルの人数に無事滑り込み、入場待ち列の最後尾に加わった。

階段を7階までのぼり、"森田一義アワー 笑っていいとも!"公開生放送会場のSTUDIO ALTAに入場。この場所には以前佐野量子女史のイベントで来ている。佐野女史のイベントの告知には"スペースアルタ"と記載されていたが、今回の会場は、名称こそ異なるが、同じ場所のようである。

入場した順に係員の指示により着席する。基本的には前から詰めていくようである。列の端になるか中央付近になるかは運次第。前方に空きがあるのを係員が発見し、後から入場した者にその場があてがわれることもあるようである。
小生らは、後方の階段状になっている中央向かってやや左の席となった。
オリコン通信松本典子担当の両巨頭"ふわふわ♡典子ちゃん"氏と"CHELSEA♡SPECTOR"氏の間に、小生が挟まれるという配置となった。

前説が終わり、正午が近づく。
正午になるとともに、オープニングの「ウキウキWATCHING」が流れだし、いいとも青年隊、神田利則氏、相田康次氏のダンスがはじまる。そして総合司会のタモリ氏が歌いながら登場。

19870713いいとも青年隊_神田利則_相田康次_笑っていいとも!

曲が終了した後、引き続きテレホンショッキングのコーナーとなる。
ここで本日のゲストの松本典子女史が登場。観客一同は前説で言われたとおり、拍手と歓声で迎える。

19870713松本典子_笑っていいとも!_テレホンショッキング

テレホンショッキングのコーナーも、もうすぐ終了となろうかという頃、小生も注目していた翌日のゲストへの電話のコーナーとなった。このところ、テレホンショッキングの出演者は、本田美奈子女史以降網浜直子女史、芳本美代子女史、松本典子女史と1985年デビュー組が続いており、次が誰になるのかは気になるところであったのだが、電話に出たのは松居直美女史であった。松居直美女史には申し訳ないが、1985年デビュー女性アイルの流れが途切れてしまったな、とがっかりしたのが正直なところであった。

月曜日だったため、"寛子のおかし大好き!"のコーナーに出演する三田寛子女史のご尊顔も拝した。
そして番組終了。

"森田一義アワー 笑っていいとも!"の放送が終了しても、スタジオ内の観客は開放されることなくその場に留め置かれた。"CHELSEA♡SPECTOR"氏によれば、引き続き"ライオンのいただきます"の収録があるとのことであった。

なるほどこれなら"いいとも"の出待ち防止にはなるな、と思いつつ小堺一機氏のおしゃべりを拝聴し、"ライオンのいただきます"終了後、スタジオアルタを後にした。なお、帰りはビル内のエスカレーターを利用することができた。

新宿で、"ふわふわ♡典子ちゃん"、"CHELSEA♡SPECTOR"の両氏と分かれ、小生は帰宅の途についた。

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2017年6月24日 (土)

1987年6月24日

本日は、朝霞市民会館において日本テレビ"ベストカップル歌合戦"の公開録画が行われる日である。
先日入場券を入手した小生は、10時30分に東武東上線池袋駅のプラットホームの一番前で同志と待ち合わせ、東武東上線の電車に乗って会場の朝霞市民会館に向かった。

朝霞駅で下車。朝霞駅に降り立つのは1987年6月13日以来である。そのまま徒歩で朝霞市民会館に向かう。
朝霞市民会館に到着し、整理禁をいただく。すでに整理券の配布ははじまっており、あまり若い番号ではなかったが、市民会館内にはそれほどの人はいない。地元の者は整理券を入手した後、一旦自宅に戻っているのだろう。
小生はというと、どこへとも行くあても無いため、市民会館内で知人と話をしながら時間をつぶしていた。

現地でも何人かの知人と合流した結果、本日の顔ぶれは、"関東一のおっかけ"ことIH氏、"ワープロ君"ことUM氏、横浜のKR氏、某光学機器メーカーのHK氏とSA氏となった。SA氏は入場券を持っていないとのことだったので、余分にいただいた入場券を提供した。
"ワープロ君"ことUM氏は、一端会場を場を離れ、残りの5人はホール入口に並んで会場を待っていた。ホール入口にいると、出演者の入りがわからないため、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏で、ホール裏にある駐車場に行き、佐野量子女史のマネージャーの鈴木氏の"黒いプレリュードを探したのだが、遂に発見できなかった。

やがて会場の時刻が近づくと、どこからともなく人々が現れ、会館外まで伸びる列ができた。前列のほうには、近所の方々とおぼしき年配の者。そして小生ら。後方には、学校が終わってからやってきた比較的年齢の若い者たち。そして、本日の出演者の長与千草女史のファンとおぼしきピンクのポンポンを抱えた集団。総勢は100人程度か。朝霞市民会館のホールの収容人員からすると、寂しい人数ではある。松本典子女史、石野陽子女史のファンとおぼしき集団は見あたらない。

