2016年4月28日 (木)

ASCIInetオリジナル CD-ROM “We Love ASCIInet”

1997年8月24日。
ASCIInetがサービスを停止した日である。

1987年、富士通のワードプロセッサー“OASYS Lite F・ROM8”を購入した小生は、1988年には“OASYS Lite F・ROM”シリーズの機能拡張カードであるF・ROMカードの通信拡張カード、そしてAIWAのモデムPV-A1200mkⅡを導入し、ワープロ通信を開始、PC-VAN、EYE-NET、NIFTY-ServeとIDを取得した。

そして1991年3月にTOSHIBAのJ-3100SS001と2400MNPClass4の内蔵モデムを購入したことにより、パソコン通信を開始。程なくしてアスキーネットPCSのIDを取得した。アクセスポイントが市内局番内になかったというネックは、DDX-TPサービスへの加入、モデムの高速化とWTERMによるオートパイロットである程度解消できるという目算もあってのことであった。

それでも、ボードチャットをしたりすることもあり、電話代は常時3~4万/月かかっていた。
やがて、アスキーネットのACS、PCS、MSX、DPIは統合され、WIDEプロジェクトにより、他の商用パソコン通信とゲートウェイ接続できるようになるなど、環境が変わる中、小生のASCIInetへの書き込みは漸減していったがmusic.idolとjunk.testは目を通していた。

1997年の5月、突然ASCIInetのサービス停止がアナウンスされた。
希望者先着2,000名に、記念CD-ROM送られるとのことであった。

ASCIInetオリジナル CD-ROM “We Love ASCIInet”(裏)(150dpi)

ASCIInetオリジナル CD-ROM “We Love ASCIInet”(表)(150dpi)

そして、申し込んだことも忘れた頃、1998年になって送られてきたのがこのCD-ROMであった。
それから放置すること19年。この記事を書くにあたり、はじめて内容を確認してみた。入っていたCD-ROMは1枚。
ASCIInetサービス終了時のデータが収められていた。さすがにjunk.testのデータは入っていなかったが。

サービス終了時のハイパーノーツの全データは、CD-ROM1枚にも満たないものだったのだ。
(ハイパーノーツシステムではAuthorがCloseしてしばらくするとデータは削除されたので、1985年から1997年の全データがCD-ROM1枚に収まってしまうということではない。)

小生がAuthorだったNoteはmusic.idolの中にひとつだけ残っていた。読み返すと、1992年から1997年の時間が凍りついていた。

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2015年6月14日 (日)

DIGITAL MOVA DⅡ HYPER

DIGITAL MOVA DⅡ HYPER(デジタル・ムーバ D2HYPER)である。

1995年1月、演歌外道(固有名詞)他の方々から小沢亜貴子女史の、イベント会場から次のイベント会場への道案内を頼まれた小生。自家用車を駆って1本目のイベント会場の駐車場へ滑り込んだ。

そこで待ち合わせた外道な方々と合流。さすが外道でも最強と言われる風呂系を擁す小沢亜貴子女史。イベント前の待ち時間の過ごし方もアイドルの方々のそれとは違った様相。小生が通された部屋では、いわゆる追っかけの方々と小沢亜貴子女史さんとそのスタッフが揃ってお茶をしていた。お茶といっても喫茶店などではなく、イベント主催者から控室として用意された和室で座して緑茶とお茶菓子で、であった。その光景も目から鱗ではあるが、それより目立ったのは外道な方々の携帯電話所有率の高さだった。めいめいの座している卓上に携帯電話が立っている。当時室内では電波が弱いため、携帯電話は、電波を拾うことができる場所に置くものであった。

それまでレンタル制だった携帯電話に、1994年"お買い上げ制度"なる売り切り制が導入され。基本料金も徐々に下がり、急速に普及しだしていたのだった。

それから数か月、小生の周囲では携帯電話所有者は増え続け、所有率は5割程度になろうかという状況になっていた。
そして1995年8月、小生も携帯電話を購入したのであった。
当時小生の家ではNTTDoCoMo以外の電波は届かなかったので、キャリアは当然NTTDoCoMoしかありえない。
そしてこの機種を選んだのは、当時唯一のリチウムイオン電池搭載端末だったからであった。当時の端末の人気はDとPに2分されていたが、他の端末はPを含めてすべてニッケルメタルハイドライド電池を搭載したものであり、リチウムイオン電池とは電池の持ちが違った。たとえばPⅡHYPERの連続待ち受け時間が70時間に対し、DⅡHYPERは150時間(いずれもS電池で)だったのだ。
なお、現在では当然のものとなっている、電話がかかってくると相手の名前が表示されるという機能も、DⅡだけのもので、他の機種は相手の番号が表示されるだけであった。


Digital_mova_d_hyper


甲子園球場へ向かう阪神電車の中で電話がかかってきたことがあった。好奇と羨望が入り交じったような視線を感じた。当時は、電車の中での通話はご遠慮ください、などという注意もなかった。

小生の周囲では携帯電話の所有率は高まり、1995年の年末には100%近くになっていた。
知人も全国を飛び回っており、030で電話して繋がらないと040でかけ直してみることは日常茶飯事であった。
尤も、平日昼は繫がらないドニーチョ契約の者も多かったが。(小生はプランB契約であった。)
東京、大阪と続いた忘年会では、窓際に携帯電話がずらりと並ぶという光景が見られた。