17時会場。列をなして入場する。地元の方々は、席にそれほど頓着ないようで、小生らが入場したときも、最前列の席は空いていた。最前列といっても、前3列は封鎖されていたため、4列目が最前列となる。その4列目中央の席を確保した。
後方を見やると、会場内はやはり空席だらけである。逆に会場内をテレビカメラで抜かれる心配が少なくなるかもしれない。

堀敏彦氏が舞台上に現れ、前説がはじまる。その話しによると、本日は2本録りのようである。写真撮影も禁止されてはいないようであった。途中で帰らないで収録の最後までいてほしい、とのお願いもあったが、お目当ての出演者が1本目に出てしまったら2本目まで残らないかもしれない。

19870624ベストカップル歌合戦_堀敏彦

1本目の収録開始。岡田真澄氏、榊原郁恵女史の2名が司会である。
審査員は、近江敏郎氏、塩沢とき女史の2名。

1本目の出演者は、宮内洋氏、長与千種女史、向明子女史、北話友樹氏、森末慎二氏、田中美佐子女史、林与一氏、松本典子女史であった。
これで2本目の収録にも参加することは決定である。

19870624ベストカップル歌合戦_1

この番組は、"ベストカップル歌合戦"の名称のとおり、男女1名づつが一組となって曲を歌うというもの。
1本目の収録の曲目は、
「雪国」宮内洋、長与千種

19870624ベストカップル歌合戦_宮内洋、長与千種

歌唱はワンコーラスのみであった。引き続き、
「居酒屋」日向明子、北話友樹
「テネシーワルツ」森末慎二、田中美佐子
「別れの夜明け」林与一、松本典子

19870624ベストカップル歌合戦_林与一、松本典子

と歌唱が続く。

引き続き
"イントロ歌合戦"のコーナー。これは、ピコピコハンマーを持った出演者がステージ後方の椅子に腰掛け待機。曲のイントロが流れ、曲名がわかったものがピコピコハンマーで、ステージ前方にあるタヌキのぬいぐるみの帽子部分をたたき、最初にたたいた者の組が解答権を得る、解答権を得た組は、その曲を歌うことにより解答するというゲームであった。
ゲームは白熱し、腰掛けている椅子からタヌキのぬいぐるみへとできるだけ早く駆けつけようと、松本典子女史は靴を脱ぎ、長与千種女史は裸足になり、森末慎二氏は上着を脱ぐ始末。

その後、"審査結果発表"。
"ベストカップル賞"を、森末、田中組が受賞。"審査員特別賞"を、宮内、長与組が受賞することとなった。

2本目の収録では、

19870624ベストカップル歌合戦_2

「お化けのロック」嶋大輔、石野陽子

19870624ベストカップル歌合戦_嶋大輔、石野陽子

「いつでも夢を」樋浦勉、川島なお美
「わかれ道」横光克彦、松居直美
「あずさ2号」関根勤、佐野量子

19870624ベストカップル歌合戦_関根勤、佐野量子

と歌唱が続き、その後、"イントロ歌合戦"のコーナーとなった。

1曲目のイントロが流れる。流れだすと同時に出演者はタヌキのぬいぐるみめがけて走り出す。佐野女史と川島女史との間でピコピコハンマーの奪い合いとなり、川島女史がピコピコハンマーを勝ち取りタヌキのぬいぐるみをたたいた。がそれより前に、佐野女史は右手でピコピコハンマーの取り合いをしているさなか、左手でタヌキのぬいぐるみをたたいていたのだった。
曲が停止した。佐野女史の反則により川島女史の組に解答権があるかと思われたのだが、そこはバラエティー番組の緩さからか、司会者は佐野女史の組が解答するよう差配をする。不満そうな表情を浮かべる川島女史。
解答のため再び曲が流れだす。曲は南沙織の「17才」。誰もが知っているような曲である。満を持して歌い始める佐野女史、のはずだったが、まったく歌えない。助けに入る関根氏も、これまた歌えない。松居女史から"知らないんで押したんでしょ、ずるいじゃないの"と当然のクレームが入る。それを、"Where come from?"と英語でごまかす関根氏。

2曲目。ヒールある靴を脱いで両手に持ち走り出す体制を整える松居女史は、曲が流れだすと、一目散に駆け出し、ピコピコハンマーに目もくれず、自分の靴でタヌキのぬいぐるみをたたく。さすがバラエティー慣れしている振る舞いである。曲は「男の背中」。松居女史の歌は怪しかったが、同じ組の横光氏が完璧に歌いこなす。それでも"これはわたし知ってましたから完璧に歌いましたよ今"と笑いを取る松居女史。
笑いを取って満足したのか、靴を履く松居女史。

3曲目。もう"ピコピコハンマー"でたたくというルールは関係い。駆け寄ってタヌキを手でたたく石野女史。"トンカチ残ってる陽子ちゃん、これはなに?"と突っ込みを入れる松居女史。嶋氏に"おまえは靴だよ"と言われ退散。曲は「よろしく哀愁」。

4曲目。司会の岡田氏の"イントロはこれ"の声とともに走り出す一同。"ピコピコハンマー"を真っ先に手にとりタヌキのぬいぐるみたたいたのは佐野女史。が、まだ曲は流れだしていなかった。あわてて椅子まで戻った佐野女史。佐野女史をつかまえ"あなた、歌えるものなら歌ってみなさいよ"と詰め寄る松居女史。関根氏が"あしたわたしは~"と「あずさ2号」の出だしを歌いフォローするのだが、"だめよ、ちょっとかわいいからって"と追い打ちをかける松居女史。"直美ちゃんもかわいい"と榊原女史の言葉に、"そーお、なーんだ、落ち着こう"と椅子に戻る松居女史。

仕切り直しの4曲目。関根氏がタヌキのぬいぐるみ手でたたき、そのあとすぐ、"ピコピコハンマー"を手にした佐野女史が、タヌキのぬいぐるみをたたく。岡田氏の"誰がたたいた"との問いかけに手を挙げる佐野女史。松居女史からは"あなた絶対歌いなさいよ"との突っ込みが入る。曲は「目ン無い千鳥」。しかし途中から歌えず"ラララ~"でお茶を濁し、結局関根氏が「あずさ2号」でごまかす。

5曲目。松居女史が解答権を得て「おんな港町」を歌う。客席に歩み寄り、手を出すしぐさをする松居女史に、榊原女史が"松居直美オンステージでした"と笑いを取りにいく。

ここで、曲が流れだすまで腰掛けている場所を入れ換えることになり、佐野女史に向けて"入れ換えてもおなじよ"と牽制する松居女史。

6曲目。大コケする関根氏だったが、解答権を得たのは嶋氏の組となる。松居女史"あなた命懸けでこの番組やってるんじゃないの"との問いかけに対し"舞台で死ねればいいと思ってますからね"と答える関根氏。曲は「年下の男の子」。嶋、石野組が無難に歌いコーナー終了。

19870624ベストカップル歌合戦_2_イントロ歌合戦

"ベストカップル賞"は、嶋、石野組。"審査員特別賞"を、横光、松居組が受賞することとなった。

関根氏、松居女史と、バラエティー番組慣れした出演者により、2本目の"イントロ歌合戦"は大きく盛り上がり、曲が流れだした途端、客席に向かって走ってくる出演者たちの迫力に気押され気味の小生であった。

収録が終わりホールを出た。
しばらくホワイエにいると、佐野女史とマネージャーの鈴木氏が、何人かの子供たちを引き連れて歩いていくのが見えた。郊外の子供たちは芸能人がめずらしいのであろう。
二人の向かう先を確認していた小生であったが、通路の先を曲がり、見えなくなったところで、その先を追うのは、今の小生の領域ではないと、自制した。
また、他の者も、後を追おうとはしなかった。

そして、小生ら6人は朝霞市民会館を出て、徒歩で朝霞駅に向かった。

朝霞市民会館前の道路は、センターラインはなく、歩道の整備もされていない。周囲は未だ畑が多く、一人で歩くならば暗く心細いであろう道路である。
今しがたまで朝霞市民会館にいた者たちが帰路につくのであろうか、何台もの自動車に後ろから追い抜かれる。狭い道幅のため、自動車のヘッドライトを背中に感るたび、小生らは一列に並んで車をやり過ごそうとする。
一台の濃紺のセダン型の自動車が通りすぎたそのとき、排気音の中を貫いて、甲高い音が小生の頭を貫いた。その音が、実は人の声だとわかったのは、遠ざかる自動車の助手席から後ろ向きに顔を出した女性が、何か叫んでいるということを確認できてからだった。その自動車は、助手席に乗っている女性の顔の判別もできないほど遠ざかってはいたが、"ありがとー、またきてねー"という言葉となってはっきりと聞こえたのだった。顔の判別ができず、走り去った自動車が黒いプレリュードではなかったが、叫んでいるのは佐野女史に他ならない。

先程の"イントロ歌合戦"で気分も高揚していたのであろうか?。普段はおっとりしているように見える佐野女史が、声を張り上げて叫んでいるという事実に、少々あっけにとられながら、手を振って遠ざかる自動車を見送る小生であった。やがてその自動車の濃紺色は、赤いテールランプと左折を示す点滅する橙色の灯火を残して闇に溶け、交差点を朝霞駅方面に左折したところで、小生らの視界から消えていった。