なお、1995年の12月にハーフレート機の101シリーズが発売されるので、この機種の販売期間は8か月と比較的短い。その後、フルレート機種に強力な巻き取りがかけられ、知人の携帯電話は次々と新機種になっていったが、小生には全く巻き取りがかからず、結局2002年まで使用を続けた。

PDCのサービスが終了した現在では、電源を入れても、圏外が表示され、使用することはできない。

DⅡ HYPER
三菱電機社製
1995年4月発売

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2015年5月30日 (土)

EV-BS3000

SONYのHi-8ビデオデッキEV-BS3000。
アナログBSチューナー付きのため、SONY ビデオデッキの型番である"EV"後に"BS"が冠されている。同シリーズで
アナログBSチューナーが付いていない機種はEV-S2500のように"S"が冠されることとなる。

EV-BS3000は、DIGITAL PCM 音声、DIGITAL NOISE REDUCTION、TIME BASE CORRECTOR が搭載された、当時の最高級機種であった。写真では取り付けられていないが、サイドウッドも付属している。

しかし、SONYの最高級機種で"9"でなく"3"の型番が冠されるのは異例であった。
SONYから消費者への"9"に値しないと機種であるとのメッセージと受け取られても仕方ないものであり、
事実、走行メカやヘッドなど前シリーズより劣っていると言われている部分もあった。

とはいえ、当時の最高級機種である。この機種を購入した小生は、BSアンテナも購入し、BS放送を受信できる環境も 整え、メインの録画環境をHi-8に変更した。テープの容積がVHSと比較して劇的に小さくなったことに満足していた。
その後WV-DR7を導入しても、DVテープの価格が高いこともあり、HDDレコーダを導入するまでメインの機種として鎮座していた。

EV-BS3000

現在EV-BS3000は、走行系は動作し、音声も再生されるが、映像が写らない状態となっている。
それほど多くはないが、Hi-8のテープ資産をどうするか…EV-BS3000を修理するか、再生用に別の機種を購入するか思案中である。トラッキングがシビアだし、デジタル音声の再生具合もあるので、修理がベターなのだろうが。

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2015年5月16日 (土)

J‐3100SS001用キートップ

1989年、日本のパーソナルコンピュータ界に激震が生じた。J-3100SS001の発売である。
小生は、1991年3月にJ-3100SS001を購入。その後すぐに2400MNPClass4の内蔵モデムを買い足し、それまでの"ワープロ通信"から文字通りパソコン通信の環境を手に入れたのだった。

あまりに有名な機器なので、J-3100SS001本体の説明は省略してしまうが、今回紹介するのは、そのJ-3100SS001のキートップである。

J‐3100SS001用キートップ

パーソナルコンピュータで交換が必要となる部品というと、電池とキートップが上げられる。電池は通常別売されているが、キートップの交換は修理扱いとなってしまう。
ところが、今はどうなっているか確認はしていなが、当時の東芝は良心的にも、補修部品を単品で販売してくれていたのだった。
このキートップは、キーボードの接触不良が生じたため、直接近所のサービスステーションに出向き購入したのであるが、再び交換する可能性に備え2個購入し、1個は交換し、1個を予備として保管しておいたものである。
結局交換しないうちに、本体は廃棄され、キートップのみ残ってしまった。
このキートップもいずれ廃棄される運命であろう。

J‐3100SS001用キートップ(裏)

J‐3100SS001用キートップ
製造:ミツミ電機株式会社
機種名:KPQ-A84AU

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2013年3月30日 (土)

GT-7000WINS

1997年。WindowsノートPCを購入し、始めたことと言えばWebサーフィン。
レコードジャケットなどの画像のデータ化。
そして1999年4月にはサイトの立ち上げることになり、スキャナはサイトに掲載する画像を取り込むために必要不可欠なものとなるのであった。

主操作600dpi、副操作1200dpiの解像度はグラビアなどを取り込むには十分であった。
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GT-7000WINSはSCSI接続の機器だったが、GT-7000シリーズにはWINUというUSB接続の機種もあった。
購入したノートPCには、赤外線ポート、100BASE-TのLAN端子、そしてUSB端子も装備されてたのであったが。PC9801BXに繋いでいたMOドライブをWindows機に繋ぐために既にPCMCIAのSCISIカードを所有していたこと、購入したノートPCに載っていたWindowsのOSが95のOSR2であったため、USB機器を使用するたにめは専用ドライバが必要であり
GT-7000WINUでは公式にはサポートされていなかったので、GT-7000WINSを選択したのであった。

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それから15年。問題なく動作はするが、先日カラー写真をスキャンしたとき、色むらがあるのに気づいた。フラットベッド部を観察してみると、しみがういてきいており、そのために色むらがでているようであった。白黒原稿をスキャンするのには問題ないが、そろそろ過去のネガフィルムのスキャンもしなければいけない頃になっていたので、この際透過原稿ユニットを持つ新機種GT-X820に入れ換えることにしたものである。

GT-7000WINS
EPSON
1998年8月発売
1998年9月 すみや MEDIA NOW! で購入

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