佐野女史を見送った小生は、宴のあとのような余韻に浸りながら、朝霞駅に向かって歩いていく。同じように余韻に浸っているのであろうか、誰もが無口であった。ただ一人"ワープロ君"ことUM氏を除いて。
駅に近づくにつれ畑は減り、人家が、そして商店が多くなってくる。

道路は、一旦駅の東へと渡る跨線橋の下をかすめ、そして跨線橋へと分岐する交差点に差しかかる。

まず、異変に気づいたのは、小生と"関東一のおっかけ"ことIH氏の2名であった。こういう場で真っ先に気づくのは、往々にして小生なのである。"あの車は…"と小声で話す小生とIH氏。"あの車"とは、道路の左側を歩く小生らの反対側に停車している、濃紺のホイールキャップを付けた濃紺のセダン、車種はいすゞのジェミニであった。それは、小生らの側から見ることができる全てのガラスがスモークになっているような先程佐野女史が乗っていたとしか考えられない自動車であった。
小生が立ち止まったことで、他の面々も異変に気づいたようであった。

"あの車"と小生が指さすと、"ワープロ君"ことUM氏はその自動車めがけて駆けだしていった。道路と自動車の前を横切り、助手席に張りついた。助手席の窓が空き、そして、自動車はUM氏を残し走り出した。跨線橋を渡り、今度こそ、小生らの眼前から消えて言った。

しかし、何のためにあの場にいたのだろうか。
"ワープロ君"ことUM氏が言うように、小生らをわざわざ待っていたのかもしれない。単に東京方面への道順を確認していただけなのかもしれない。

ただ、そんなことはどうでも良いことのように感じた。
今日は、今まで見たこともない、佐野女史の一面を見ることができたのだから。

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2017年5月 3日 (水)

1987年5月3日

本日は熱海サンビーチで開催される"熱海サンビーチフェスティバル"に参加するため、熱海にやってきた小生。JRの熱海駅を下車し、坂を下リ国道135号線を渡り、"お宮の松"の後ろの砂浜が本日の目的地となる"熱海サンビーチ"である。

ここ"熱海サンビーチ"は人工的に造られた砂浜で、"お宮の松"周辺部分は完成しているが、北と南はテトラポッドが積まれた岸辺となっており、未だ工事中のようである。

実は"熱海サンビーチフェスティバル"は5月2日から開催されており、昨日のうちに会場の下見を済ませていたため、本日は迷わず到着できた。
昨日来たときはにはバレーボールの試合が行われていたが、本日は特設ステージ上でイベントが開催される。

ステージは、砂浜が完成した部分の北端を背にして設置されている。

ステージ前には椅子などは配置されていないが、ステージ前でイベントの開始を待つ者も、小生たちの他にはほとんどいないといった状況のため、場所取りも必要ないような状況であった。

ステージ横に"マリンショープログラム"と記された看板が掲げられており、本日13時から14時30分に開催される、"クイズ&ゲームinサンビーチ"が小生のお目当てのイベント、出演するのは佐野量子女史、今にも雨が降り出しそうな空模様であり中止とならないよう祈るばかりである。

本日集合した面々は、"ワープロ君"UM氏、"関東一のおっかけ"IH氏、名古屋のIT氏、静岡のKT氏、某光学機器メーカーのSA氏といったところ。

19870503熱海サンビーチフェスティバル1

名古屋のIT氏がCanonのAE-1Pと35mm-105mmレンズを貸してくれるというので、ありがたく借用させていただく。
待ち時間の間に、5月30日の大阪で開催される一連のイベントに、IH氏と一緒に行くという話しがまとまった。

一時ぱらついた雨も、13時までには上がり、イベント開始の運びとなった。
ステージ前に集まった観客は100人ほど。
司会は、4月25日の富士宮のイベントと同様、SBS静岡放送の伊藤圭介アナウンサー。

19870503熱海サンビーチフェスティバル2

本日の進行は「雨が止むまで」、「瞳にピアス」、「4月のせいかもしれない」の3曲の合間に、本イベントのタイトルともなっている"クイズ&ゲーム"が挟まるといったもの。
クイズはいわゆる"ばらまきクイズ"であり、ステージからばらまかられた問題を拾った観客が、問題を持ってアナウンサーのいる場所まで行き、問題をアナウンサーに渡して読み上げてもらい、その問題に答えるといったもの。
賞品も用意されていたが、小生は賞品をいただくことはできなかった。

最近のイベントでは、撮影に入った映画の告知をしている佐野女史ではあるが、小生らの間ではほとんど話題になることはない、誰も敢えて話題にしようとしないのは、佐野女史が映画の話しをするときあまり楽しそうでないのを、誰もが感じ取っているからであろう。
とはいえ、テレビジョン放送唯一のレギュラー番組も終了してしまった現在、告知する話題は映画くらいしかないのもまた事実。
そして、小生らにできることは、佐野女史の活動を応援すること、この一点に尽きる。

イベント終了後、一瞬、雲の切れ間から太陽が顔を出した。

19870503熱海サンビーチフェスティバル3

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2017年4月26日 (水)

1987年4月26日

本日は、文化放送番組"とうきゅうサウンドパラダイス"の公開録音に参加のため、取手駅前の取手とうきゅうまでやってきた小生。
取手駅は通過したことはあるが、降り立つのは初になる。
目指す取手とうきゅうは、取手駅西口にある。取手駅は橋上駅になっており、西口からはペデストリアンデッキで取手とうきゅう2階入口と直結していた。

2階入口前に到着すると。我孫子在住のM氏など、すでに何人かが開店待ちをしていた。
10時開店、小生は初めてで勝手がわからないため、人の流れに乗ってエスカレーターで階を上へと昇っていく。
6階から7階へと上ろうとするところで、前方に吹き抜けの空間が現れた。さらに昇っていくと、積み重ねられたテレビジョンのモニター、ステージ、客席と順番に見えてくる。
先頭の者から座席になだれ込み、小生はそれに続く。
ステージに向かって右端の最前列の席を確保できた。

ここの会場は、背もたれのない木製のベンチが床に固定されている。一基で3人ほどが腰掛けらるので、座れるのは40人から50人といったところか。7階と8階が吹き抜けになっており、8階からステージを見下ろすこともできる。立ち見を含めると100人少々の観客までは対応できそうである。

本日は、"関東一のおっかけ"I氏、前述我孫子のM氏、某光学機器メーカーのH氏、S氏、名古屋のI氏、開店後悠々と現れた"ワープロ君"U氏等の面々が集まった。

小生がコンパクトカメラを準備しいてると、名古屋のI氏が予備の一眼レフカメラが余っているので貸してくれるというので、お言葉に甘えて拝借することにした。CanonのAE-1Pに、FD200mmF4である。AE-1Pは絞り優先オートの機能がないが、マニュールモードにしてストロボに調光させれば良いだろう。

13時開演。司会は藤沢かずより氏と坂本理恵女史。本日のゲストは、さいたまんぞう氏と川島恵女史、そして佐野量子女史である。

19870426とうきゅうサウンドパラダイス

番組冒頭佐野女史が
「4月のせいかもしれない」
を歌う。

その後、ゲストのトークのコーナー。
佐野女史からは、夢のこと、昨日の富士宮郵便局一日郵便局長のこと、ジャンボマックスのこと等の話題が出た。

続いてさいたまんぞう氏と川島恵女史の
「東京カントリーナイト」
曲がはじまると折りたたみ椅子の座面をお尻につけたまま立ち上がりステージからはける佐野女史。
佐野女史の正面たる僥倖の恩遇に浴する小生。

19870426とうきゅうサウンドパラダイス佐野量子

その後、つぶされた粘土細工から元々何を造ったものだったかを当てるというクイズのコーナー。

最後に佐野女史が、
「少女がページを閉じる時」
を歌って終了。

さすがに「ミスター不思議」「処女航海」は歌わないか。
佐野女史は浅井企画の社員の結婚式に出席するとのことで早々に帰っていった。
小生らはみな常磐線に乗ったが゛、三々五々各方面に分かれていった。

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2017年3月28日 (火)

1987年3月28日

本日は、文化放送の"日立ハローサタデー"の公開生放送に参加。
会場は"日立ヤングプラザ"である。小生、この"日立ヤングプラザ"に来るのは初ではあるが、実はこの"日立ヤングプラザ"は"日立Lo-D PLAZA"の場所はそのままに、名称を変更し新装オープンした施設であり、"日立Lo-D PLAZA"の頃に一度"日立ハローサタデー"の公開生放送を観覧したことがある。

10時前に有楽町フードセンターに到着。すると、すでに30人以上もの人の列ができていた。前回"日立ハローサタデー"を観にきた時よりはるかに多い人数は、本日のゲストの一人である浅香唯女史の人気か?、とも思ったのだが、列には女性が多く、浅香女史のファンとも異なるようである。

並んでいるかたに聞いたところ、本日の"日立ハローサタデー"は"日立ヤングプラザ"が新装オープンした記念番組であり、通常はスタジオ収録のチャゲ氏、石川優子女史が、本日はここ"日立ヤングプラザ"で生出演するとのこと。女性が多いのはチャゲ氏目当てということであろう、納得である。

30人以上の列ができていたとしても、チャゲ氏のファンである方々はこの番組の入場作法を御存知無いことになる。会場への入場には整理券が必要で、その整理券の配布場所も、有楽町フードセンター東館の入口というわけではない。並んでいる方々には申し訳ないが、ここ、有楽町フードセンターには入口は何カ所もあるので、人数の少ない入口に移動し、待機する。そして、有楽町フードセンターの開店と同時に"日立ヤングプラザ"めがけて駆けだす。

幸いなことに、整理券の配布場所は"日立Lo-D PLAZA"時代と変更がなかったため、小生は、整理番号1番の紙片を獲得することができた。

会場への入場は17時からとなるので、それまでの間知人らと時間をつぶす。

本日は、17時も10分程前に会場への入場開始。
整理番号1番なので、最前列中央の座席を確保する。
今回の会場は、前回の"日立ハローサタデー"のときに使用した"AV-Labo"ではなく、数寄屋橋寄りに新しく設置された会場であった。ステージ後方にブラウン管モニターが並んでおり、最上部には緑色のプラスチック版で"Folum-U"の文字が掲げられていた。この"Folum-U"が、この会場の名称ということになろう。
会場は以前の"AV-Labo"より広く、ステージに向うと、通路が左側になる配置、通路からも会場内がよく見える。

前述の理由で今回の会場内は女性がずいぶんと多いのではあるが、会場前方の座席を占めている者たちは男性が多めではある。
本日のゲストは浅香唯女史と、佐野量子女史の2名であるが、会場前方の男性たちは小生の見知った顔がほとんどであり、ラジオの公開生放送にまで来るようなファンの層厚さでは、佐野女史に分があるようである。
会場後方には、オリコン通信常連投稿者のペンネーム"スイク2ミトカイ"氏とペンネーム"渡辺洋"氏が確認できた。

会場外には、入場できなかった者たちの人垣ができていた。ガラス越しに観ている者たちは、風貌から察するに浅香唯女史のファンのほうが多いようである。

17時前にはチャゲ氏と、石川女史が登場。
通常の放送では、17時からの番組前半は、スタジオ収録を流して部分なので、"日立ヤングプラザ"では前説やゲストトークをしている時間なのであるが、今回は17時きっかりに放送が始まるため、17時前には待機する必要があるというわけである。
小生が整理番号1番だったということで、放送開始までの間に番組ディレクターから誰のファンか聞かれた小生、佐野女史目当てで来ていることを告げると、それを聞いたチャゲ氏は、"おまえばっか見てるからな、期待してるぞ"とのたまう。さて、どうしたものか。

17時に放送開始。チャゲ氏と石川女史が、自分たちの曲を交えてのおしゃべり。この部分は、いつもはスタジオ収録している部分をここ"日立ヤングプラザ"から生放送しているという状況。本日のゲストはまだ登場しないので、実質ゲストを観ることができる時間は、短くなってしまうことにはなる。

そしてその後、おおくぼ良太氏が出てきて、通常の進行に移行するのだが、通常と異なるところは、チャゲ氏と石川女史がステージ上にいること。
そしていよいよゲストの登場。まずは浅春唯女史がステージに上がる。
ゲストは2人だが、ステージに上がるのは1人づつで、浅香女史のステージの間、佐野女史は、ステージ上手下の椅子に腰掛けて待機しているようで、小生の席からはまったく見えず。

次に「瞳にピアス」の曲ととも佐野女史が登場。
チャゲ氏が小生のほうを注視しており、ここぞとばかり、佐野女史表紙のオリコン・ウィークリー誌、それも3月30日(月)に発売予定でまだ未発売の、通称"土曜日オリコン"を見せびらかすと、チャゲ氏と石川女史は指さし笑っている。そのオリコン・ウィークリー誌に気づいた佐野女史からも笑顔をいただくことができた。

次に新曲「4月のせいかもしれない」を歌う佐野女史。
その曲に合わせ、ステージ脇で、おおくぼ良太氏が滅茶苦茶な踊りを披露する。
佐野女史は笑いそうになるのを堪えて歌っている感じ。

エンディング後、ゲスト2名はステージから引けてしまい、残された観客はビンゴ大会による賞品配布。小生はビンゴ成立せず。

なお、オリコン通信寄稿士のペンネーム"渡辺洋"氏はビンゴが成立したようで、賞品を受け取るとき、ボケをかましたようであったが、マイクがその声を拾っておらず観客が聞き取れなかったため、ボケは不発に終わってしまった。

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2017年3月 8日 (水)

1987年3月8日

本日は昨日に引き続き川崎までやってきた。
川崎にあるアゼリア地下街のスタジオアゼリアで収録されるQRの番組"アゼリアPOPパーティー アイドルDADAだ"を観るためである。

スタジオアゼリアは、JR川崎駅からアゼリア地下街に降り、中央の通路を直進して突き当たったところにあるステージである。ステージ背後一面に広がったカラーモニターが特徴となっている。"スタジオ"という名を冠しているとおり、サテライトスタジオの機能を有しているようである。ステージ脇に調整室とおぼしき部屋があり、各種器材が並んでいる。

ステージ前は通常は通路になっているが、イベント時はステージ前がポール等で仕切られ、観客用の区画としてあてがわれるとのこと。小生はスタジオアゼリアでのイベントは今回が初となるが、昨日3月7日に川崎に来た際に、イベント経験者から情報を得るととも下見を済ませていた。

スタジオアゼリアのステージ前は自由通路になっているため、良い場所を確保するためには極力早い時刻に会場に到着する必要があるが、小生の場合、徹夜でもしないかぎり川崎駅の到着は7時30分頃になってしまう。

しかし今回はありがたいことに、いつもイベントでお会いする、佐野女史の"関東一のおっかけ"ことI氏が、小生たち座れる程度のある程度の場所を確保してくれていた。
I氏が確保していた場所は最前列ではあるがステージ向かって右隅のほうであった。I氏に確認したところ、写真を撮影するのが主な目的でないのなら、中央よりもこちらのほうが良いとのことであった。

ステージ中央付近はカメコさんたちのものと思われるが場所取り用のシートが広げられていた。

スタジオアゼリアのイベントスペースには椅子がなく、新宿NSビル大時計広場のように床に直接座す形式となっている。その体勢で開演を待っているのは、一人ではなかなかつらいものがあるが、何人かで会話をしながら待つために、それほど苦にはならない。

ステージの設営が始まると、小生らが陣取っている眼前に、テーブルと、椅子が4つ用意された。
テーブルの前には、本日の出演者の名前を書いた紙が張り付けられた。
奥から、太田貴子、藤井一子、真璃子、佐野量子と書かれており、一番客席寄りが佐野女史の席ということになる。
"関東一のおっかけ"I氏がこの場所を選択した理由がよくわかった。

19870308アゼリアPOPパーティー出演者垂幕

イベント開始。まずはステージ上に本日の出演者が勢揃い。
司会の植田芳暁氏とKUROKO女史が出てくる。

19870308アゼリアPOPパーティー出演者:太田貴子、佐野量子、真璃子、藤井一子

そして着席。
近い。

19870308アゼリアPOPパーティー出演者:藤井一子、真璃子、佐野量子

近すぎる。

19870308アゼリアPOPパーティー出演者:真璃子、佐野量子

佐野女史の一挙手一投足を注視していたため、ステージのほうを見やる間がなかった。

かろうじて撮影した真璃子女史。

19870308アゼリアPOPパーティー出演者:真璃子

椅子に座る出演者に特化した場所のためステージは見づらい。

さらに言えば、椅子に腰掛ける佐野女史以外の出演者も見やすいとは言えない。
しかしながら、小生もそうであったが、小生の周囲に陣取った知人らの主な目的は佐野女史だったため大きな問題とはならなかった。
佐野女史の席が最も観客席寄りだったのは幸運であったといえる。

番組放送部分は2本録りとなっており1本目の進行は、
①"アイドルだって失敗するんだよーん、かっこ悪くたっていいんだってばさー"のコーナー
太田貴子:失敗しているときのほうが多い。家の鍵があいていないとき、窓をこじあけようとした。
藤井一子:夜寝る前にマニキュアをしたら朝指がくっついていた。(OKマークになっていた)
真璃子:子供の頃畳の縁にひっかかって転んだ。おっさん顔だと、植田芳暁氏にいじられる。マネージャー氏が出てきて3月27日「悲しみのフェスタ」発売、4月5に池袋サンシャインシティーで握手会があるとの宣伝。

②"アイドルが選ぶこの一曲"のコーナー
佐野量子:キャンディーズの「春一番」:お楽しみ会のときに三人で歌ったとのこと。
藤井一子:杉良太郎「すきま風」:小さいころ"遠山の金さん"をお母さんといっしょに見ていて好きだった。カラオケでも歌ったことがあるとのこと。

③エンディング
太田貴子:アクセサリー、小物を集めるのに凝っている。肩も凝っているけど、とのこと。
藤井一子:帽子を集めるのに凝っている。20個くらい集まったとのこと。
真璃子:リボンを集めるのに凝っている。シンプルなものが好きとのこと。
佐野量子:温泉の素を集めている。好きな温泉は別府温泉とのこと。
3月22日午後1時から、ゲストに桑田靖子、西村知美、水谷麻里、岡谷章子の各女史を迎えて収録を行うとの告知を行い放送部分の収録は終了。撮影に熱中しているカメラ小僧の諸氏はKUROKO女史におまえら拍手しろよと煽られていた。

2本目の進行は、
①佐野量子「4月のせいかもしれない」

②"ザ・初恋談義"のコーナー

③藤井一子「初恋進化論」

④おたよりコーナー

⑤エンディング
佐野女史から4月5日に新宿アルタで"私の部屋へようこそ"というイベントがあるとの告知。

太田貴子女史と、真璃子女史の歌もあったはずだが、どこだったか失念した。

イベント終了後、知人らは十分満足したという面持ちで撮影器材等の片づけを初めていた。唯一小生を除いては。

小生は、イベント中も、出演者らに提供たケンタッキーフライドチキンのドリンクが気になっていたのだが、ドリンクの紙コップは、イベント終了後も長机の上に放置されていた。

イベントが終了してしばらく経っても撤収が始まらないため、小生は、机の上の一番手前の紙コップを回収させていただいた。

19870308アゼリアPOPパーティー紙コップ

すると、紙コップを持った小生に話しかけてくる一人の人物"〇〇(←小生の名字)さんですね"。面識の無いかたかは話しかけられて、"はっ、ええ、えっ"と要領を得ない返事をする小生。するとその彼は、カバンの中からオリコン・ウィークリーを取り出し、"君こそ評論家!"の集合写真を指さし"〇〇〇〇君(←小生のオリコン通信でのペネーム)でしょ"。驚く小生。その方からいただいた名刺には"〇〇〇〇"(←本名なので伏せ字)と書いてあったので、オリコン通信常連投稿者ペンネーム"きっぱら一人"氏だとすぐに理解した小生。"カメレオンクラブ"という同人への参加を誘われた。また"佐野女史のミニコミ誌をつくりましょう"、と誘われたのだが、既に"おれんじ☆てぃー"というミニコミ誌があるのでどうしたものか、というところである。

さて、次の佐野女史のイベントは3月10日の"ロッテヤンスタNo.1"であるが、招待券が入手できていないため参加は見送ることになりそうである、とすると、次は3月28日の"日立ハローサタデー"ということになる。有楽町での再会を約して、川崎を後にした。

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2017年3月 7日 (火)

1987年3月7日

本日は、川崎岡田屋モアーズで開催されるニッポン放送の"モアモア歌謡センター"の公開生放送の観覧。

"モアモア歌謡センター"の公開生放送には昨年一度来ている。
昨年と変わったことは、アゼリア地下街が完成し、地下経由で岡田屋モアーズまでたどりつくことができるようになったという点である。地下にも岡田屋モアーズへの入口ができているが、小生は、開店前に正面玄関前で待機。開店と同時にエレベーターを使わず、エスカレーターを駆け上がる。これで最前列の席を確保できる。
各階でエレベーターのボタンを押す係を1人用意し、エレベーターを各階停車にすれば完璧であろうなどと考えたこともあるが、小生はそこまでしたことはない。
実際今回はそのようなことをせずとも普通に最前列の席を確保できた。

司会は上柳昌彦氏、ゲストは長山洋子女史と佐野量子女史。奇しくも昨年参加した"モアモア歌謡センター"の公開生放送と同じ出演者である。

昨年と違うのは小生の側。昨年は会場内に誰一人知人はいなかったが、今年は開演を待つ客席の中に多くの知人がいるという点。荷物番を頼めるので席を離れることができる。席を確保してから放送開始までの長い待ち時間を退屈せず過ごすことができるようになった。

本日新たに面識ができたかたは、オリコン通信常連投稿者ペンネーム"スイク2ミトカイ"氏、"おれんじ☆てぃー"の発行人のO氏、"奈美ファンタジィ"のスタッフ等で活動しているM氏などである。

音合わせの後、16時30分から生放送開始。

19870307モアモア歌謡線センター:長山洋子、佐野量子

まずは佐野女史の曲。

19870307モアモア歌謡線センター:佐野量子

その後クイズコーナーなどを挟んで長山女史の曲。

19870307モアモア歌謡線センター:長山洋子

30分で終了。
最前列で堪能できた、眼福なイベントであった。

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2017年3月 4日 (土)

1987年3月4日

本日は、文化放送で土曜22時から放送されている"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音の観覧のため、市ヶ谷のシャープ東京ショールームに向かう。
"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音に参加するのは2回目になる。市ヶ谷駅から外堀を通過、外堀通を渡り
シャープのショールームに直行する。

本日のゲストは佐野量子女史と、水谷麻里女史。
平日ということもあり、"シャープ ミンミンゼミナール"の公開録音目当ての者はそれほど多くはなさそうである。

16時から整理券か配布されるが、定員に達しなかったようで。本日も無事入場することができた。
この会場は、入場するために抽選があり、先着順というわけではないため、座席は運次第となる。
ただし、狭い会場なので、入場することができれば十分に近いが。

ラジオ収録中佐野女史"食べでがある"といった言葉を使ったところ、風見しんご氏が非常にウケ、佐野女史が照れていたが、"食べでがある"ということば、小生も普通に使用していたのだが、方言だったのだろうか?

この番組では、当日の観客中から選ばれた者が生コマーシャル読み上げるというコーナーがある。今回は選ばれたのは、最近佐野女史のイベントで小生らと行動を共にしているUM氏であった。UM氏は素人なりに生コマーシャルをこなし、その見返りとして、SHARP社製のワードプロセッサーを進呈されたのであった。ああ、うらやましき哉、UM。

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